大病に関して
2009年 11月 12日
生まれつきの異常、すなわち奇形や疾患のことだが、
例えば、口唇裂、多指症、顔面の形成異常、その他もろもろ、こころに大きなストレスを与えるもの。
身体の方は、心臓病や腎臓病、小児のがん、などなど、それらを大病としてイメージしている。
このような病気に苦しむ子どもは多い。
誰のせいでもない、多分、この異常の発現は本当に心が痛む。
このような異常の発現に関しては医者は決して子どもや家族に最大限の注意を払わなければならない。
また、その後の状況に関して、何が起こっても子どもを責めてはいけない。
と私は思っている。
いい医者に出会えるかどうかは、運みたいなところがある。
しかし患者側からすると、どの医者もいい医者なのだということを信じることからしか、医療を受けることが始まらない。
その医者がいいかどうかは治療を受けてみて初めて患者側には、なんとなくわかるものだから、初めからは多分わからないだろう。
むかし、5歳のある子どもががんになって、目に転移を起こし、見えなくなってしまった。しばらく子どもも混乱し、性格が変わるほどに当たり散らしていた。しかししばらくして少しづつもとのように安定した性格になってゆく。
当時の私には、どのような状況になっても、正しいこととそうでないことは、子どもに親や周りは教えなければいけないと思っていた。
しかし、今はそうは思わないようになっている。
この子どもがあるとき、目が見えないのに病棟から突然、消えていなくなってしまう。
大騒ぎになり、皆が必死に探す。1時間以上探し倒した時、ようやく倉庫のもの陰にかくれていた子どももが発見される。一同、そっと胸をなで下ろす。
私の上司の医長が、大きな声で、本気になってその子を怒った。私も親も看護師たちも、それは仕方ないことだと、あるいはこの子は今回は悪ふざけが過ぎたなと、いう思いで、その光景を静かに見守った。
しかし今は思うのだ。
本当に悪ふざけが過ぎたのだろうか?
目の見えなくなってしまった、つらい治療が続く、この子の立場に立った時、その行為は一体、何を意味していたのだろう?
今の私はどうするだろう?
今の私なら、笑ってその子を抱きしめようと思う。
どこに隠れていたのか?どうしてそこを選んだのか?その時どんな気もちだったのか?わくわくしたか?そんなことをいろいろ聞いてあげたいなと。
そして、また次の日も、その次の日も、その子が飽きるまで少しの時間でも見つけそれに付き合いたいと思う。
医療とは、一体どうあるべきだろう?
大病にある子どもには、ことばを選ばなければならない。
大病にある子どもには、こころを砕かなければならない。
これがいい加減な医療者は、やはり少しおごりがあると思う。
おごりは自信と少し違う。
このことをいつも肝に銘じておきたい。