あるミャンマー人の言葉を頼りに
2009年 10月 27日
ジャパンハート設立前の話。
私の仕事は医者である。
実際の患者を治療する医者である。
私の活動に反対するある日本人は否定的な意味も込めて来日したあるミャンマー人の女性にこう言ったそうだ。
「ミャンマーでも外国人が、ミャンマー人を治療して亡くなることをどう思いますか?それは迷惑ではないですか?」
それに対してミャンマー人の女性はこう答えたそうだ。
「ミャンマー人はたとえ亡くなっても、受け止めます。なぜなら、多くのミャンマー人が医療を受けられずに亡くなっています。どれほどその家族も残念なことでしょう。おそらく多くのミャンマー人たちがその人たちに感謝することでしょう。」
その日本人は黙ったそうである。
この言葉は、今でも私を支え続ける。
それでもいろいろなことは起こるのだ。
そのたびに全てほり投げてやめてしまいたくなる。
しかし患者たちが、私の元へ何日もかけてやってくる。
最後の頼みだとやってくる。
そのたびに、彼らの悲しみを知る。苦しい環境を知る。
それを本当に知れば、やめれるわけはない。
だから何があっても、現地のミャンマー人スタッフは私を守ってくれる。
彼らは自身の国の状況を本当に理解しているからだ。
私に何ができるだろうか?
せめて自身を研ぎ澄ますしかない。少しでもミスを減らすために。
誰が何と言おうが、たとえ原理的といわれようが、緩めるつもりはない。
私が最後の砦なのだ。
私の緩みは拡大再生産され、やがて大きな影を落とすことになるだろう。
それほど自信があるのか?
ある分けない。あるわけなどないではないか。
患者の様態が変化したとき最もオドオドしているのは若い医者や看護師ではなく、この私だ。
何人も患者をとりこぼした人間は、誰でもこうなるのだ。
私の代わりをしてくれる人がいれば、いつでもこの席を譲る。