そして再び、気仙沼
2011年 05月 08日
ミャンマーから帰って、2週間ぶりに気仙沼を訪れた。
来るたびに、被災地は徐々に落ち着いている。
目の前を、サッカーボールを抱えた子どもが自転車に乗って通り過ぎる。
一方で、被災地の避難所で生活する人々はかなり疲れてきたらしい。
それが表情から手に取るようにわかる。
どうすればいいのだろう?
健康をそんなに害している様子はない。
自由にならない生活。
仕事が出来ない生活。
将来への不安を抱える生活。
それを抱え込んでじっと耐えているように感じる。
こんなこといつまで、させているのだろうか?
あと何ヶ月待てば、何がどう変わるのだろうか?
国は、行政は何をどうしてくれるのだろうか?
少しでも早く、何がしかの指針を知らせてあげてほしい。
ゴールを。我慢しなければならないゴールの日にちを知るだけで人は少し楽になる。
今回の大災害で、行政の機能は、国・県・市、すべての単位で麻痺した。
そして医療は、日赤をはじめとするさまざま医療機関へ丸投げされた。
しかし考えてもらいたいのは、彼らは今まで普通に診療していた医師たちであり、病院経営をしていたに過ぎない面々なのだ。
それにいきなり、長期的視点に立って医療行政をさせてもうまくいくはずがない。
そのゆがみはや機能障害はいたるところに出ている。
今回のことで、官といわれる分野の人たちは、もう一度大いに反省してほしい。
民のための官なのに、民が苦しんでいる。
どんなことがあっても麻痺しない仕組みづくりを、作り上げなければならない。
すべては人が織り成す景色。
どの分野も、一部の利権によって、人がうまく育たないことがあってはいけない。
もう一度、根幹から国を作り直す覚悟がいると思う。
でもやらねばならない。
ここで私たちが踏ん張って、子孫には同じ轍をふまさないために。