獲得されしもの
2009年 08月 07日
前回のブログのことを再び違う角度から述べてみたい。
大切なことだ。
実際、ミャンマーの医療活動地で生活するのはほとんどお金はかからない。
女の人なら、野菜と一日にお米一号程度、そしてお水とふりかけ、卵一個、たまにインスタントラーメン、というのが毎日の標準。
それで、活動期間中、平均6ヶ月滞在するので、そんな感じで生きている。
多くの人は、人生で初めての経験。
肉や動物性の蛋白はほとんどないような感じ。しかし、みなすこぶる元気に朝から夜中まで働き、生きている。日本にいるときはこんなに元気に働けなかった。
この生活をするまでは、今の日本人から見ると、こんな貧粗な食事で大丈夫かと思うかもしれない、健康が損なわれるのではと、不安を感じた人もいたと思う。
結果は、全く逆になる。今の日本人は、飽食で過食だとわかる。
ジャパンハートは、無償・無給で最低1年半は働かなくてはならないが、あるとき働き始めて6ヶ月くらいの看護師たちからこんなことを言われたことがあった。
彼らは現地にいた後、日本に帰国、国内の僻地・離島研修に出発する前だった。
彼ら曰く、「現地では食費はどんなにかかっても1月1万円程度ですが、日本ではそうはいきません。
何もかも物価が高く、経済的に不安です。ですから何かしら生活費のサポートのようなお金はいただけないのですか?」というような内容だった。
私は応えて曰く、「毎日、米と塩と、味噌と少々の野菜と水で生きなさい。1月1万では余り過ぎるから。」
彼らは何も言えなくなる。
もちろん私は本気で言っている。
彼らはまだ気付いていない。
私はお金などほとんどなくても生きていける力をすでに彼らに与えていることを。
お金をもらうより、もっと価値ある力を与えているのだ。
与えてもらったものの価値がわからないから、感謝もない。
そして不遜にも、こんなことを言うのだ。
情けない奴等だ。
人生を、世の中を、本当に賢く渡っていくために、あらゆる本を読破し、世界中の知識を集めることなど、短い人生の中で多くの時間を手段のために、費やすことは、愚行だとわかっているだろう。
それより、多くの本を読破しなければ獲得できない知識を持った人間と同じレベルの知恵を身につけることが、人として賢い人間のすることだ。それには、そんなに多くの時間は必要ない。ただし、体験はそのために必要になる。
ミャンマーで彼らが得たものは、質素な食事でも十分生きていける知恵と体験。
彼らの食に対する、栄養に対する不安は体験によって塗り替えられたのだ。
私が言いたいことは、世界中の書物を読もうなどという愚行はするなということだ。
甲状腺の手術を行うのに、首にあるあらゆる解剖や生理を覚える必要などないのだ。
知識はわずかでいいのだ。
あとは体験によって、いくつかのポイントを知れば、手術はたいていの人間でも行える。