正念場の今から
2011年 04月 02日
4月は、今回の災害に対しては鬼門の時期になる。
4月は医療者がもっとも固定される時期だ。
新しい就職先へと移動し、無理を言うことができない。
大抵の職場は、新人の医療者の数が増え、指導のために手を取られる。
そのため、おそらく東北地方へ向かう医療者の数は減る可能性がある。
緊急性を謳い、現場に駆けつけている医療組織もそれそろ自分の病院でのローテーションが苦しくなる時期だ。
既に現場は、緊急状況を脱しているから、どのような調整をして、どのようなコンセプトを持って現場に援助を続けるのかが、今後大切になる。
どこに、どれくらいの、どのような医療者を、しかもいつ投入したらもっとも効率的なのかを考えている人間は現時のところ日本にはきっと一人もいない。
全体を把握している人間が存在していないからだ。
こういうときに本当に全体を把握して、人的資源を有効に使える指示を出せる人間が存在していたら、長期的にはきっと被災地は大いに潤ったに違いない。
違いない、と私が言うのは、既にその希望がないからだ。
今をもって、医療者が無駄に余っている地域もある。
そんなにたくさんの人はいらないだろうとおもえる過剰な医療サービスをしている地域も存在する。
それを、もっと先に投入することができればどれほど良いだろう。
備えなく、想像を超えた何かが起こったとき、人は思考停止する。
特に、慣例主義の、日本の官僚機構は、このような状況は苦手だ。
政治家は、後手後手に回っているような気がする。
多くの人は言わないが、少し言わせてもらいたい。
この後、本当に人々を悩ますのは、何だろうか?
多分すむところが仮設住宅になったりすることではない。
長期間でみたとき、私はきっと、多くの人々が知らぬ間に、もっとも苦しむことは、やることがないことだと思う。
震災までの生活では、例えば若い人は、仕事をして、お年寄りも家で毎日やることがあった。舟を失い、仕事を失い、たとえ食べることができても、住むところを与えられても、毎日毎日、食べて寝るだけの時間を送ることは耐え難くなってくる。その生活では、生きる気力が萎えてくるのだ。
若い人たちにはそれなりに、お年寄りにはお年寄りなりに、毎日やること、やるべきことがなくてはならない。
だから国は一日も早く、若い人には雇用のみちを開かなくてはならない。舟を失った人たちにも、何とかもう一度、チャンスをあげてほしい。お年寄りには彼らが生きるべきコミュニティーを小さくても良いので守ってあげてほしい。もちろん子どもたちには、安全な学校への復帰を進めてもらいたい。50年に一度の大きな災害ならば50年で国民は苦しみを分かち合うだろう。そんなことは、消費税を上げることよりは余程、納得できる。
人はどんな状況になっても、生きる意義を、意味を感じて進まなければならない。早くそれを被災者の人に、取り戻さなければならない。過剰な、あるいはピント外れの援助がこれから、始まるかもしれない。
人もお金も、何もかも、しっかり配分できるかどうか?
日本が、ずっと昔から、失敗を繰り返してきたことだ。
今回も希望薄かもしれない。
4月2日 現在 第37次隊派遣 派遣スタッフ 139名