子育てから見る、スタッフ育成
子育てをしてみて思うことがある。
子どもを厳しく叱ること、けなす事は果たして教育上、効果があるのかどうか?
最近では子どもを厳しく叱ったり、時には手を出すこともあるが、そのときも極めて、本当に極めて冷静に状況を見つめながら、子どもを叱っている。
子どもの表情やそのときの気持ちもひしひしと感じることができる。
そういうことを感じながら日本の教育界を見たときに、いじめが起こる原因の99%は担任の教師のせいだと分かる。
特に小学校の場合はそれが当てはまると思う。
その担任教師が、そのクラスという場を支配できていないからだ。
いくらその性質がある子がいても、その場を教師が支配できていたらいじめが許容される環境は生まれてこない。
そう考えると教師の質の劣化がいじめを生んだことになるが。質の劣化といっても昔の教師が全部すばらしかったわけでもなく、おそらくいじめは常習的にどこにでもあったに違いない。
今のように表には出てこなかっただけなのだと思う。
とはいうものの、教師のレベルの低さと場の支配力の無さがそういう状況を生み出しているの違いない。
教師の人間力を上げる。それは簡単でないことは誰でも分かる。
体罰は最高の教育の技術だという人もいるが、それを使いこなすのは真剣を扱うようなもので、未熟な使い方しかできないと、自分も子どもも傷つける。
私もことの年になって、これだけの紆余曲折を経てようやくわが子への教育的制裁を客観的に眺めることができるようになったのだ。20台や30台の若い教師たちにはそれができるはずもないと感じるが。
どうだろうか??
もう一つ。私の考えでは子どもの教育は、引き出すことよりも前に強制的に教え込むことが必要だと思うがどうだろう?
いやなことは生涯、しなくて済むならばその必要も無いが、人生いやなことをすることが多いのも事実。
そして、いやなことは若い時代にしか取り組む寛容性が無いのも人間の習性だ。
だからこそ、若いうちに苦手なことや嫌なことに取り組まないと生涯、取り組む機会は極めて少ない。
このときに自分の性格や生き方の癖を直すことができるのだ。
いびつな形を円に近づけるイメージだ。
子どもの教育は、嫌なこと苦手なことにも否応なく取り組ませる必要性は大いにある。 どうせ成人したら誰も嫌なことなどしなくなるし、避けて通ろうとするに決まっている。
ほめる教育。
けなす教育。
フランスはけなしてばかりだという話を聞いたことがある。
子どもだったら、けなす教育は大いに成果を発揮すると思う。
ほめる教育は弊害が多いと感じるし、むずかしい。
しかし、ジャパンハートのスタッフたちのような成人に関して言えば、けなす教育は、あまり効果がないかもしれない。
もうすでに、時期が遅すぎるのだと思う。
一応、けなして育ててきたが、育った人間はみな立派に活躍するが、離脱者が多すぎる。
これから、さらに熟考しなければならない。
甘やかされて育った人間は始末に終えない。