2011年 年の瀬 ミャンマー
2011年 12月 26日
今年はどんな一年だったろうか?
色々あったが、人生はそんなものだろう。
昨年くらいからは自分自身の健康のことについて、本気で心配するようになった。
あまりに過密なスケジューリングは避けなければと、いつも考えるようになった。
アフリカと違って、アジアはまだ近いから移動の時間は救われているようにも感じる。
しかしながら月に2回も3回も移動となると、1週間は夜を飛行機の中で過ごすようになる。
そうすると翌朝から仕事ができるからだが、こんなことをしているから、体をこわすのだろう。
現地で手術中は、いつも寝るのが深夜の2時から3時だから、夜をゆっくり休むということがなかなかできない。
昔、健康飲料のコマーシャルで、「ジャパニーズ・ビジネスマン~~、、、、」という歌のフレーズがあったが、最近、この歌を何気なく口ずさんでいる自分がこわい。
当時、日本人はよく働いたのかもしれない。
最近、いろいろなことにおいて感じるのは、
何事も”時を得る”ということが大切だ、ということ。
時を得る、それは時間を味方につける、あるいは流れを制すなどと、言えるのかもしれない。
宮本武蔵は、こどもの頃、佐々木小次郎と決闘していたら殺されていた。
日本はあと3年アメリカとの戦争を引き延ばしていたらルーズベルトが死に、ソビエトの共産主義の広がりを封鎖するために同盟国になった。
いじめられっ子が、10年後、空手家になって、昔自分をいじめた子たちより遥かに強くなった。
短気は損気だから、時を伸縮させ、最高の時節を設定する。
ただし準備を怠ってはいけない。
幸運の神様は後ろ髪がないとは、よく女の人たちが言う話だが、チャンスはそのときに”つば”をつけておかないと後で騒いでも、後の祭りという。
誰だって準備万端で望みたいが、そんなことは人生でそう多くはない。
それをmottoとしていたら、人生ほとんど何もチャレンジしないで終わってしまうだろう。
動きながら、進みながら考える。
考えながら、進む。
転がる雪の塊のように。
転がれば転がるほど、大きな塊になる。
そうやって時間をかけ、時を得れば、最初からは想像もつかないような結果がこの世に生み出される可能性がある。
たった数人で始めたジャパンハートの活動が、今たった8年の時間でこんな風になった。
はじめは傍観しようとしていた東日本大震災の救援活動を、始めたらどれほどの人々にメリットがあっただろうか?
少なくとも今の実力で2年後や5年後の現実を予想しないことだ。
ある人が日本人は”今”にばかりにこだわると書いていた。
欧米人は、そうではないらしい。だから投資をしてもうまくいく。
未来のある時点の別の世界があると折り込みされている。
今を生きることはすばらしいが、それに意識が拘束されすぎて未来を放棄するのはよくない。
私は、今の縁を信じ、いい未来を信じ、前に進みたい。
動きながら考え、考えながら動く。
そうして気がつけば1年前の自分とはかなり違う、能力の自分になっている。
その自分がさらに前へ進むから、さらに大きな可能性が引き寄せられてゆく。
雪だるま、雪だるま。
やがて時を得て、果実が実る。
どうやら始めた頃、想像していた結果と違うようだ。
でも、多分、納得するだろう。
なぜならはじめの想像こそ正確さを欠いていたと、そのときの自分は認識できるはずだから。