特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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ミャンマーの事ー仏教

ミャンマーの事ー仏教
ミャンマーに関わって以来11年目に入り、最近つくづく仏教こそこの国の宝だと思います。
その昔、日本でも聖徳太子が、三宝を敬えといいましたが、私の記憶が正しければ、三宝のうち二つは神道と仏教だったと思います。
これは今の日本にとっても同じであると私は思っています。
神道の祝詞、仏教の法典などが大切というよりも、日本人の生き方、考え方などを基盤のところで規定しているのは今でもこの二つのような気がします。
ミャンマーもやはり、考え方や生き方は仏教の影響を色濃く受けています。
ものの感じ方や人生観もすなわち、仏教そのもののような気がします。
私の考えでは、仏教はキリスト教やイスラム教に比べ、世界観が非常に広大なように思います。神の国、神の創った世界というものは、どうしてもそれを想像する人間の意識に閉じ込められます。特に神と人間の関係を中心に全てが作られていっているような気がします。そこではまさに人間が最大の感心事であり、いわば、神と私という二元論的構成になってしまいがちです。しかしながら、仏教はやはり日本に受け入れられた素地として、仏と人間という次元に留まらず多元的に人間を理解していると思います。そこから、他の生き物に対する意識も発達しているのかもしれません。
お釈迦様は、法を作ったのではなく、単に宇宙にあった法を発見した発見者に過ぎません。
おそらく、今までの多くの聖人達も同様だと思うのですが、この広大な宇宙の仕組みやその極限を直観によって一瞬で悟ったのではないかと思うのです。
西洋科学では、少しづつそれを解き明かすという手法ですが、我々東洋人的にはそれは際限ない、不可能な事で、知覚するものではなく智覚することによってのみ解るものだと思います。
ある書物で、近代科学は宇宙の仕組みの1%足らずしか解明していないと書いてありましたが、私に言わせれば人間など宇宙の仕組みの無限分の1にしか解明していないと感じています。
by japanheart | 2005-10-28 08:53 | 随想