志という言葉
2010年 06月 30日
先日、ある国会議員と話をしていた。
そこで彼が,「志」をもっている議員がもっと増えればと言っていた。
選挙の都合上、どうしても選挙区の評判が大切だ。
しかし、正直に言うと、国会議員が地元に利益を還元したり、誘導したりということはもういい加減にやめてほしいと思っている。
それをしたければ、県会議員か市会議員、知事や市長になってやってほしい。
国会議員はもっと大きな枠組みに取り組む仕事で、ある場所に利益を誘導することが仕事ではない、と思うが。
そこにも「志」が必要になる。
今、日本人は、市民とか県民という意識を度外視して、本当に国民というレベルで苦しんでいる。
どうか、国民を救ってほしいと思う。
国民を救うことが,日本を救うこと。
実際、私はこの議員に期待している。
既存の権力構造や枠組みを打ち破り、新しい「かたち」を造る時期に来ている。
私が選挙に出ることは生涯ないが、こういう「志」のある人は応援してゆく。
それが日本のためだと思えば,躊躇はない。
私は政治家にはできないことがあると思っている。
医師も芸能人も企業家も弁護士も,政治の世界に転身する人も多いが、私は私で,転身などしなくとも今の私の立場でできることが,山のようにある。
様々なレベルで、社会に働きかける。
そして、こういう「志」のある政治家とときに、何かができればいいと思う。社会のために。
政治家たちは、揚げ足取りの、揶揄合戦をしている暇があったら国民生活をミクロの視点から知るということに時間を使ってほしい。すなわち、個人の人生に焦点を当て知る、という時間を持つということ。
国民は揶揄合戦をさせるために、あなた方を選んだわけではない。
私は多少のミスはいいと思う。人間だから。
その代わりそれを踏まえて、どうか社会のために少しでもがんばってほしい。