特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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確率  1億2000万 X 1億2000万 分の 1

確率  1億2000万 X 1億2000万 分の 1

昨年末頃から、患者の数が大きく増加している気がする。
 石巻に日本人スタッフを、無理矢理向かわせた関係で、ミャンマーの医療活動は、医師は私と2名のミャンマー人医師たちになってしまうことがある。

 大きな手術は、主に私がいるときに行うことになっているので、増えて来だした患者たちの手術をまさに捌いていかねばならない。
 1日に15から25件の手術を行わなければならない。
 
 執刀は私たったひとり。助手にミャンマー人医師たちが付く。

 多いときには200名を超える外来患者が押し寄せる。
 とても1日では見切れないので、翌日に振り分けられる。

 日本人の医師に診てもらいたい。
 という希望を無下にもできず、何とか診ていると、時は夕方になってしまう。
 そこから、その日の手術が開始される。

 毎日明け方まで、12時間以上手術が行われ、私は今や宿泊施設にも帰れない。
 手術室の横の、床の上に寝袋をひき、そこが私の睡眠場所になっている。
 約3時間、毎日睡眠をとり、早ければ昼頃から、遅くなれば夕方から手術が始まる。

 宣伝もなく、噂だけを聞きつけ、ミャンマー中から患者が押し寄せる。
 何日もかけてやってくる人たちも多い。
 もっとも多くの患者が来る地域は、病院から車で飛ばして4時間、ほとんどはバスで6時間かけてくる。
 だからなるべく私は丁寧に診ることにしている。
 積極的に超音波検査やX線などを行う。

 在外の日本人たちから一様に、働きが悪いと思われているミャンマー人たち。

 しかしながら、私たちの元にいるミャンマー人は大概、朝から晩まで働いている。
 
 今後、どうなっていくかは全く不明。
 健康に留意してくれという励ましはいつも受けるが、コントロール不能。
 運を天に預ける。

 学生相手に最近、100万人にひとりのプレイヤーになるためにはという講演をしている。
 もちろんそれは彼らが私のことをそう呼んでくれている。
 
 後継者はどうするのか?と良く受ける質問だ。
 何度も何度も受けてきた。

 最近、私は自分は100万分のひとりでないことに気づいた。

 私と同じように、途上国で実際に患者を治療する臨床医療に、長期間、このくらいの密度で没頭している人間は多分、日本にはいない。
 いたら教えてほしい。
 確かに、活動の一部に医療を行ったりしている人はいるかもしれない。
 しかし、それでは、やはり同列ではない。

 私の場合は、日本の大学の小児外科講師をしていたときよりも、格段に医療の技術は進歩している。
 昔の杵柄、で生きているわけではない。
 たとえ途上国で医療をしようと、医療技術が日夜進歩してこそ、臨床医療を本気でやっているといえるのだと思う。
 10年の時を経て、このまま日本に帰って医療をすれば、そのまま通用する。
 大体、10年前の私と今の私では、人間力が全く違う。
 この10年で、仕方なくながらそれほどの経験を頂いたのだと思う。

 この閉塞感たっぷりの日本で、10年以上の期間にわたって、途上国でひたすら臨床医療を続けて来た私の存在は、1億2000万分のひとり、ということになる。

 だから私の後継者が、もしも私の元に現れたなら、奇跡としかいいようがない。

 その確率は1億2000万 X 1億2000万 分の 1 !

 まあ、あり得ないだろう。

 

 

 
 
 


 
by japanheart | 2012-05-06 05:52 | 活動記録