人生の後半は”破壊”を使命とする
2013年 01月 30日
人間なんて所詮、と最近よく思う。
どんなに金持ちになっても日に3回しか飯は食えない。
1日に6時間も7時間も寝なければいけないし、贅沢に使えるお金も知れている。
不思議なことに、お金は使えば使うほど、興奮は薄れ、食べ物は食べれば食べるほど、味が薄くなっていく。
同じように年をとれば年をとるほどに、人生から受ける感動や動揺は少なくなっていく。
どんなに人にほめられ、どんなに贅沢をしても、多分人間は、そんな自分に飽きて満足しなくなる。
齢50を前にして思うのは、困難なことも達成してしまうと人間は感動も興奮も薄れるという性をすでに背負っている、ということだ。
どんなに多くの人間を助け、どんなに世間から評価を得ても、医者も所詮、人間、満足はなくなる。
巷で名医ともてはやされ、持ち上げられて大した収入を得ている人たちも、きっとそんなには満足はしていないだろう。
私は、海外で医療をやり、様々なチャレンジをしてきたが、満足など今の自分にはない。全くない。
大切な時間が少しずつ、失われていく焦燥感があるだけだ。
多くの医療者や社会人が安定した大きな組織や国の組織で働きたいと、躍起になっているがそれを私は覚めた目で見ている。
私ならそんな興奮がない生き方はしないと思うからだ。
あなたなら、世界企業となるためにがんがん坂道を駆け上がっていたときのトヨタにいたいか?
それとも世界企業になった今のトヨタで働きたいのか?
私は明らかに、前者で生きることを選ぶ人間なのだ。
しかし、、というか、そして、気がつけばいい年になってしまった。
感覚では最近まで20代だった感覚なのだ。
これからは何をすれば、興奮して生きていくことができるのだろうか?
どうすれば、日々生きている実感を、自分が存在している実感を自らに感じながら生きていけるのだろうか?
この数年、この問いに悶々とし続けた。
そして、、、、最近、答えを得たのだ。
”破壊”
これが答えだった。
破壊する。
壊す。
過去の自分を破壊する。
過去の業績を壊す。
他人の作り上げてきた仕組みや構造を破壊する。
社会が良しとして、押し付けている仕組みを破壊する。
それを進歩というのではないかと思った。
新しい仕組みや秩序を作るために、過去の古びた仕組みを破壊する。
これが、先を行くものたちの役目ではないか。
こうして人類は進歩してきたのではないか?
破壊する作業は、困難を伴う。
大いなる抵抗に会い、消耗するだろうが、破壊は新しいものを生み出すために行う作業だ。
恐れずに前に進もう。
私達に進化の能力とその遺伝子が組み込まれているとしたらきっと神は私の味方をする。
きっと、興奮し、我を忘れ、感動し、消耗もするだろう。
しかし、多分、この自分の存在を、自らに向かって確かに宣言することはできる。
若い奴らは、栄達を求めればいい。
年をとってどれも、意味のうすいものだと分かるまでは、誰の言葉もきっと届かないだろう。
大した肩書きが腐るほどあるヨボヨボの老人の名刺を見たことがあるか?
腐るほどの財産をため、植物状態になって人工呼吸器でかろうじて生きている老人達の姿を見たことがあるか?
死ぬ前は、肩書きを全て脱ぎ捨て、一人の男になって死にたいものだ。
ここから、私は破壊者として生きる。
まずは過去の自分を破壊する。