信じられいなかもしれないけれど
2013年 03月 27日
信じられないかもしれないかもしれないが、国際医療というと多くの日本人たちは多分,医師が海外で孤軍奮闘して貧しき途上国の人々を救う姿を想像するだろう。私が知らなかっただけかもしれないが、私が海外で医療をはじめようと決心したとき、世界中でのその姿を純粋に実現している日本人医師は誰もいなかった。
誰もいなかったのだ。
信じられないかもしれないが。
ある人は、医療から始まりやがてもっと社会インフラを整備することが大切だと認識し、そこへ向かって進んだ。
ある人は、医療では多くの人は救えないと、保健や教育分野へ進んでいった。
またある人は、海外で活躍するも、1年や2年で日本へ帰ってしまった。
私のようにずっと海外で医療をやっている人間は誰もいなかった。
だから誰にも頼ることもなく、見らなうべき雛形もなかった。
ただただ、手探りで進んできた18年だったように思う。
私が私なりに開いたこの道は、今は多くの国際医療を目指す医療者達が、参加できるようになった。
一生やりたければ、それも可能だ。
もう、誰も一人ぼっちじゃない。
これから私は、私の国際医療はどこへ行くのだろうか?
自分でもよく分からない。
だから、今でも毎月、最前線に出る。
どこかのNPOの代表のように、日本でいい生活をして、指令だけを出すつもりはない。
私は職人だし、現場を知らない指導者が、国ですら滅ぼしていった教訓を抱えていることは、日本人ならばよく分かると思う。
せめて、最前線で時代のトレンドを感じながら、次の方向をこの体でかぎ分ける。
机上の上では、分からない世界がそこにはあるから。
私は感性の声をだれよりも聞きたいと願っている。
自分の直感を信じ、自分の運命を信じたい。
どんなに状況が苦しくとも、最後には自分は未来にしっかりと立っているのだと信じている。
だから、誰も知らない世界をのぞいてみたい。
そうすることで、誰にも手に入らない感性を手に入れることが出来るかもしれない。
何かが目覚めるかもしれない。
信じられないかもしれないが、私は1月食事を断った。
一切の食を封鎖した。
カロリーは時々のむ紅茶と砂糖が入ったジュースが全てだった。
食塩は、1gも入れなかった。
体はどんどんやせていき、様々な体の変化に苦しんだが、こころの力は格段に上がっていった。
ひたすら自分の体と対話し、こころの声に耳をかたむけた。
何かが変わったかは、今は分からない。
30日間生きていたという実感だけがある。
きっと感性も大きく変化していると信じたい。
何かが変わったはずだと。
これには後日談がある。
本当は、食事をゆっくり1月以上かけて戻すべきだったのかもしれない。
長男が長らく一緒に食事をしていないので、一緒にインスタントうどんを食べたいと言い出した。
快く一緒に食べた。
それから、お構いなしに一気に、食事を普通に戻した。
ミャンマーに帰った今月の21日、体は完全に心不全状態だった。
全身が浮腫んで、足のすねは押すと1cm以上簡単にくぼみが出来た。
手も顔もパンパンになった。
坂道や階段は上がると息切れした。
それでも医療を、手術を最前線で行ってきた。
たとえ倒れようと前のめりに倒れ、手には刀を握り締めて、少しでも前をにらみつけて死にたいのだ。
そして今日、日本に再び帰国した。
今は、良くなっている。
働きながら心不全状態から脱していく方法をいろいろ試した。
支離滅裂だと思うかもしれないが、一応、職業は医者ということになっているから。
今になっていのちかけて何をやっているんだと思うが、そこまでしても欲しい世界がある。
だからいのちをかけて手に入れに行く。
私が何を手に入れたか、これからゆっくり見せていきたいと思う。