ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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命の話をしよう

命の話をしよう

 今日は命の話をしよう。

 なぜに私は命にこだわるようになったのだろうか?

 ミャンマー、昔ビルマといわれていた国に行ったのは17年前、ちょうど戦後50年目だった。
 私が子どもの頃、大阪の町や近くの駅の地下には、いつも手や足がなく、古い軍服を着て、タートルを巻いた物乞いの人がいた。戦後20年以上もたった頃の話である。

 多分嘘だと思うが、子どもの頃通っていた塾の校長は、自分は神風特攻隊の生き残りだと、私たちに何度か言ったことがある。時代がまだソ連が元気な左よりの頃で余り大きな声では言えなかったのだろうが、どことなくそれが勇敢でかっこいいことだとその校長は思っていたんだろう。

 ミャンマーにはじめて行った頃、多くの現地の年寄りたちが戦争に参加していた日本人たちとの交流や関係を話してくれた。そこには、戦後の偏った教育の中でゆがめられてしまった日本という国に対する概念を全く覆すものだった。

と、同時に戦争に参加した日本人たちに全く同情した。日本人には生きることがつらいこんな熱い国で、戦い死んでいかなければならないという運命に、何とも言えなくなってしまった。

別に私が言ったことではないが、少なくとも大局的に観て、アジアの国々が欧米発の植民地主義から解放され、大戦後に次々に独立していったのは、日本が欧米をアジアから一時的にも追い出し、各地、各国に独立のための組織や志が創られていったからだろう。
 それを全く日本がアジアのためにやったわけではないが、結果的に歴史はそう動いたのだ。

 インドはサンフランシスコ講和会議に参加していないという事実を知っているだろうか?
 インドの首相は、日本なかりせば、30年は独立が遅れただろうと言っていた。
 そしてこの不当な講和会議には、不服として参加せず、その後、独自に日本と講和条約を結んでいる。

 日本は、日本人たちは、何百万人もの犠牲を払い、戦争をおこなった。
 行わなければならなかった。アメリカが不当に経済封鎖し、圧力かけたということだけでなく、今も変わらぬ政治的センスの欠乏からかもしれない。政治を何とかしないと、別の形で今後も犠牲は出るだろう。

 自分で、期せずして、実際の現地人から真実の歴史の声を聞き、そして自ら学び、考え、そして今ある結論に達している。

 それは、
      人間生きなきゃ、だめだ。
 という結論。
少々、惨めでも、恵まれなくても、10代で特攻なんかに行っちゃだめだ。
戦争で散華していった英霊たちに感謝しつつもあえてそう言いたい。

もし時代が変わり同じようなことがあれば、私たちのような世代の人間がまず行く。
だから若い人たちは、命を大切にして人生をもっと楽しまないとだめだと思っている。

国も政治も、人の命を奪っちゃいけない。
アメリカはまだやっているけど、一度、戦争に惨敗してみると悟るだろう。
それまではまだ国としては子どもみたいなもんだ。

私は自分の命の、その大切さを手に取るように認識したいと思っている。
でもそれは健康で生きている限り、難しい。
命という、手に取ることができないものの大切さなど理解できないのだろう、本当は。
でも、ある刹那に、その影を見ることができる。
命なるものの影を。

それは、自らの前に、その存在や健康を脅かされた人がいて、その人たちが亡くなったり、あるいは生還したりしたときに、命というものの価値と存在を感じることができる。

 そして、いつも思う。

 何もかも、何もかもが、生きていればこそ、だなと。
Commented by びるげ at 2012-04-06 14:00 x
人間生きなければダメだ、に賛成です。生きたくても生きていたくても、生きられない命があるのに、生きられる能力の可能性のある人がいきなくてどうするのでしょうか。
Commented by スラッシュ at 2012-04-07 00:44 x
若い時に感じる、独特のナショナリズム。損得を除外する感情。

大人達はそんな若者の心を操り、そして利用するわけです。

そしていつの日か日本という国は、

そんな薄っぺらいナショナリズムさえも消えてしまった。

どちらの若者が幸せだったのか。どちらの若者が輝いていたのか。

それでも生きてさえいればいいのだろうか。

と、かっこつけた話をしてみたくなる時もありますよね。

当然答えは知っていますよ。まさに生きていればこそ、です。

生きて、この日本を創ることこそが、本当のナショナリズムなのですから。


だとするならば、戦争に勝つことこそが、

当時の日本を創ることであったのかもしれませんね。
Commented by レイコ at 2012-04-10 20:37 x
眉間に皺を寄せ無念そうに目を閉じたホスピスでの患者さん
あの時のサインに気付いていたら助かっただろう内科での患者さん
処置もむなしく戻ってこられなかった初療室での患者さん
心が通じ合って時間を忘れるほど語り合った心から信頼していた友人

皆の表情やしぐさをいつでも鮮明に思い出せる
やっぱりその度にぽろぽろと涙する私に、
思うように精一杯生きてみせろと背中を押す
何だ、今日も目が覚めさえすればどうにでもなるじゃないかと力が漲って来る
私の中に感謝の想いが増えていけばいく程に、
今まで積み上げてきた嘗て大事だったもろもろを降ろし、
たったこれっぽっちの軽やかな身ひとつで、
この世の無常をあるがままに受け入れ、
ただ、たった今を精一杯心を込めて生きれるようになった

いつか皆に逢えた時、
「貴方とこの人生で出逢えて良かった。ありがとう」と伝えることを楽しみに、どんな今も楽しんで生きています。

数年前、テレビの特集で吉岡先生を知って以来、ブログを欠かさず拝見しています。
あまりに習慣化しているために、いつかお逢いできるような気さえしています(笑)
これからもジャパンハートを応援しています。
Commented by ゆりかご at 2012-04-13 08:02 x
「・・・にもかかわらず生きていく」
「・・・にもかかわらず生きていかなきゃいけない」
35歳で卵巣がんで亡くなった一人っ子だった友人の葬儀でその友人のご両親を見たときに強く感じたこと。

「なぜ私ではなくあなたが・・・」
友人が病で倒れたときに何度も反芻した気持ち。
昨日の京都での何人もの方が亡くなられた自動車事故のニュースを見たときの気持ち。

生かされていることに感謝しながら自分に課されているであろうミッションを真摯な気持ちで実践していきたいです。
Commented by モモ at 2012-04-13 14:45 x
あるとき、手の甲などに小さな切り傷がいつの間にかできていたりして、母にそのことを愚痴のように言うと、「それは真剣に生きてない証拠」と、ピシャリと言われてしまいました。
病気や怪我もなく恵まれた日常のなか、せめて小さなことから真剣に取り組みながら生きたいです。
by japanheart | 2012-04-06 03:23 | いのちの重み | Comments(5)