悲しい津波
2011年 03月 15日
ミャンマーにいた。今日、日本に着いた。
ネット環境の悪さを恨めしく思う。
全く情報が遮断され、ミャンマー人たちが日本が大変になっているらしいと国際ラジオの放送から教えてくれた。
日本を大型の津波が地震の後襲ったらしいと。
10メートル規模の津波らしいと。
私は数年前のミャンマーの津波で、その恐ろしさを目の当たりにしていた。
15万人くらいが亡くなったという、数年前のサイクロンナルギス後の津波の記憶。
それが日本で起こったとするとどうなるのだろうか?
現地の空港のテレビに映し出されていた日本の津波は、全てを飲み込んでいた。
こころが曇った。
旧都ヤンゴンに着いた。
わずかな時間を過ごし日本へ向かう。
空港で数組の日本人たちが、津波の話をしている。
どこかで手に入れたらしい日本の新聞を片手に、身振り手振りで、津波の話をしている。
時折、笑い声がする。
私は気分が重くなった。
現状を見たことがない人間にはその恐ろしさや悲しみなど分からないのだと、改めて思う。
多くの人が亡くなっているという数字やダメージを受けた建物を見たいるだけでは、ほとんど人間の感情や境遇は理解できないのだと思った。
人にはこころにも、常に、体温が必要だ。
津波は、そのほとんどの人を即死させる。
そんな悲しいストリーをここで、何度も聞いたことか。
ひとりの人間を助けることに四苦八苦している私には、一瞬にして多くのいのちを奪ってしまうような、こんな状況に、呆然としてしまう。
亡くなっていったひとりひとりには、どんな人生のストリーがあったのだろうか。