村へ帰る
2011年 08月 12日
村へ帰る、と連絡が入るといつも二つのことを考える。どちらも良いことはない。
一つは、患者は死にかけている。だから家族が死ぬ前に、村へ連れて帰って村で死なせたい。
ミャンマーでは、村の外で死んだ人はその村へは入れない。
不幸を持ち込むからという、慣習だ。
二つ目は、患者の治療がもうこれ以上の改善を望めないというとき。
一番多いのは、がんの患者で、がんと診断されれば、静かに村へ引き上げてゆき、死ぬのを待つことになる。
がんであることは、この国では確実な死を意味しており、宣告自体、まともになされることは少ない。
前回のミッションで私が手術をした、背部腫瘍の男性がいたが、10cm以上の大きな腫瘍で、多分皮膚がんだろうと、予想していた。
もうそれ以上の治療は、この人の経済レベルではできないだろうと、腫瘍の段端から5~6cmほどは少なくとも皮膚をくっつけて取り、願わくば腫瘍の再発が少しでも遅れますようにと、祈りながら手術を行った。
背中には大きな皮膚欠損が残り、医療用の包皮材でそこを覆い、時間を待っていた。
結果は予想通り、がん。
そして近日中に、村へ帰ると連絡があった。
まあ、情けないことに医療者はこの様なとき、一体何をすればいいのだろうか?
治療をできなくなった医者など、翼をもがれた鷹のごとくである。
こうやって私は今までなんども自分の無力を感じてきた。
こうやって村へ帰られてしまえば、寄り添うことすらできない。
現実はこんなものだ。
助かる人もいれば、そうでない人もいる。
しかしながら、悲しいかな医療というものは全ての病気と対峙することを意識的に義務付けられている。
だから、いったんはどのような病気であれ、向き合わなければならない。
良い面とそうでない面、人生どちらにフォーカスするかにかかっているかもしれないが、私はいつもマイナス面にフォーカスする。
だから治療が上手くいった患者たちの顔は、ほとんど思い出せないのだ。
最近知り合う多くの若者たちが、本当に病気で苦しんでいる人たちを救いたいと、医療者を目指しましたと私に告げるのだ。
私は苦笑いするしかない。
そこにはかつての私がいる。
そして、どうぞがんばって医者や看護師になって、患者でなく、まず、私を救ってよと思ってしまう。
一人ひとりの人生には、二つとない大切なストリーやヒストリーがある。
それを知れば知るほどに、悲しみもまた深くなる。
この男性は、どのような少年時代を過ごしたのだろうか?
彼の子どもたちは、どんな子どもなのだろう?
父親の病気にどう付き合ってくれるのだろう?
村へ帰り、あとどのくらい生きて、最期はどのように死んでゆくのだろう?
そして亡くなった後、奥さんや子ども、家族はどのような人生を歩んでゆくのだろう?
医療を通して垣間見える人生は、等身大のその人や家族のそれを見せてくれる。
私には結構、重たい現実だ。
悲しいかな、そういう現実を、年々歳々、分かるようになってきてしまった。