人生、暇つぶし
最近、よく考えるっていうか、子どもの頃からすっと思っている。
人生って何?
これは、永遠の命題かな。
ホント、人間に国家なんていらない。何か左翼みたいなことを言っているが、僕は左翼や共産系の人々の言っていることは理解できるが、現実と摺り合わないので、信用しない。
国家なんてものは、何のために出現したのだろうか?
多くの戦争を経験した今、これが出現したことで救われた人の数と、この国家なるもののために死んだ人の数は一体どっちが多いのだろうかとふと思ってしまう。
最近、韓国の何とかという大統領が、あちこちで日本の悪口言いまくっているけど、日本と韓国の戦前・戦後の汚れた関係を知っていれば、あの言動はお粗末なものと言わざるを得ない。
大体、どの国でも自国民を裏切って苦しめているのは、その国の人間であるという大人の洞察が最近できるようになったのだ。
ミャンマーの国境の方の子どもたちをタイや中国に売っているのはミャンマー人。
買いに来るのは、タイ人と中国人。
戦国時代の日本で、若い女を武器と交換したのは戦国大名。
買ったのは外国の商人。仲介したのは宣教師。
イギリスと清のアヘン戦争。国家で議決まで、アヘンを売りつけることを決定したのはイギリスという国家、それを受け入れ売りさばき、清人をアヘンでぼろぼろにしたのは清人。
戦前戦後を通じて、何も知らない一般の日本人を食い物にしたのはアメリカという占領国の手下になったこの国の権力者たち。
しかし、いつもこういう事実を知るために思うことがあるんだ。
人間、たった80年程度の人生。
たとえば、男の人生。
上手いもの食って、気ままな異性関係をすきな時に持つ。
それ以外に、一体、本質的に、何を求めてそれ以上の欲を持ってしまうのだろうか?
中毒じゃないのか?
ある程度の食や異性関係を構築できたら、本質的な生きる目的は達成できているはずだが。
有り余るお金をつかって、ちょっと贅沢をしても、本質的には何も変わらないだろう。
それは、エコノミークラスで海外へ行くのと、ファーストクラスで海外へ行くのでは、中では多少待遇は変わっても、飛行時間が短くならないのと同じで、本質的には変わらない。
有り余ったお金やエネルギーを彼らは、やり場なく、暇つぶしのために投入しているとしか思えない。
それでも何か、意義を見つけようとして、国家のためとか、人々のためとか、社会のためとか言っているんじゃ、ない?
まあ、人間だれでもそう。
僕もそうだと思う。
もし、あなたが人のために生きたいとか、世の中のために生きたいと思ったならば、あなたはすでに、基本的な幸せを持っていると考えたほうがいい。
そうでないのにもしそう思っているとしたら、誰かに洗脳されているか、自分が何かの病気か何かで存在が脅かされているかどっちかだ。
ボランティアをするのは信じられないとか、お金を払ってまでとやるのはちょっととおもっているのは、多分、まだ基本的な幸せを実現していない人だと思う。
ボランティアをする人はまあ、基本的には幸せであると思う。
いくらリッチになって多少、威張って生きてみても、たかだか、数十年。
あっという間の、風の如し。