再現性という魔術
私は”ゴッドハンド(神の手)”ともてはやされている人間は、好きになれない。
別に、嫉妬からそう言っているのではない。
組織を、あるいは医学と置き換えてもいい、それを発展させていくためにもっとも大切なことは何か?
上にいる者たちの芸術性と下にいる者たちの再現性だと思う。
マニュアルというものがある。
これの正体は、下にいる者たちの平均への引き上げの目的にある。
能力高きものは、マニュアルに従えば当然、パーフォーマンスは低下する。
なぜならば、人を相手とする場合、この世に同じ人間は存在しないからだ。
医療で考えると分かりやすい。
ある患者が、重症の治療の状態にあるとき、この患者に薬を与えるタイミング、その量、あるいは人工呼吸器の設定を変更する条件などは、すべて最適化されるべきタイミングというのがある。
ところが、マニュアルというのは、何時にどのくらい薬を使い、何時に血圧をはかりとすべて決まっている。
それは、能力が低いものが患者を看る場合にはかなりメリットが多い、しかし、医療のレベルが高いものがそれに従うとき、患者にとっての最適化のタイミングをみすみす逃すことになる。
よって結果は、実力以下になる可能性が高い。
では社会にとってマニュアルを作ることは是か非かといわれれば、それを作るほうが圧倒的に利益が大きい。
STAP細胞を引き合いに出すまでもなく、再現性をなすことが科学であり、それが人類の進歩を約束してきたといえる。
ゴットハンドな人間は、再現性がない。
よって、社会にとってはメリットよりもデメリットのほうが大きい。
私たちが考えなくてはならないのは、そのゴットハンドを誰もができるものにどう仕上げていくかということである。
彼しかできない手術を、ある機器を発明することによって誰もが再現可能な技術にすることが科学であり、社会利益が最も達成されることなのだ。
ゴットハンドを会いも変わらず重宝する日本は、医学が科学ではなくて、芸術であると勘違いしているらしい。
それはよくないことだ。
それは突き詰めれば、宮本武蔵が、銃弾を切り落とすという幻想まで抱かしてしまう。
達人 宮本武蔵はほとんど未訓練の兵隊が撃った銃弾に当り死んでしまう。
その兵器を発明するのが科学ということだ。
だから私はスタッフを再現性をもって引っ張り上げていこうと誓っている。