患者を想う、子どもを想う
2010年 08月 19日
最近、特に忙しく、日本でも動く。
現地の患者たちと相対する機会が少なくなっている。
医者の部分の私は、いつも少し後ろめたい気がしている。
もっと時間を取って、少しでも彼らのために働きたいと思うのだ。
交通費を借金してでも遠くからやってきて、あの椅子で待っている彼らの姿は、いつも私のこころの中にある。
私がいなくても本当にいい医療が彼らに提供できたら、これほどうれしいことはない。
そのために少しでも多くの優秀な医療者が、単に名声のためでなく、この活動に参加してくれればと願うのみだ。
こういう活動は、他人に誇ってはいけない。
そっとして、自らに医者を志したものにとっては当然の行いのひとつと位置づけることだ。
こういうことをむやみやたらに垂れ流して自慢しているのを見ると、馬鹿な行為だとさげすんでしまう。
これから出会う患者たちに、少しでもいい医療が行えるように、私は私以外の人間を鍛えることにしたのだ。
振り返れば、日本ではうちの長男が5歳にして、保育園に行きたくないと登校を拒否っている。
うちの妻にはさんざん泣きながら、お母さんには理由は言わないといいながら、どれが本当か知らないが1時間ほど多くの理由を言っていた。
(本当はどうもプールが苦手らしい?)
お父さんには理由言ってもいいかもということで、私と2人車に乗り込んで30分ほど走った。
たとえ小さくても男と男は、何となく距離がある。
私と父親もそうだった。
30分間、何も話さなかった。
黙って前を見ながら夜の道を走り続けた。
車を降りたとき、私が日本にいるときは、保育園を休んでもいいと言った。
1日中、一緒にいてあげるからと言った。
その代わり、私が帰らないときは行くしかないと伝えた。
たとえ小さな子どもでもいやなことを無理矢理することはないと私は思っている。
でも正しく誘導するには時間の共有が必要だ。
私には時間がなく、今は子どもと多くの時間を共有できない。
子どもが納得するまで一緒にいたいのだが。
ああ、外国でも日本でも私には時間が不足している。
大切な患者たち、私の妻や子どもたちにどうすればもっといい時間をプレゼントできるのだろう。