「やりがい」という厄介なもの
2012年 09月 04日
長く同じ仕事をしていると、人は必ず労力が上がる。
1時間かかった仕事が45分でできるようになる。
難しく感じた仕事が、比較的容易にリズムよくできるようになる。
これがまた厄介なことに、精神的にはパラレルに仕事に対する満足度を減らすことになる。
これが人間の性質ということかもしれない。
例えば、こんな経験が誰にでもあるはず。
とてもいいある曲に出会う。
感動し何度も何度も聞き返しているうちに、あまり感動をしなくなるし、最初に何が良かったのかわからなくなってしまう。
こんな曲との出会いは、恋に似ている。
もし、途中である変化を起こせなければ、やがて恋と同様に消え去っていく。
ある変化とは、悩ましい問題だが、自分にしか起こせない。
恋の相手が起こしてくれることを期待してはいけない。
ましてやいい曲は、全く変化はしてくれない。
例えば、いい曲と出会ったならば、その曲を今度はある楽器で弾いてみる。
特に、やったこともない楽器で弾いてみると、さらに魅力は増す。
恋の話でいうと、何か特別な演出や機会をもうけるということかもしれない。
とにかく、自分の側に変化を起こすということが、ポイントになる。
しかし、多くの人は自分以外(対象)に変化を求める態度が、くせになっている。
そして、この手の人間は、いつも不満を抱えている。
飛行機で、ビジネスクラスに乗っても、ファーストクラスに乗っても、文句を言っている人をよく見かける。
エコノミーの人たちは、その席の横を通りすぎるだけで、うらやましがっている。
そんな感じ。
この手の問題が、私たちの現場でも起こる。
最初は、結構、満足するが、途中から刺激に欠けるようになってくる。
これを解決する方法は、やはりひとつしかない。
自分で、何かを導入すること。
環境のせいにしていても仕方ない。
自分がその場の主導権を持っていなくても仕方ない。
とにかく、その場面で自分が出来うる限り、変化を起こす。自分を中心とした、その物事の関係性や形態を変える。
「やりがい」というものは、変化なしには持続しない。
この変化は、ずっと興し続けなければならない。
まさに呼吸のように、心臓の鼓動のように、止まってはいけない。
静止は許されるが、停止は許されない。
停止してしまうと、その物事との関係そのものが、この世から消えてなくなってしまう。
そして恋は、寂しく終わってしまう。
それを、失恋という。