特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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宮城県三陸地域の危機的な小児科事情ーその2

宮城県三陸地域の危機的な小児科事情ーその2

 石巻市はご存じの通り、震災でもっとも被害が大きかった場所の一つだが、その被災場所の、中心に石巻市民病院があった。
 300床以上の病院で、一階部分がすべて水没してしまい使い物にならない。
 特に、津波被災地域の中にあり、この同じ場所に病院を再開するかどうかすら疑問視されていた。
 浜辺の近くに無残に破壊された看護師寮があった。たぶんここに住んでいた多くの看護師たちはなくなったと思う。

 私たちはこの病院の復旧こそが地域復興のためには大切だと考え、何度も病院長や行政と折衝を繰り返した。
破壊的になった宮城県や石巻市の経済状況を考えると、病院の再建のための資金を用意するのは簡単ではない。
 国際赤十字から、20億円の資金提供の連絡があったという。
 それを元手に、仮設病院を6ヶ月くらいで立てる予定だった。5月頃の話。
 ところがその後、国際赤十字からはその一部の金額しか出ないことになった。
 ここで再建計画は頓挫する。
 
 外から見ていて、たぶんその後は坂を転げ落ちるような感じがする。
 関係者は努力したと思うが、、。

 最近、病院長に電話をしたら、あまり元気がなかったそうだ。
 なんと病院は平成28年から再開になったそうだ。
 エー、、、5年後って???
 それまでは、細々と仮設でやっていくそうだ。
 今でも患者数はかなり減り、医師や看護師の医療者流失もひどい状態だそうだ。
 宮城県の行政もそれを恐れ、また嘆いている現状がある。
 だから、私たちに診療所の許可を与えてくれたのだ。

 もちろん、たった一人いた小児科医は、すでにやめていてそこにはいない。
 
 もう、市民病院には、小児科は存在しない!

 今、あの地域にはたぶん色々対応できる病院が日赤しかないのだろう。
 今はどのようなサポートが入っているかはわからないが、元々、小児科医4名、ベット10床の小児科のキャパ。

 石巻市、南三陸、登米市、など30万人くらいのカバー人口でベットが10床だった。しかもそのうち4床くらいは赤ちゃん用。

 私が働いていた岡山では、多分120万くらいのカバー人口で300から400床ベットがある。

 要は10分の一。

 私は、現状を理解しながら、何とかしなきゃいけない問題だと認識した。
 
 動かない市民病院、排他的な地域性、少ない医療状者数、そしてもうそこまで来ているインフルエンザや下痢症など、子どもたちを脅かす季節。
 しかも今年は、衛生状況や住民の経済状況などかつてないくらい悪いはず。

 それで、子ども診療所開設と、相成った。

 
Commented by 大分の後藤(妻の方です) at 2011-11-15 09:42 x
先生こんにちは。
先週末、先生のいろいろなお話が聞けてホントに楽しかったです。
次男のことでは、貴重なアドバイスをしていただいて、ありがたかったです。参考になりました。いろいろ思うことがありました。
話は変わりますが、先生は、医者にならなかったとしても、そのたぐいまれな精神力・向上心・行動力で、何になっていても凄い人になっただったろうなと思いながら私はお話を聞いていました。
そして、奥様のエピソード(いっすんぼうし最高でした)今でも思い出し笑いしています。
先生が これからも健康でおられることを願っております。
大分まで来てくださって、本当にありがとうございました。
by japanheart | 2011-11-15 01:17 | 活動記録 | Comments(1)