証明するという作業
2012年 12月 03日
必ず、現在、証明する必要がある。
何の話?
個人であろうとも、企業体であろうとも、国家であろうとも、存在あるものは現在において、その存在の価値を証明し続けなければ、不安症に陥る。
過去にどんな栄華があろうとも、今落ちぶれてしまえば国家も人も同様に惨めなものだ。そんな人間や国が、過去を誇れば誇るほど、周りは白ける。
私はなぜ、会社や個人でもいいが、事業を拡大したり、本を出したり、ミュージシャンになったりする必要があるのか?と考えた。
歌手になった理由を、歌が好きだからという人がいるが、それは正確ではない。
歌が好きならば、カラオケボックスに行って、毎日存分に歌えば良い。誰も聞いていなくても歌えれば満足のはずだ。しかし、多くの人は、たくさんの聴衆をを望むのはなぜか?
企業も同じ。日本で十分、上手くいっているのにあえて海外に出て行くのはやはり経営の側面以外の要素も十分にある。
日本で十分に成功している。しかし、その状態に至ったのは過去のことだ。成功というある平衡状態が続くとき、人も企業も国家すら、自身の価値を認識できなくなってくる。
常に、新しく自己の存在意義や価値を証明をし続けなければ、不安症に陥るという性癖がある。
それがわかれば、なぜアメリカという国が、あれほど大きな国土を持ちながらも、西へ西へと拡大をし続けようとしたのか、世界の半分以上も支配しながら、未だに世界の警察を気取り、自己の価値観を押し付けようとするのか、理解できる。
それをしなければ、アメリカという国家は、不安症に陥るからだ。
その不安症が、行き着けば国家の存続がぐらつくのかも知れない。
個人も同じ。
過去はともかく、今現在、自分の存在価値を、自己の考えや存在の正当性を社会に認識させ続けなくては不安症になる。
個人で閉じこもってはいけない。個人に閉じこもれば極致は、死を招きいれることになってしまう。
自己の内部を社会に開き、社会と交流し、少しでもあなたの存在は価値があると世の中に返事を返してもらわないといけない。
そうやって結局は、今、自分自身に対して存在価値を証明してあげるという作業を人間という存在はやっていかねばならない。