脳瘤の子ども、退院す
脳瘤の子ども、退院す

 日本に連れてきた脳瘤の子どもが昨日岡山の病院を退院した。
 青山院長をはじめとする、国立病院機構の皆さんには心からお礼と敬意を払いたい。

 この日行われた記者会見で、目の前には10台以上のカメラが並び、記者たちが子どもの元気な様子を見守っていたが、私が放ったこのコメントの深い意味を汲み取ってくれた真のジャーナリストが何人いただろうか?
 私は次のように言ったのだ。
 「この子の親にも言いましたが、この子は多くの病気の代表として日本に来て治療してもらいました。今回の経験で、同じ手術は現地でできませんが、許された現地の環境の中で、どうすれば同じ病気の治療が可能になるか、我々にはそのための多いなる学びの経験でした。」

 この子の後ろには同じ病に苦しむ、何万人もの同じ病気の子どもたちがいるということを、そして今回の経験がその多くの人たちに微かな光を与えたものだということを理解してもらえたのだろうか?
 今回の14時間に及ぶ手術を100点とすれば、80点の手術を2.5時間で私は達成しなければならない。しかも麻酔は、とても同じにはできない。

 病に苦しむ、貧しき多くの人たちの現状と私の決意。

 
 昔、まだ祖父が生きていた頃、小学生の私に祖父がこう言ったのだ。
 「技術をつけなさい。技術は誰にもとられない。」

 そして、私は今思うのだ。
  「技術は他人に盗まれてこそ、そして、盗んでこそ意味があるのだ。」

 脳瘤の技術をしっかり盗ませていただきました。





# by japanheart | 2009-11-21 22:57 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)
さみしい気持ち
さみしい気持ち

ここには何人もの長い期間、治療をした患者たちがいる。

昨日ひとり。
明日ひとり。

その患者たちが治療を終えて帰ってゆく。

長い時間、いいことも辛いことも見てきただけになんとなくさみしくなる。

手術をしている時、麻酔の聞いている間、遠い意識なかで、何度もその子は、もうこんな辛い治療はしませんといいながら、つぶやいていた。

手術後、強い痛みに一晩中、泣いていた。

共に6回も7回も手術を受けた10台の子どもたちだ。

この子たちのその苦しみや背負って来た悲しみが、薄らいでゆく。
完全にいわゆる普通にはならないが、ずいぶん良くなった彼らの姿かたち。

ただそれだけで、ずいぶん堂々としていて、すがすがしく見える。
彼らはこれからきっと上手くいく。
そんな予感がする。

「先生がよければ、私はもうこれで充分です」 という彼らの謙虚さに申し訳なくなる。

彼らの人生が花で満たされますように。

# by japanheart | 2009-11-17 03:27 | 医者の本音 | Trackback | Comments(2)
11月23日13:00 パソフィコ横浜
11月23日 13:00 パシフィコ横浜

 珍しく一般向けに講演会をします。
 
 日本小児科学会が主催する 子どもの人権20周年記念 の講演です。

 日時・場所は11月23日 13:00 パシフィコ横浜。

 参加費無料です。

 私以外に4名の小児関係の人が、講演します。
 (私は60分・その他の人は各30分です。)

 休日ですので、お時間のある人はどうぞ。
# by japanheart | 2009-11-17 03:11 | 講演会 | Trackback | Comments(0)
大病に関して
大病に関して

 生まれつきの異常、すなわち奇形や疾患のことだが、
例えば、口唇裂、多指症、顔面の形成異常、その他もろもろ、こころに大きなストレスを与えるもの。
身体の方は、心臓病や腎臓病、小児のがん、などなど、それらを大病としてイメージしている。

 このような病気に苦しむ子どもは多い。
 誰のせいでもない、多分、この異常の発現は本当に心が痛む。

 このような異常の発現に関しては医者は決して子どもや家族に最大限の注意を払わなければならない。
 また、その後の状況に関して、何が起こっても子どもを責めてはいけない。
と私は思っている。

 いい医者に出会えるかどうかは、運みたいなところがある。
 しかし患者側からすると、どの医者もいい医者なのだということを信じることからしか、医療を受けることが始まらない。
 その医者がいいかどうかは治療を受けてみて初めて患者側には、なんとなくわかるものだから、初めからは多分わからないだろう。

 むかし、5歳のある子どもががんになって、目に転移を起こし、見えなくなってしまった。しばらく子どもも混乱し、性格が変わるほどに当たり散らしていた。しかししばらくして少しづつもとのように安定した性格になってゆく。
 当時の私には、どのような状況になっても、正しいこととそうでないことは、子どもに親や周りは教えなければいけないと思っていた。
 しかし、今はそうは思わないようになっている。
 この子どもがあるとき、目が見えないのに病棟から突然、消えていなくなってしまう。
大騒ぎになり、皆が必死に探す。1時間以上探し倒した時、ようやく倉庫のもの陰にかくれていた子どももが発見される。一同、そっと胸をなで下ろす。
 私の上司の医長が、大きな声で、本気になってその子を怒った。私も親も看護師たちも、それは仕方ないことだと、あるいはこの子は今回は悪ふざけが過ぎたなと、いう思いで、その光景を静かに見守った。

 しかし今は思うのだ。
 本当に悪ふざけが過ぎたのだろうか?
 目の見えなくなってしまった、つらい治療が続く、この子の立場に立った時、その行為は一体、何を意味していたのだろう?

 今の私はどうするだろう?

 今の私なら、笑ってその子を抱きしめようと思う。
どこに隠れていたのか?どうしてそこを選んだのか?その時どんな気もちだったのか?わくわくしたか?そんなことをいろいろ聞いてあげたいなと。

 そして、また次の日も、その次の日も、その子が飽きるまで少しの時間でも見つけそれに付き合いたいと思う。
 医療とは、一体どうあるべきだろう?

 大病にある子どもには、ことばを選ばなければならない。
 大病にある子どもには、こころを砕かなければならない。

 これがいい加減な医療者は、やはり少しおごりがあると思う。
 おごりは自信と少し違う。
 このことをいつも肝に銘じておきたい。


 
# by japanheart | 2009-11-12 10:56 | 活動記録 | Trackback | Comments(3)
本当のところ
本当のところ

 先日の脳瘤の1歳の子どもの手術が無事終えられ、患児は順調に回復に向かっている。
 頭蓋骨を開け、脳の表面を擦るように剥しながら、生まれつき開いた大きな骨の空洞を塞ぎ、そこから眉間の皮膚直下へと飛び出した余分な脳を切除した。

 国立病院機構岡山医療センターの院長をはじめ脳外科・形成外科・小児外科・麻酔科の医師たちや看護師、その他の病院事務方のスタッフの努力には大変感謝している。

 手術中にも丁寧にそして大切に、頭蓋骨を修正、最接合する際、ミャンマー人のこの子にとっては身に余るほどに高価な資材を使っていただいたともおもっている。

 私は、本当はこの子には、最低の質の資材でやってもらいたかった。それが本音だ。
 この子は、日本に来て、手術を受けられただけでも幸運すぎるほど、幸運だと思っている。
 だから、日本人が受けるほどの医療を受けさせる必要もないと思っている。
 ただ、何とか治ればいいというのが私が目指したところだ。

 もし、少しでも値段が安く済んでくれれば、この子に投資した分の少しでも残し、別の子どもをまた来させて、手術してもらいたいというのが、私の本音だ。だからこの子や親には、最低限で我慢してもらいたい。皆が少し我慢することで、少しでも多くの子どもが幸せになれる可能性がある。

 この病院は、本当に親切なことに、あらゆる手を尽くし、なるべく安く医療をこのような海外の子どもにも提供してくれている。
 今、その存在意義を問われている国立病院が、目指すひとつの形だと思う。
 国立病院の使命は何なのか?
 私立や市民病院と何が違うのか?
 その答えのひとつが今回の試みかもしれない。

 海外から見たとき、国立病院が動けば、日本という国が、いのちというレベルにおいて、海外の子どもたちにもできうる限り、手を差し伸べるという宣言になる。

 そしてその動きそのものが結果的に、内に向かい日本人たちを勇気付ける。
 
 
# by japanheart | 2009-11-06 00:59 | 医者の本音 | Trackback | Comments(3)
何を残すか
何を残すか

 人生もまた然り、ということかもしれないが、このような活動をして何を残すか?ということについて考える。

 多くの活動家たちは、今システムを残そうと奔走する。
 もっと簡単なのは、建物などをつくることかもしれない。

 よく言われるのは、継続性や維持性の問題で、それがないと今ではかなり評価されにくい現状がこの世界にもある。
 しかし私はことさらこの件に付いては、意識していない。
 まあ、世の中の趨勢にあまり振り回されないようにしているということかもしれない。

 では私は何を残そうとしているかというと、すなわち「ひと」を残したいと考えている。

 自己の使命に目覚め、特殊で個性的な能力を発揮する人たちを多く残してゆきたい。
 どうせシステムを残しても、数十年もすれば古びてくる。
 建物は30年がいいところで朽ちてゆく。

 ちまちまと、ひとり一人のいのちに、向き合っているのもそのためかもしれない。
 たとえちまちまでも、一人の人間が助かれば、すなわちそこから再び新たないのちが発生する。
 そうして子々孫々、いのちが伝えられれゆく。
 すなわち自動的に、継続性や維持性は、保証される。

 そう考えている。

 世の中は、他人の価値観の借用にもかかわらず、それがあたかも絶対的な正解のように発言する人間が多いのに、少しうんざりきている。

 たとえば、教育は大切だ、という考え。
 たとえば、人材教育は大切だ、という考え。

 教育は大切かもしれないが、問題は中身ということが多く欠落している。
 人材教育も然り。

 教育というとすぐに、英語や数学のようなものを思い出してしまう。
 その手のものは、将来の就職のためには必要かもしれないが、人間としての根本にもっと影響するものとはなんだろうか?
 日本のように塾に行き、高い教育を与えているというが、どうだろうか?

 教育とは最終的には、その人の人格を高めなければいけないと私は考えているが。

 そういえば、吉田松陰の書物の中で、「教育とは世俗の官位名声のためでなく、人として自らを高めるために、人が生涯なさねばならないこと。」と語っていた。

 なるほど。
# by japanheart | 2009-11-05 02:58 | スタッフと想い | Trackback | Comments(2)
私の中の「原因」
私の中の「原因」

 私の行う医療の現場で亡くなる人たち。
 多分どんな医療現場でも、多くの小さなミスがその治療の陰に交差する。
 もし常に最高の治療を繰り返していると豪語する医療者がいれば、それはウソだと言わざるを得ない。最高の治療とは、ベストのことを行うことであり、ベストだったとあとで思い込むことではない。
 一つ一つのベストが、最高の結果を生み出すとも限らないかもしれないが。
 
 医療をやっていて、ああすれば良かったのでは、こうすればよかったのかもしれないなどどと思ったことは数知れず。他人の手術を見ていても、私はああすればいいのにと思うことが多い。
どっちがいいかはわからないが。

 そして結果が、いい方に転べば、誰も何も言わないし、自分がした治療はベストだったと思いがちだ。しかし、結果的に治療がうまくいかず、死を迎えねばならなかったり、治療そのものが元の木阿弥だったりした場合、どうだろうか?

 患者の病気の発見が遅れたとき、ある医者が、診断医療そのものの限界です、と家族に言ったとする。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 そして、結果的に患者が亡くなる。もしかしたら、あくまでももしかしたら、発見が少し早ければ何らかの手が打てたかもしれない。

 多分、そのとき医者たちはベストを出したと、納得するだろう。

 本当にベストだったのか、そうでなかったのか。
 
 
 あるとき、術後の患者が死んだ。
 ベスト?の手術だった。
 顔面の奇形の手術。
 術後、高い熱が出た。ベスト?の抗生剤を投与し、その日の朝も回診をし、ほとんど熱以外は問題なかった。ミャンマーではそれ以上はないだろう。血液検査をしても、別に治療が変わるわけではない。ベスト?の抗生剤はすでに処方済みだ。
 患者の様態が昼頃急変する。
 1時間の間に呼吸停止、心停止まで行ってしまう。
 人口換気し、日本と変わらないベスト?の蘇生の方法を力をあわせて成し遂げた。
 しかし、患者は亡くなる。

 多くのスタッフは訳はわからず、しかしベスト?を尽くしたと信じている。
 患者の死は、悲しくないわけはないが、しかし訳がわからない。
 
 時間がたち、少しづつ皆の中で過去の記憶として記憶のかなたに遠ざかってゆく。

 
 幾つも言い訳めいた理由は、思いつく。
 真実は、どうかはわからないが。


 しかし、本当にそれでいいのだろうか?
 医療者たちは、それでいいのだろうか?
 医療者というものはいくら自分でベスト?を尽くしたように思っていても、いくらでも患者を傷つけている。程度の差はあれ。しかも知らない間に。
 だからこそ、謙虚さがいるのだ。
 他人の問題ではなく、自分の問題なのだ。

 
 私の中に求める「原因」。
 それを求め続けている。
 完璧などと、自己弁護しないで、思い込まないで。
 二度と知らぬ間に、同じ流れに乗らないように。

 今まで生き様の何が悪かったのか?
 日々の生活の何かが悪かったのではないか?
 朝起きてからの自分に問題なかったか?
 
 些細な出来事から危険を察知できなかったのか?
 もしかしたら、どこかにヒントがあったのではないか?
 風の音はいつもと違っていなかったか?河の色がおかしく見えなかったか?
 手術をやっているときの自分の感覚や指先は変ではなかったのか?
 何でもいい。
 何でもいいのだ。

 この患者を死なせずにすんだ何かのヒントが、どこかになかったのか?
 
 私はそう自分に向き合っている。
 全部自分の問題として引き受けている。当たり前だが。

 スタッフにもそれを望む。

 なぜなら、治療に関わる皆が、そういう境地になったとき初めてこの患者のような死が、可能性を小さくしてゆくと信じているからだ。
 ある患者の全ての責任は自分にあると認識しろ、というのはそういうことだ。
 
 患者が死んだとき、それは全て医者の責任か?
 医者は患者を治そうと治療しているのだ。別に殺そうとしているわけではない。
 看護師のそれと同じ。単に役割分担に過ぎない。
 看護師は医者の言いなりになる必要なない。
 一生懸命、勉強して、医者以上の知識を持つ自由は保証されている。
 だから医者が、自分の知識に照らして、おかしな治療すれば、治療への参加をしっかり理由を述べ拒否すればいい。共犯になる必要なない。
 しかし、いったん参加すれば、やはりともに責任を負わねばならないだろう。
 事故でも、ミスでも同じ。
 医療者とは、そういうものなのだ。
 そういう仕事なのだ。

 いつも言っているではないか。
 チーム医療。チーム医療と、自ら。
 チームというのは、別に何かあったときに誰かに責任を負いかぶせて逃げる人たちの集団を指すのではない。
 たとえ誰かのせいで何かあっても、皆でその結果を受ける単位のことだ。
 
 本当のチームを実現したいものだ。
 そうしなければ自分たちを信じて、命を預けてくれる患者たちに申し訳ない。

 私がおかしいのか?
 そういうのには付いていけませんという、世の中がおかしいのか?

 私が意見をもらいたいのは、どうすればそういう患者の死をもっと的確に知ることができるのかというアドバイスなのだ。
 
 
 
 
# by japanheart | 2009-10-30 00:45 | 随想 | Trackback | Comments(4)
あるミャンマー人の言葉を頼りに
あるミャンマー人の言葉を頼りに

 ジャパンハート設立前の話。

 私の仕事は医者である。
 実際の患者を治療する医者である。

 私の活動に反対するある日本人は否定的な意味も込めて来日したあるミャンマー人の女性にこう言ったそうだ。
 「ミャンマーでも外国人が、ミャンマー人を治療して亡くなることをどう思いますか?それは迷惑ではないですか?」

 それに対してミャンマー人の女性はこう答えたそうだ。
 「ミャンマー人はたとえ亡くなっても、受け止めます。なぜなら、多くのミャンマー人が医療を受けられずに亡くなっています。どれほどその家族も残念なことでしょう。おそらく多くのミャンマー人たちがその人たちに感謝することでしょう。」

 その日本人は黙ったそうである。

この言葉は、今でも私を支え続ける。

 それでもいろいろなことは起こるのだ。

 そのたびに全てほり投げてやめてしまいたくなる。
 しかし患者たちが、私の元へ何日もかけてやってくる。
 最後の頼みだとやってくる。


 そのたびに、彼らの悲しみを知る。苦しい環境を知る。

 それを本当に知れば、やめれるわけはない。
 だから何があっても、現地のミャンマー人スタッフは私を守ってくれる。
 彼らは自身の国の状況を本当に理解しているからだ。

 私に何ができるだろうか?

 せめて自身を研ぎ澄ますしかない。少しでもミスを減らすために。
 誰が何と言おうが、たとえ原理的といわれようが、緩めるつもりはない。
 私が最後の砦なのだ。
 私の緩みは拡大再生産され、やがて大きな影を落とすことになるだろう。

 それほど自信があるのか?
 ある分けない。あるわけなどないではないか。
 患者の様態が変化したとき最もオドオドしているのは若い医者や看護師ではなく、この私だ。

 何人も患者をとりこぼした人間は、誰でもこうなるのだ。

 私の代わりをしてくれる人がいれば、いつでもこの席を譲る。
 


 
# by japanheart | 2009-10-27 23:13 | 活動記録 | Trackback | Comments(2)
盲目にならない
盲目にならない

 盲目とは、目が見えないことを今回は言わない。

 こころの目のこと、意識の目のことについて話してみたい。

 この組織も、組織ゆえ、多くのものが来て、そして去ってゆく。
 去り方は様々。

 本当に卒業した人もいれば、そうでない人もいる。
 そうでない人の多くは、多分、多く不満がある人たちかもしれない。

 何かにこころを占拠されてしまうと、自分の考え方以外は、すべて排除してしまう習性が人間にはある。
 何か自分を大きく変えようとするとき、必ず苦痛が伴うものだ。
 今ある精神的安定、今までの自分がつくり上げた常識、関係性、基準など全てに修正を迫られるからだ。だから人は大きく反発する。今までの自分の安定にしがみ付こうとする。
 その反発の仕方は、人によっていろいろ。
 他人を攻撃するものもあれば、組織を揶揄するものや、自分より弱い立場の人間に当たるものもいる。

 それらは全て上の段階に行くまでの過程ということもできる。人間は弱いものなのだ。

 しかし、このモーレツな負のパワーに屈して辞めてしまったとき、元の世界に戻ることになる。
 それは1年前、2年前に自分がいた世界だ。
 
 人は時として盲目になる。
 たとえば、ジャパンハートという組織に不満を抱いて辞めてゆく人間は、悪いことばかりしか目に付かないし、それ以外の意見を受け付けない。だから不満を言ってくれる人たちといるのが心地よい。みっともない話だが。

 もしそのとき、両目を開いてみたら、片目で過去が見える。
 1年前、自分がどのような思いで、この組織の門をたたき、そしてどれくらいの人が自分のその思いのために力を貸してくれたのか。そしてどれほどの人が、何も力のない自分を励まし、陰で支え、それを成さしてくれたのか。

 もう一方の目で、未来を見る。本当はどんな自分に成るべきだったのか。どのような世界に身をおき生きてゆきたかったのか。そしてどんな自分に成りたかったのか。

 この世は自分が差し出した以上のリターンなどない。
 不満があれば、自分が差し出したものは大したことがないということだ。どんなに自分が出したつもりでいても。

 両目を塞いでいるから、今の自分のことしか見えない。

 私はあることに気づいている。

 それは、このようみ途中で挫折する人間には、概して、未来のビジョンがないということだ。
 自分がどうなりたいのか?
 何を目指しているのか?
 どのように世の中を変えてゆきたいのか、あるいは、世の中と関わりたいのか?

 漫然として、はっきりしないのだ。
 

 そしてそのことで自分を責めることもなく、不満をさらけ出す。
 そして去ってゆく。
 そして元の世界に戻る。
 かつて自分がいた世界だ。さぞかし心地いいことだろう。

 厄介なことに、その人たちは、それでも自分だけが正しいと信じている。
 たとえ2,30年の人生でも、ただ不満のための不満に終始して、最終的に何か建設的な事を成したことなどほとんどないと知っているはずなのに。

 それで幸せなのかね?
 
 

  


 

 
# by japanheart | 2009-10-27 00:24 | 医者の本音 | Trackback | Comments(2)
患者来る
患者来る

 情熱大陸で放送された脳瘤の子どもがやってきた。
 岡山の医療センターで手術が10月28日に行われることになった。

 思えば、初めてミャンマーから患者を日本に連れてきたのは6年前だった。

 当時は患者を急いで連れ出すということなどは、考えられないことだった。
 パスポートすら簡単に発行されない時代だった。
 たった6年、隔世の感がある。
 今では、わずか1月ほどで発行される。
 
 お金も時間も手間もかかるこのような非効率な医療を敢えて行ってゆきたい。
 このような活動はきっとジャパンハートのスタッフ自身にひとり一人の人生が大切なんだと自覚させてくれるに違いない。

 いつも忙しく働いているうちにどうしても日々をこなすことだけに精一杯になり、数、量の世界にどっぷり引きずり込まれてしまう。

 非効率な医療と効率的な医療、うまくバランスを取る。
# by japanheart | 2009-10-24 23:02 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)
人事を尽くすとは
人事を尽くすとは

 昔の話。

 1995年頃、初めてミャンマーに来た。
 1996年、診察と治療をある町で始めた。

 医師としてまだまだ未熟な私と、病状が進行し、どうすることも出来ないような病気の患者たち。

 その中で何とか私の出来る範囲の治療を始める。
 多くの患者たちがやがて私の元に治療を求めてやって来るようになった。


 人の運命とは何なのだろうか?
 一生懸命、私が寝食を忘れ治療しても亡くなってゆく人たち。
 一方、ミスを犯しながらの治療であっても、どんどん回復してゆく人たち。

 私の存在は何なのだ?
 何度も自分に問いかける。

 人には運命というものがある。
 人が生きて、そして死ぬ。
 それはその人の運命で、私には分からない。

 目の前に患者が現われる。
 死ぬか生きるかそれは分からない。
 でも私は悩み、もがきながら、一生懸命に患者に向き合う。

 結果は神のみぞしる。

 しかし私は一生懸命治療する。

 生きる、死ぬ。
 それは患者本人の寿命かもしれない。
 それは全て、私には不確かなこと。
 私の手の内にはない。

 でもたった一つ、確かなことがある。
 私の手の内にあるたった一つの確かなこと。

 それはその患者にどう向き合ったか?
 どのような態度で、どのようなこころで、向き合ったのか。
 ということが、まぎれも無く、私自身の人生の時間であるということだ。

 弱き医師は、おどおどしながら、結果も分からず、ただ一生懸命に、目の前に現われた患者に尽した。

 それは今でも変わらない。

 せめてミスを犯すという縁起を、もって患者の死というの系に、関わらないと誓っている。
# by japanheart | 2009-10-19 04:50 | いのちの重み | Trackback | Comments(6)
この国でも、どこの国でも
この国でも、どこの国でも

 この国では、多くの子どもたちが、日本に比べて亡くなってゆく。あるいは障害を抱えたまま生きてゆかねばならない。

 このような状況だから、子どもを亡くした親も、昔の日本でそうであった様に、それが子どもの運命だったと、自分にも言い聞かせてその死や障害を納得しようとしている。

 でも、たぶん本当のこころの中は違う。と思う。


 今日外来で、水頭症で髄膜瘤の1歳位の子どもが母親に抱っこされていた。

 水頭症の為、頭は普通の子どもの1.5倍ほどに大きくなっている。
 また髄膜瘤(背中の骨が生まれつき割れていてそこから神経の一部が皮膚直下まで出てしまっている病気)のために下半身は麻痺して、生涯たぶん動かない。

 そしてこれは想像だが、たぶんお金が無くて病院にはかかれないでいた。この親だって、この子が普通でないのは分かるから。

 水頭症を治さなければ、どんどん頭は大きくなる。そしてそのうち死ぬだろう。
 この病気には、脳内に溜まった水をお腹の中にチューブで流し、お腹の中で腹膜を通して吸収させる方法を取る。この病気に時々遭遇する私は、何とかこのチューブをこの国で手に入れようとしたが、店は外国人には売ろうとしない。何か起こったときに責任を取るのが恐いのだろう。

 仕方ない。
 私には何も出来ないということだ。


 今日、その子どもを抱く母親に、治療の話をし、その治療ができる現地の病院に行くように言った。
 治療費をこちらで何とかするからと、付け加えた。

 まだ若い母親から止めどもなく、涙が流れ落ちていた。

 この国でも、親は親。
 我が子のいのちは、運命だから、という想いでは割り切れない。

 何年か経って、多分私はこの親子の事は忘れていることだろう。
 しかし、この母親は、多分、日本や日本人のことを大切に思っていてくれるだろう。

 
# by japanheart | 2009-10-17 03:22 | 子どものこと | Trackback | Comments(2)
カンボジアーミッション
カンボジアーミッション

 カンボジアを3日間訪問した。
 なかなか軌道に乗らなかったカンボジアの事業が少し形になりだした。
 カンボジア政府との公式調印も終わり、いよいよ保健事業に正面きって乗り出す。

 まずは保健事業。
 そして、12月から貧困層への医療活動も始まる。

 計10名程度の医師看護師がカンボジアへ向かう。

 今カンボジアで活躍しているのは、ミャンマーで研修を終えた看護師たち。

 国内の僻地・離島へ、そしてカンボジアへと研修修了者が活躍してゆく。

 たった5年でここまで来た。

 先日ある人に、いよいよスタート地点に立ちましたね、と言われた。
 私としては、大変な思いもしたつもりだったので、その言葉にはっとしたが、全くそのようだと思った。

 私の目標地点ははるか彼方。

 他人のペースは関係ない。

 今ようやくスタートする。

 もっと早く、もっと高く、飛んでみたい。

 多くの志ある人々が後に続くことを望む。
 
# by japanheart | 2009-10-11 23:41 | 活動記録 | Trackback | Comments(1)
カンボジア事業
カンボジア事業

 いよいよカンボジア事業が本格的に準備を終え、始まろうとしている。
ミャンマーとは全く違うコンセプトでやってみるつもりだ。数人の看護師を中心に活動を組み立ててゆく。
 ジャパンハートでやっている国際看護研修もセキュリティーの問題をかんがみながら、カンボジアへシフトしてゆく。

 今までは私が考えて、それを形にすることがスタッフの仕事だった。
しかしこれからはスタッフのオリジナルを生み出し、自らそれを実現してゆくことで、ジャパンハートの未来もさらにいいものになる。

 創造するときは、型を忘れた方がいい。

 喧嘩がめっぽう強い暴れん坊が、柔道や空手を始めて弱くなることが多い。型がなければ相手は動きや呼吸を読みにくい。しかし、ある武道を始めれば型にはまり、その型から繰り出される動きは相手には想定内の動きであることが多くなる。そうして武道を習い始めた暴れん坊は、いとも簡単に倒されてしまう。彼が強くなるのは、ずっと後のことだ。

 自分のやることを型にはめないという極意がある。
 それで行けるとこまで行く。やがて壁にぶつかるときが来る。そのときが型を必要とするタイミングだ。その後、しばらくは創造性は封印され、まるで土に栄養をためるように、思い通りにならない
時期がある。
そうした後、春がやがてゆっくり訪れ、才能が新たな開花を始める。

 今ジャパンハートにいる多くのスタッフには、まだ型は必要ない。
 その前に存分に暴れまわってほしい。
# by japanheart | 2009-10-07 09:58 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)
スタッフの出入り
スタッフの出入り

 今、ミャンマーの地方から来ている若い女の人たちを看護師にするべく徐々に受け入れている。
 しかし、まだ十台の子もいて、前いた子は結局寂しくなって地方に帰ってしまった。

 残念だが、自分の人生はたとえ幼くても、自分でけじめをつけないといけない。そして、きっちり責任を取らされる。

 今いてる子たちには、なんとしてもがんばってもらいたい。
# by japanheart | 2009-10-06 10:39 | スタッフと想い | Trackback(1) | Comments(0)
嫉妬
嫉妬

 ミャンマーを知る上でどうしても、知っておきたいキーワードが2つある。
 ひとつは”アナレ”という言葉。これはまた機会があれば説明したい。
 
 そして、もうひとつが”ジェラシー(嫉妬)”という言葉。
 95年からことあるごとにミャンマー人から、発せられる言葉。
 
 いろいろ事がうまく進まず、どうして彼らはそう考えるのだ?と私が聞けば
 それは”ジェラシー”ですと答える。
 なぜミャンマー人のある人は、あのような邪魔をわざわざするのだと聞けば、やはり
 それは”ジェラシー”ですと答える。
 ことあるごとに、この、それは”ジェラシー”ですというフレーズが聞こえてくる。

 私たち日本人には到底意味不明で、支離滅裂なマイナスの言動が彼らにある場合はその多くがこの
 それは”ジェラシー”ですという感情でミャンマー人にはしっくり来るらしい。

 私たちの活動は、それは”ジェラシー”ですというミャンマー人独特のそれとどううまく折り合いをつけていくかに多くの時間と労力を奪われる。
 本当に様々なレベルでこれは蔓延する。

 ある日、病院の電気屋が自分の知り合いを連れてきた。多くの患者を差し置いてすぐに手術してほしいという。 が、予定が立て込んでいて、ほかの人と同じように1月後に手術予定に入れる。
 間違いなく、その日から宿舎は、1週間程度の停電になる。
 
 ある時、何日も不休で患者たちを手術、治療する。患者たちには大変感謝され皆スタッフも満足している。ところが、病院側から突然、手術中止の勧告がなされる。
 日本から来た若い医者に、訓練をさせている。あるいはミャンマー人を実験台に練習している。
 と内外の現地の医者が普段にない、いい連携を見せて言いがかりをつけてやってくる。

 まあ、こんなことがずっと続くのだ。
 こんな意味不明の言動は、日本人には回路がないので彼らのその思考過程がうまく理解できない。

 そこで私たちのミャンマー人スタッフに、どういう風に脳が動いたらそういう風になるのだと私が尋ねる。
 すると現地人スタッフの答えの始まりは必ず、それは”ジェラシー”です、と帰ってくる。

 手術がうまいんじゃ?と恐怖して嫉妬する。日本の医療が進んでいると知っていて、なんとなく恐怖して嫉妬する。お願いを聞いてもらえないと、他人に比べて軽く見られていると恐怖して嫉妬する。

 これを理解するには10年はかかる。
 これも慣習や風俗の一部だと認識すまでに。

 自分たちでは気づかないが、日本人にも日本人独特の嫉妬がある。
 こういう感情をうまく使えば、国すら支配できる可能性がある。

 歴史を少し覗けば、そう思えてならない。

 他人を見て大いに自己を省みなければ。
 


 
# by japanheart | 2009-10-03 00:22 | 基本 | Trackback | Comments(4)
地域医療の強化
地域医療の強化

 地域医療をもっと日本の医療者たちに身近にできないか。
 近い将来、高齢化の波は必ず訪れる。
 そして医療経済の破綻。

 年老いたものたちは、必ず病を抱えながら、自分の家で生きることになる。

 隠岐の島に、行って来た。
 30年後の日本の姿がそこにはある。

 様々な連携をしながら、島前病院の皆さんは医療を支えていた。未来のヒントを、そこから多くの医療者はもらえるような気がする。

 院長も、看護師長もやっぱり立派だった。
 お互いいい線で、住み分けをしながら、決して自らの仕事の範囲を狭めようとはしていないのだと思う。
 お互いのエリアを少しずつ犯している関係が、最も患者にメリットがある。

 看護スタッフの高齢化の問題もあるが、こうゆう病院には必ず人は集まる。
 あとは時間の問題。それを乗り切れるかどうか。

 来年から地域医療強化のために、新しい試みを日本でも始めるつもりだ。

 これから多くの病院と連携を築いていく。

 日本あっての、ジャパンハート。
# by japanheart | 2009-09-30 02:36 | 活動記録 | Trackback | Comments(1)
患者様
患者様

今、日本では「患者様」という表現が大流行のようだ。
小さな子どもにも様付けで呼んでいる。

医療というのはサービス業だという認識だろうか。
私が医者になった頃はもちろん「患者さん」という言い方だった。
今でも私はこうしか言わない。

様々な言い分があろうが、多くの医療者はこの「様」という表現をどのように捕らえているのであろうか?

最近、身内が病院にお世話になることが多い私は、この様付けという表現と、実際の医療者たちのあり方に大いにギャップを感じている。
患者の立場からすると、様でもさんでもいいからもっと心を砕いて関わってほしいと思うに違いない。日本社会そのもののあり方を反映したような、表面的な丁寧さなど、うそ臭くどうも違和感を覚える。

患者が求めるレベルのケアーを医療者に求めたら、ほとんどの医療者はいなくなるかもしれない。
最近の看護師たちは5年もすれば、その職場を半分くらいは既にやめている。

最近開業した私の同級生は、看護師に怒ったことはないといっていた。
私のように怒ったりすればすぐにやめてゆくそうだ。
患者のために怒ったとしても。

私はよく思うのは、人の質が落ちれば、やはり医療の質も落ちてしまうということ。
だから質の高い医療をしたければ、質の高い人を育てる必要もある。
そっちが先。

周りを見渡してばかばかしく思えても、自分はまっすぐに、しっかりと医療をやってゆくという決意をすること。結局は、日々の生活こそ自分の人生の質そのものだから、くれぐれも自分で自分を汚さないようにと願う。

一生懸命に患者のために働いて、親しみを込めて「患者さん」と呼ぶのが私には心地いい。
# by japanheart | 2009-09-26 01:17 | 医者の本音 | Trackback | Comments(6)
見えない未来ーその2
見えない未来ーその2

 先日初めて目の見えない彼らに日本人スタッフによるマッサージのトレーニングが行われた。
 彼らはこんな日が来るとは予想していなかったと思う。
 本当にマッサージの技術を外国人から学べる日が来るとは。

 彼らは本当に一生懸命に学んだそうだ。
 あまりの素直さに、あまりに喜びと興味を持って学ぶ彼らの姿に日本人のスタッフたちは皆心打たれ、自分たちの今のあり方すら反省したそうだ。

 今回の経験で面白いことが分かった。
 生まれつき目の見えない人たちほど、素直に個性発揮しているという事だ。
 目が見えない彼らは、人と自分を比較することがあまりなかった。
 だから人がどう言っているとか、どうしているからという発想ではなく、自分がどうありたいかという事を素直に伝えてくるそうだ。
 
 目が見えるゆえに逆に人は心が不自由になっているということを彼らを通して教えてもらった。

 真の豊かさは心にあるとすれば、彼らは豊かな人たちという事が出来る。
# by japanheart | 2009-09-21 00:09 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)
Sad story されど
Sad story されど

 さらに欲深い私の話を。

 いつかシャン州という北の地域でわずかなお金で売られてゆく子どもたちの話を書いたことがある。

 ジャパンハートのスタッフ;マトゥーザは親がエイズでなくなってゆく子ども達を自分のわずかな蓄えで今まで面倒を見てきた。約16人の子ども達を彼女は面倒を見ている。
 多分それが彼女の精一杯の出来ることだと思う。

 先日、彼女が私にある話をした。
 彼女が2人の子どもを引き受けるという話。
 子ども達の母親はすでにエイズで死に、今、父親もエイズで先が長くない。
 この子ども達はもともと4人きょうだい。
 一番上の子は母親が亡くなったあと、父親の知り合いの村長の知人という男性が面倒を見るということで引き取っていったそうだ。
 いつでも会いたくなったら会いに来ていいと、住所を書いた紙を手渡したそうだ。
 父親は、何かの時に村長と一緒にその住所に行く。しかし、、、、。
 何もなかった。
 村も、娘も、何も。
 全てうそだった。

 今、その娘はどこにいるのだろうか?

 二番目の子どもはクリスチャンの神父が面倒を見てくれているそうだ。

 三番目と四番目の子ども達を彼女が面倒を見る。
 父親が、自分がまだ生きている間に、子ども達を彼女に引き取って行って欲しいと頼んだそうだ。
 安心して死にたいと。


 さらに欲張りの私は彼女の人生にも乗っかった。
 彼女と共にヤンゴンに大きな施設をつくりたいと思う。
 今年中にやる。
 このような子ども達を引き取り、学校を出し、職業を与えるところまで何とか面倒を見たい。
 もっともっとこんな子どもたちがいる。

 彼女は人生をかけてこのような子ども達の母親になってくれる。
 だから安心している。
 私は喜んで彼女をサポ-トする。
 きっと、彼女が子ども達を幸せにしてくれる。
 
 
# by japanheart | 2009-09-15 01:52 | 子どものこと | Trackback | Comments(1)
見えない未来ーその1
見えない未来ーその1

 私は欲深いのかもしれないが、できることは何でもしたい。
 躊躇する理由はないから。

 ミャンマーにも目の見えない人たちが30万くらいいるといわれている。
 この人たちは、生涯、家の中にいて過ごすことが多いそうだ。
 もちろん職業などない。

 盲人のための施設を何度か訪ねたことがある。
 毎日、皆静かに座って時間を過ごしていた。
 その先に見えるものはなんだったのか?私にはわからない。

 このような人たちに職業を与えたい。将来の糧を与えたいと、ある実業家の人が立ち上がった。
 この人は事業は将来の奉仕活動ができるようになるためにしていると、昔から言っていた。
 この人が盲人たちのために、マッサージの技術を伝授し、将来の生活の糧を得てもらいたいと、新しい試みを始めた。

 これに私も乗っかった。
 欲深いから。
 現地の社会福祉省も全面的にバックアップしてくれている。

 ジャパンハートが何とかマッサージの指導者を集め、彼らに教えてゆき、この国の盲人たちの将来に希望を与えたい、と名乗り出た。
 躊躇する理由はないから。
 
 ヤンゴン市内に2店舗彼らが働く場所が確保された。
 そこで働くことが盲人たちの憧れになっているらしい。
 今まで家族におんぶに抱っこだった自分が、家族を養っている。

 この感動はいかばかりかと思う。
# by japanheart | 2009-09-10 00:37 | 活動記録 | Trackback | Comments(4)
あるシステムを生み出す
あるシステムを生み出す

 はじめから他人を当てにするような行動や心は慎みたい。
 何をするにしてもどんないいことをしようとしても、あるいはどんな状況に陥っても。
 
 どんなことがあっても自分で何とかしたい。

 私たちの活動は、そのほとんどが寄付によって成り立っている。
 私たちとは逆に、なんらかの制度資金に依存している組織もある。
 何かに依存しすぎると、結局自分の首を絞めることになるので、できるだけ依存の割合を減らしたい。
 何だか国の食料自給率に話をしているような気がしてきた。

 ある意味、私たちの場合、自給率とは寄付をはじめとして得た自己資金ということになる。
 政府や財団などからもらう、いわゆる制度資金がそれ以外の輸入に頼らねばならない食料という感じかもしれない。このお金はかなり制限が付く。用途も決められ、予算も1年2年ごとに切られてしまう。だから10年なんていう大きな単位で、何らかのプロジェクトなどできない。

 私は食料と同じで、活動にも絶対に守らねばならないラインがあると信じている。
 今はそれがサガインでの活動だと思っている。
 なぜならばここは現地の人にとってだけでなく、多くの日本人医療者を育てている場所になっているからだ。
 今後はカンボジアのサイトにもそうなってほしいと思っている。

 だからここを最低でも、守るためにどうすればいいかを考えてきた。
 誰からも振り向かれなくなっても、何とか現地の人と医療者だけは育ててゆきたい。

 そしてその問題がようやく解決しつつある。
 自給自足ができるかも知れない。

 2年も給与のない組織でなぜかそれが可能になる。
 その方法は、また機会があれば語ってみたいが、要は自分で稼いで自分で使うということだ。
 
 
 ものの本質に気切り込めるようになってくると、だんだんと気の利いたことも言えるようになってくる。
 最近、お金の不安を抱える人には
  「いくらお金を持っても、人は一日に三度程度しかご飯を食べれないよ。特に年をとるとだんだんそうなる。」
 
 将来結婚を夢見る看護師には
  「女の人は嘘をついてはいけない。嘘をつく親の子どもは嘘に対して鈍感になる。だから将来子どもができたときに、嘘を平気でつく相手を無批判に受け入れて選ぶようになる。やがて、その相手と自分が、戦う羽目になる。」 
 
 そしきもおなじ。お金に対する恐怖心を抑え、誠実な運営が大切だ。
 組織を内部から崩壊させないためには、お金のコントロールと正直な運営を心がけている。

# by japanheart | 2009-09-06 04:06 | 基本 | Trackback | Comments(0)
傷が離開の報告
傷が離開の報告

 先日帰国した。
 今日、現地から顔の形成手術をした子どもの傷が開きましたという報告が来た。
 前回やってかえった同じ手術の子どもたちは問題なく治って退院していった。

 今回は同じ手術の術後に、4名の傷が開いた。
 それで、今回何が悪かったのか今からミーティングを開くという内容の報告だった。


 本当に、いい加減にしてほしい。
 もう、相手に伝える言葉も見つからない。何も話したくはない。
 ミーティングなど、勝手にやっていればいい。
 本当に腹が立つ。
 
 あの麻酔が不十分な環境の中で、この手術をするために、患者が背負った「いのちのリスク」を何だと思っているのか?
 親もまだ幼い子どもたちも、麻酔が不十分にしかないと、十分自覚もできないまま、ただ治してもらいたいとだけ念願し、手術を受けたのだ。
 それが何かしらスタッフたちの、特に今回消毒を担当したスタッフの未熟さゆえに傷が離開?
 本当にふざけている。
 しかも今頃?
 
 今まで日本で働いていたときも、そうだったが、何がしかの医療的な失敗が起こると、看護師が私にいつも謝る。
 何で、私に謝るのか、今でもすっきりこない。
 私がせいぜいかぶった被害は、その患者に使った労力が無駄になったくらいのことだ。
 ほとんどの被害は患者だから、患者に謝ればいいのに。

 軽く考えているからこんな失敗を犯す。
 必死になって、いつもおびえながら、、オドオドし患者を看ていないからだ。大した経験もないのに。

 医療者としての根本がなっていない。
# by japanheart | 2009-09-04 02:08 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)
Power Of Medicine
Power Of Medicine

 ようやく手術ミッションが終わった。100件を今回も越えたようだ。

 まあしかし、よくも続くものだと思う。

 新しいスタッフが続々ここに集い、そして去ってゆく。
 
 今回は子どもの手術が多かった。全部無料で提供できているのが救いだ。
 年々、支援者の輪は広がり、ようやく子どもは無料で治療が出来るようになった。
 支援してくれているみんなの成果だと思う。
 今までは金銭的な理由から、たびたび検査や入金を諦めたケースもあった。
 しかし今は、その割合を極めて少なく出来るようになった。

 なぜか最近は多くの患者やその家族の笑顔を多く見るようになった。
 手術件数を増やすことでなく、一人の失敗もしない医療を目指した結果。

 衛生教育や保健では、救えない人々がいる。
 そんなことを声高に言えば、誰かに批判されそうだが、それは事実だ。
 
 私には最近いつも心の中でつぶやく言葉がある。

 Power Of Medicine!

 時間も空間も超えて行く。

 
 
# by japanheart | 2009-08-29 04:37 | 活動記録 | Trackback | Comments(1)
床に寝る
床に寝る

 手術を始めて7日が終わった。
 手術件数は70件程度。
 今までになく疲れが出ている。歳のせいかと笑っていられない。

 手術のミッション期間中、私がメインで執刀する。
 簡単な手術は、若手に任せている。
 
 今日は業務終了後のミーティングが11時半頃、終わった。
 みんなが立ち去った手術室の前の石の床に一人寝転んでみた。
 冷たくて気持ちよかった。
 思えばここでどのくらいの時間を過ごしただろう?
 時が経つのは早い。
 今日も何人もの人がここを通り過ぎた。
 多くの人たちの満足げな表情が頼りだ。
 子ども達の泣き声が、この狭い空間に木霊していた。

 疲れて眠る。
 やるべきこと、やらねばならないことをやるだけやって、疲れて寝る。
 それは、幸せなことなんだと思う。

 うつらうつらしていたら、看護師の貞子さんが、皆帰ったのではやく起きて手術着を脱げという。
 すでに12時半を回っていた。

 
# by japanheart | 2009-08-24 04:09 | 活動記録 | Trackback | Comments(1)
サガインー3日目
サガインー3日目

 サガインに戻って3日目。すでにかなりお疲れモードに入っている。
 大学時代の同級生の外科医師が、今来てくれていて、手術してくれている。

 昔懐かしみ色々話をしているが、体は正直で、お互い疲れたなと、慰め合っている。

 大学時代、一生懸命、医学を勉強した記憶が全く無い。
 日本の医学の大学教育は、ほとんど上手く機能していない。
 教育は、国の柱、上手く機能するために、アイデアがあるのだが。

 それはさておき、最近、すっかりミャンマー人スタッフが増えた。看護師養成のための、新しいメンバーも加わった。
 数年後彼らが、せめて自分の子どもやきょうだいや親の生活を支えれるだけの、生活力を持って欲しいと思っている。

 かれらの生活は、決して豊かではない。
 今回来た17歳の女の子は、チン州という、インドとの国境を接する州から一人やってきた。
 ヤンゴンでスタッフが面接した時、親も同伴していたが、正月休みには親元に帰しますといったら、親は勉強し終わるまでは帰ってくるなといったそうだ。

 先日、お茶を喫茶店で飲んでいたら、彼女が公衆電話の前に来て順番を待っていた。多分寂しくなって、親に電話でもしたいのかなと思ってみていた。彼女は腕時計を見た。どうやら時間がなくなったらしい。また病院の中に帰っていった。
 本当にこんなありがたいチャンスは無い。だから免許がとれるまで帰ってこなくてもいい。頑張って看護師にしてもらいたい。とは、この子の親が、その時言った言葉だ。
 私達の責任は重い。
 こんな子をこれからもどんどん増やしてゆきたい。


 
# by japanheart | 2009-08-20 02:42 | 活動記録 | Trackback | Comments(1)
目標を定める
目標を定める

 たとえば、ある医者がいるとする。この医者は、若かりし頃、目標として大学教授になることを決意する。
 たいした学歴でもなく、人類にそう貢献したと思えるような成果を医学でも残したわけでもないが、何とか40歳代で教授になれたとしよう。
 そうすると、ここから彼に何が起こるか?を想像してみたい。
 
 答えは何も起こらないだが、正確には、権力に、地位にしがみつく。
 その地位の保持にまい進する。
 
 なぜこうなるか?
 答えは簡単。それ以上の目標をもてないからだ。さらに悪いことに、この日本という国は、いったんその地位に着いたら、医者の場合、死ぬまでその地位を保証される。収入を保証される。だから、しがみつくだけになる人が多い。こういう人たちは、地位や名誉をことさら、重んじる傾向がある。たぶん自分のことをほめているのだろう。


あくまで仮説だが、人生が自分の力で切り開けるとしたら、自分の志や自己のイメージが大切になってくる。
だから、目標ははるかかなたにあるほうがいい。
 到底、自分の力だけでは到達し得ないほどの距離があるほうがいい。
 本当に、驚くほどの幸運と偶然、そして人々の協力なくしてなしえないほどの。

 医者を志す学生たちが、どの科に進むかとたずねれば、私はいつも同じ答えをいう。
たとえば手術を見学して、これは私でも将来できそうだ、結構面白そうだと、思ったらその科はやめておけ。
こんな難しい手術は一生かかってもできないかもしれないと思ったらその科を選べ。と。
 今の自分のレベルで将来できそうなことは、本気で人生かければ5年もあれば達成できる。10年で飽きて、目標を失うことになる。悲しいかな人は、安全なほうへ、安全なほうへ無意識に流される。
そして10年後、医療にすっかり興奮しなくなった医者たちがたくさんいる。

最近、テレビによく出してもらったり、組織が大きくなったりして、ずいぶん私のことを心配してくれる友人たちもおおいが、私は、こんなところで休んでいる暇はないと思っている。とにかく、目標がはるかかなたに霞んでいるのだから。
今の状態など、自分の中ではまだ始まったばかりだという認識程度だ。
人の人生はあがったり下がったりだけど、目標点が低ければ、その高さで上下する。そして、翻弄される。

もし、考えられないような大きな目標を持っていれば、そして少しずつその坂をあがっていくならば、わずかな運命の上下は、全体の中で見たときに消えてしまう。小さな上下の運動は、その目標点の高さゆえに誤差になって消えてしまう。
私の人生に曲線を引けといわれたら、多分、まっすぐ目標に向かっていく曲線一本になる。

それくらい大きく生きてみたい。
だから陳腐な地位や名誉にしがみつかない。

私は子どもの頃、体の弱い、気の小さい子どもだった。
それが、今、こんな感じで、友人はみな私以上に、元気で明るかった。
一体どうしてしまったんだ?
私の中の、あの頃の気の弱い私は、今でもこころにいる。

何をしても、どんな大胆にいきても、それを行っている私の中心は今でもあの頃の私なのだ。

 
 
# by japanheart | 2009-08-14 02:56 | スタッフと想い | Trackback | Comments(2)
運の悪いおとこの話
運の悪いおとこの話

 運の悪いおとこがいる。
 もちろん私である。

 1995年からミャンマーで医療をはじめ、当時は未熟な自分のレベルにもかかわらず、果敢にというと聞こえはいいが、若干、無謀に思えるほどに手術に挑んできた。
 当然、手術がうまくいかなかったことはあったが、事故や危機的な状況に陥ることは皆無であった。
 当時の私は、神仏に守られている、感じていた。
 自分は運のいい人間なのだと、思えた。

 2年前はじめて、事故が起こったり、人が様々な理由で亡くなった。
 自分はそれほど運が良くないかっも知れないと、ふと、感じはじめた。
 神仏も本当は守ってくれていないのではないかと。

 昨年、本当に何人かの子どもが亡くなってしまった。
 理由は様々で、医学的に言い訳はいくらでもできるが、要は、私が、私たちのチームが治療に挑んで、あるいは挑もうとしている過程で、子どもが死んだ、あるいは死なせてしまったということだ。

 このとき、私は本当に運のないおとこだと認識した。
 神仏などにも守られていないのだと。
 そんな何かに頼ろうとする弱い心を、もっているから、人を死なせてしまうのだと、わかったのだ。

 このとき、宮本武蔵の、「神仏は尊し、神仏は頼まず」を理解できた。
 それから、自分を本当に頼りにするようになった。
 それ以来、人は亡くなっていない。

 昨年までの医者たちが、ちょうど今年の3月で総入れ替えになった。
 それからまた私が前面に出て、手術を始めるようになった。
 妥協をする気はない。スタッフにも私の中の厳しさと同じものを持ってもらう。
 私が怒るのは、それが足りないからだ。
 私の怒りに、びびるのは、同じ厳しさを自分の中にもてないからだ。
 私の怒りは、武蔵の白刃だ。
 同じレベルにないと、恐怖する。
 武術家は自分のいのちは、自分で守る。
 私たち医療者は患者のいのちは、自分が守る。ということだ。
 神仏は守ってはくれないと知る。
 その意識だ。

 いくつもの、死んでいった患者たちのことを思い出す。
 そのとき私と一緒にいたスタッフたちよ。
 今何をしているのだろうか?
 おいしいものを食べ、酒を飲み、歓談し、輝く未来を空想し、、。
 
 片時も忘れるな。
 誰か他人のせいにするな。
 運や偶然のせいにするな。
 全部、一人ひとり、自分のせいなのだ。
 
 医療者とは、そういう職業なのだ。
 
 
 
 
 

 
# by japanheart | 2009-08-12 01:23 | 医者の本音 | Trackback | Comments(1)
獲得されしもの
獲得されしもの

 前回のブログのことを再び違う角度から述べてみたい。
 大切なことだ。

 実際、ミャンマーの医療活動地で生活するのはほとんどお金はかからない。
 女の人なら、野菜と一日にお米一号程度、そしてお水とふりかけ、卵一個、たまにインスタントラーメン、というのが毎日の標準。
 それで、活動期間中、平均6ヶ月滞在するので、そんな感じで生きている。
 多くの人は、人生で初めての経験。
 肉や動物性の蛋白はほとんどないような感じ。しかし、みなすこぶる元気に朝から夜中まで働き、生きている。日本にいるときはこんなに元気に働けなかった。
 この生活をするまでは、今の日本人から見ると、こんな貧粗な食事で大丈夫かと思うかもしれない、健康が損なわれるのではと、不安を感じた人もいたと思う。
結果は、全く逆になる。今の日本人は、飽食で過食だとわかる。

 ジャパンハートは、無償・無給で最低1年半は働かなくてはならないが、あるとき働き始めて6ヶ月くらいの看護師たちからこんなことを言われたことがあった。
 彼らは現地にいた後、日本に帰国、国内の僻地・離島研修に出発する前だった。

 彼ら曰く、「現地では食費はどんなにかかっても1月1万円程度ですが、日本ではそうはいきません。
 何もかも物価が高く、経済的に不安です。ですから何かしら生活費のサポートのようなお金はいただけないのですか?」というような内容だった。

 私は応えて曰く、「毎日、米と塩と、味噌と少々の野菜と水で生きなさい。1月1万では余り過ぎるから。」

 彼らは何も言えなくなる。
 もちろん私は本気で言っている。

 彼らはまだ気付いていない。
 私はお金などほとんどなくても生きていける力をすでに彼らに与えていることを。
 お金をもらうより、もっと価値ある力を与えているのだ。
 与えてもらったものの価値がわからないから、感謝もない。
 そして不遜にも、こんなことを言うのだ。
 情けない奴等だ。

 人生を、世の中を、本当に賢く渡っていくために、あらゆる本を読破し、世界中の知識を集めることなど、短い人生の中で多くの時間を手段のために、費やすことは、愚行だとわかっているだろう。

 それより、多くの本を読破しなければ獲得できない知識を持った人間と同じレベルの知恵を身につけることが、人として賢い人間のすることだ。それには、そんなに多くの時間は必要ない。ただし、体験はそのために必要になる。
 
 ミャンマーで彼らが得たものは、質素な食事でも十分生きていける知恵と体験。
彼らの食に対する、栄養に対する不安は体験によって塗り替えられたのだ。

 私が言いたいことは、世界中の書物を読もうなどという愚行はするなということだ。
 甲状腺の手術を行うのに、首にあるあらゆる解剖や生理を覚える必要などないのだ。
 知識はわずかでいいのだ。
 あとは体験によって、いくつかのポイントを知れば、手術はたいていの人間でも行える。
# by japanheart | 2009-08-07 01:49 | 基本 | Trackback | Comments(5)
何を求めるか
何を求めるか

 最近、己の技量もわきまえず本を2冊も出し、しかももちろん頼まれたときには下手くそな字で名前まで書いている。
 売れているのか売れていないのか、出版社にだけは迷惑をかけたくないとは思っているのだが。

 今後の講演会はいくつか決まってはいるけれども、本当は1月に2回くらいまでにしたい。
 なんせ、本当に言霊をこめて話をしたいのだ。
 何かのセミナーや方法論、あるいは活動報告や活動経験の感想のようなものではなく、もっと掘り下げた思いを言葉にしたい。
 いつも聞いているスタッフたちが決して飽きないようにいつも心がけている。
 だから話はいつも変化させている。

 最近ひとつ考えていたことがある。

 ある人が億万長者になるためには、どうしたらいいかという問いに対して、億万長者のように振る舞い、億万長者のメンタリティーを身につければ現実が追いついてくるといっていた。
 私ならどう答えるか?

 私なら、多分次のように言う。
 「あなたは億万長者になる必要はない。」
 
 わかるだろうか?
# by japanheart | 2009-08-04 04:55 | 基本 | Trackback | Comments(3)
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