患者たちの午後
2011年 09月 28日
私はよく現地の小汚い御茶屋に行く。
そこには、テレビがあって昼間から現地の映画やテレビ番組をやっていることが多い。
だいたいミャンマー人は一杯のお茶で数時間粘ることが結構あるが、さすがに病院近くの御茶屋はそこまでの客はいない。
甘い甘い練乳入りの紅茶を飲み、だいたい川風に吹かれる。
他の席を見てみると、手や足に包帯をした子どもや、顔に包帯をしたおばさんとその子どもらしい幼子が、小さな椅子に腰掛け、テレビを見ながら何かしら食べたり、飲んだりしている。
ミャンマーの患者たちは、優雅なものだといつも思う。
ひとつには日本のように体中に管の入った患者が少ない。
それほどの程度の患者ならば多分、既に死んでいるのかもしれない。
結構、しっかりした患者が多いのかもしれない。
みんな体に包帯巻いて、昼間から飯をたらふく食べ、おしゃべりをして、夜は9時には消灯。
患者たちには食事の無料券がジャパンハートより配られる。
1日に1ドル25セント程度。
これで本人の食費はまかなわれる。
まあ、ぐったりして川風に吹かれている私を横目に、まあまあの患者ライフを送っている人が多い。
日本の患者たちもこのくらい自由になれたら良いなと思う。
これからは病院を中心に巨大なショッピングモールを作れればいいのかも。
包帯をあちこちにした患者たちが、食品売り場やレンタルビデオ店に普通にいる街が良いなと思う。
病院にいてテレビばかり見てないで、少し出かけることが可能になればきっと長期入院の人たちも狭い世界の中で、人生を浪費したという感覚は薄れるような気がする。
人生は日常生活こそが、贅沢な空間。
それを病という環境の中へ持ち込めれば良いなと思う。