少女の歴史が変わるとき
2011年 08月 25日
6歳の時、左頬に感染を起こした少女がいた。
もちろん、医療が村人たちから遠い時代、彼女はその他の村人たちがそうするように、伝統治療の塗り薬で
その部分を治療しようとした。
おそらくひどい感染とその薬の影響だろうか、左の頬の三分の二が融けて消えてしまった。
歯茎と奥歯までもがむき出しになってしまった。
その後も、お金の問題を含む様々な理由で医療を受けれないできたんだと思う。
今、19歳の彼女はある日、ジャパンハートの外来にやってきた。
あまりの酷さに、これは無理だと思った外来をやっていた医者が、そう言って帰そうとした。
その時、通訳のミャンマー人が、結論を出す前に私に一度診せるようにと言って、彼女が私の前にようやく座ることになった。
彼女は上手く発音できない、とても発話が聞きにくい。
左側の頬がなくなり、歯も明らかに本数が少なく、大きさも生え方もいびつになっている。
それから、多分、言葉では言われぬような悲しい思いをしてきたんだと思った。
彼女の声は、虫の鳴くように、すごく小さくか細い。
声の大きさは、その人内面の状況と比較的相関する。
私は全く自信などなかったが、手術をすることを決心し、彼女と母親に告げた。
2ヶ月後、彼女は手術のために入院してきた。
この2ヶ月間、多分、彼女とその家族にとっては、今までにないような充実した毎日だったと思う。
人間が明るく生きていくためには、希望が必要だ。
きっと誰もが、無理じゃないと思ったに違いないけど、私には何となく上手くいくような気がしないでもなかった。
出会ったその時から、自分にはできるかどうか何となく分かるものだ。
できないときには、イメージもわかない。
これは格闘技やスポーツでも同じかもしれない。
向かい合ったその時に、勝負がついている気がする。
手術は数時間かかったが、何とか、何とか、上手くいった。
私は今回、本当に感じたことがあって、それは、どんなにすばらしい技術や力があっても、
結局、それを使える環境にいなければ、あるいはそれに出会わなければ、ないのと等しいということだった。
私より、上手い医者は日本には腐るほどいるかもしれないが、ミャンマーにいて彼女に手術をする機会に縁がなければ、彼女にとってはこの世にいないのと等しい。
少しくらい腕は悪くても、自分の手術を施す人間の方が現実なのだ。
このまま感染が起らなければ、彼女の歴史は、家族をも巻き込んでこれから大きく変わる。
19歳までの、悲しく自信も明るい未来も描けないような人生とはおさらばだ。
残りの人生何十年もある。
うらやましい。
きっと恋人でもできてくれたらいいなと思っている。