宮城県三陸地域の危機的な小児科事情ーその2
2011年 11月 15日
石巻市はご存じの通り、震災でもっとも被害が大きかった場所の一つだが、その被災場所の、中心に石巻市民病院があった。
300床以上の病院で、一階部分がすべて水没してしまい使い物にならない。
特に、津波被災地域の中にあり、この同じ場所に病院を再開するかどうかすら疑問視されていた。
浜辺の近くに無残に破壊された看護師寮があった。たぶんここに住んでいた多くの看護師たちはなくなったと思う。
私たちはこの病院の復旧こそが地域復興のためには大切だと考え、何度も病院長や行政と折衝を繰り返した。
破壊的になった宮城県や石巻市の経済状況を考えると、病院の再建のための資金を用意するのは簡単ではない。
国際赤十字から、20億円の資金提供の連絡があったという。
それを元手に、仮設病院を6ヶ月くらいで立てる予定だった。5月頃の話。
ところがその後、国際赤十字からはその一部の金額しか出ないことになった。
ここで再建計画は頓挫する。
外から見ていて、たぶんその後は坂を転げ落ちるような感じがする。
関係者は努力したと思うが、、。
最近、病院長に電話をしたら、あまり元気がなかったそうだ。
なんと病院は平成28年から再開になったそうだ。
エー、、、5年後って???
それまでは、細々と仮設でやっていくそうだ。
今でも患者数はかなり減り、医師や看護師の医療者流失もひどい状態だそうだ。
宮城県の行政もそれを恐れ、また嘆いている現状がある。
だから、私たちに診療所の許可を与えてくれたのだ。
もちろん、たった一人いた小児科医は、すでにやめていてそこにはいない。
もう、市民病院には、小児科は存在しない!
今、あの地域にはたぶん色々対応できる病院が日赤しかないのだろう。
今はどのようなサポートが入っているかはわからないが、元々、小児科医4名、ベット10床の小児科のキャパ。
石巻市、南三陸、登米市、など30万人くらいのカバー人口でベットが10床だった。しかもそのうち4床くらいは赤ちゃん用。
私が働いていた岡山では、多分120万くらいのカバー人口で300から400床ベットがある。
要は10分の一。
私は、現状を理解しながら、何とかしなきゃいけない問題だと認識した。
動かない市民病院、排他的な地域性、少ない医療状者数、そしてもうそこまで来ているインフルエンザや下痢症など、子どもたちを脅かす季節。
しかも今年は、衛生状況や住民の経済状況などかつてないくらい悪いはず。
それで、子ども診療所開設と、相成った。