本当のところ
2009年 11月 06日
先日の脳瘤の1歳の子どもの手術が無事終えられ、患児は順調に回復に向かっている。
頭蓋骨を開け、脳の表面を擦るように剥しながら、生まれつき開いた大きな骨の空洞を塞ぎ、そこから眉間の皮膚直下へと飛び出した余分な脳を切除した。
国立病院機構岡山医療センターの院長をはじめ脳外科・形成外科・小児外科・麻酔科の医師たちや看護師、その他の病院事務方のスタッフの努力には大変感謝している。
手術中にも丁寧にそして大切に、頭蓋骨を修正、最接合する際、ミャンマー人のこの子にとっては身に余るほどに高価な資材を使っていただいたともおもっている。
私は、本当はこの子には、最低の質の資材でやってもらいたかった。それが本音だ。
この子は、日本に来て、手術を受けられただけでも幸運すぎるほど、幸運だと思っている。
だから、日本人が受けるほどの医療を受けさせる必要もないと思っている。
ただ、何とか治ればいいというのが私が目指したところだ。
もし、少しでも値段が安く済んでくれれば、この子に投資した分の少しでも残し、別の子どもをまた来させて、手術してもらいたいというのが、私の本音だ。だからこの子や親には、最低限で我慢してもらいたい。皆が少し我慢することで、少しでも多くの子どもが幸せになれる可能性がある。
この病院は、本当に親切なことに、あらゆる手を尽くし、なるべく安く医療をこのような海外の子どもにも提供してくれている。
今、その存在意義を問われている国立病院が、目指すひとつの形だと思う。
国立病院の使命は何なのか?
私立や市民病院と何が違うのか?
その答えのひとつが今回の試みかもしれない。
海外から見たとき、国立病院が動けば、日本という国が、いのちというレベルにおいて、海外の子どもたちにもできうる限り、手を差し伸べるという宣言になる。
そしてその動きそのものが結果的に、内に向かい日本人たちを勇気付ける。