ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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医療活動の最近

医療活動の最近

 なんだか最近は、ミャンマー社会からの風当たりがゆるい気がする。
 私が、医療をここではじめたのは30歳のとき、今の病院に拠点を構えたのは38歳のとき。
 あの頃は、ミャンマー社会からの風当たりは結構なものだった。
 近くの大都市マンダレーの大学病院を中心とする医者たちやこの慈善病院のミャンマー人の医者たちですら、
 ”この若増が!!”ってな感じで思っていた節がありありと感じられた。
 
 とにかく歳が行くということは経験と医療技術に長けるということを意味しているアジアの国々では、38才程度の年齢では、経験も中途半端である、すなわち医療技術もたいしたレベルでないと考えていたのだろう。

 あるとき、子宮内膜症を患い、骨盤癒着(卵巣チョコレート膿腫数個と10倍以上に大きくなった子宮、そして膀胱、腹膜、腸が癒着でガチガチにくっついている)状態の患者の手術をした。
 癒着を時間をかけて剥がし膿腫を摘出、子宮を摘出、膀胱を部分切除し、手術を数時間かけてやった。

 これを知った大病院の産婦人科の教授が、産婦人科でもない人間が産婦人科の手術をしたとクレームをつけてきた。このような難しい症例は、大抵、外科や泌尿器の助けを借りてやる。特に、大病院ではそうなる。
 だから、余計に一人で全てやりきったことが、不満だったらしい。

 まあ、しかし、この病院の理事長の僧侶が上手くいなしてくれた。

 こんなことがたびたびあったのだ。
 日本で何の症例をどのくらいやったか書類を出せだのこの手術はするなだの。

 あれから10年。
 今は誰も何も言わない。
 言ってこない。
 ミャンマー社会に溶け込んでしまったのか?
 それとも48歳という年齢は、経験がある歳だと認識しているのか?
 ミャンマーの社会背景が劇的に変化しているためなのか?

 まあ、しかし、どんな状況でも今までやってこれたのは、いつも患者達のおかげだった。
 彼らが、心から私を必要としてくれたからだった。
 それに応えようとし続けた結果、今になっているだけなのかもしれない。

 いつ、ここから立ち去らなくてはならないかもしれない状況は、今でもあるが、それでも何とか足元を見て、一歩ずつ、前に進む。

 医者のやることは、それしかない。
 
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by japanheart | 2013-03-04 02:17 | 活動記録 | Comments(0)