解放されない日本の医師たち
2012年 02月 10日
まあ、もっとも、、という感じで今日の話を始めてみたい。
まあ、日本の医者たちも同情すべきことはある。
悲しき寄らば大樹という伝統が強いに日本では、どうしても医局というシステムが封建的な仕組みを大きく組み込みながら温存されやすい。
10年くらい前までは、私は、医局を女医が結婚で辞めるという以外で、穏やかすまなかったケースを何度も見聞してきた。
多分、二度と働けなくしてやるというようなことを言われた医師たちも少なくないかも知れない。
それは単なる脅しに過ぎないけれど、はじめから大樹に寄り添っている人間にとっては、単なる脅し以上の効果がある。
私は今まで、私も若い頃、海外医療をしてみたかったのだという台詞を、多くの医師たちから何十回となく聞かされたものだ。
あの頃本当に多くの医者が途上国に行っていたら、今の私以上に大変役に立ったに違いない。
しかしほとんど誰もいかなかった。
まあ、理由は自分かわいさだったのだろう。
欧米の医師たちは、余裕で1月から3月、休暇を取る。
日本人は1週間でも四苦八苦。
何かが違うのだろう。
まずはそれをかえなければならない。
彼らを少し休ませなさいということ。
医学教育も同じで、何のために医者が存在して、何のための医療かということを徹底的にたたきこまなければならない。
少なくとも金儲けがしたいとか、かっこいいからという理由は、大口たたいて言えないようにしておかねばならない。
税金を投入してなされる教育だから、もちろん社会貢献は当たり前だが、日本の人たちのみに重点を置いて
医療を行うことをよしとするのか、いのちというのは平等に国境を超えて大切にすべきだと教えるのか、国家としてのヒロソフィーを決めなければならない。
人道大国を目指すなら、当然後者になる。
今の多くの医師たちは、国民の守るという意識をあまり持てない状況にあることが多いのではないか?
本来自分でできる健康管理や軽傷の病気でさえ、他人任せにして、日本の保健医療を崩壊させつつある一般、国民たちに決していい印象は持っていないだろう。
予防、予防管理と口うるさくは言うが、結果は、自己管理の放棄のような現状。
かくして医師たちは迷走する。
日本でなかなか大いなるモティべーションを保ちながら医療ができず、医局という仕組みを手放すこともできず、経済的安定はある程度求め、休みは取れず、権威は薄れ、、、、。
まあ、可哀想な人たちだということは確かだ。