ジャパンハートの代表。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。
by japanheart
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月

医療の届かないところに医療を届ける

医療の届かないところに医療を届ける

これは私たちNPO法人ジャパンハートのモットーとしているものだ。
こんな当たり前のことがモットーになるとははじめ思わなかった。
しかし、ジャパンハートに毎年参加してくる数百人の人たちの参加志望動機書にもスタッフたちの発言にもそのモットーをよく見かける。

医療の届かない場所など世界中に腐るほどあるし、この先進国日本だってそんな場所はあちらこちらにある。
大都会東京にさえ、まともに医療を受けることができずにいる人たちだって数え切れないくらいに存在している。
 だから、あえてそんな当たり前すぎることを口にするなどということはする必要もないはずだった。

 私がこの言葉をもともと使った動機は、がんの子どもたちとその家族のためだった。

e0046467_16373560.jpg


日本のがんの子どもたちは、今では随分と救命率が改善されてきているとはいえ、かなり過酷な運命を背負わされている。助かればいいけれども不幸にもそうでない子どもたちはたくさんいる。
結果的に、助からないのならば治療で辛い思いをするばかりでなく、その生きている期間それなりの楽しいことも経験してほしい。
 しかし、どの子が助かりどの子が助からないかは、神のみぞ知る世界で私たちには結果はわからない。
 がんの子どもたちは、多くは母親が面倒を見てずっと長い期間を乗り越えていく。
 その子どもの兄弟姉妹は、病院にお見舞いにいってもなかなか患児に会うことはできない。
 抗がん剤の副作用で免疫系が低下している子どもに、風疹や水ぼうそう、はしか等を持っている可能性がある別の子どもを接触させることは致命的な結果を招く恐れがあるからだ。
 患児の兄弟姉妹たちは、母親と過ごす時間は激減し、多くの時間を父親や祖父母と過ごすことになる。
その期間が長期間に及ぶのだ。
それでも助かればいいけれども、運悪く亡くなってしまう子どもは最期まで兄弟姉妹との十分な接触が難しくなってくる。
 日本にいて小児がん治療に関わっている時、私は患者ばかりを見ていて、患者の家族やその兄弟姉妹の大変さまで思いを馳せることができなかった。
 ここまで視点を広げ患児やその家族をケアーすることが治療に値するのだろうと遅ればせながら気付いた。
 だから、私にとっての医療が届かない場所というのは、物理的に離れた場所や物理的に医療行為が成されていない場所を指すのみならず、医療者の意識の中に未だに認識されていない精神的な場所をも指していた。
 そうしてこのモットーを使い始めたのだが、多くの人たちにとってはそれはやはり物理的な場所を未だに指す概念であるようだ。

 ところで、このモットーを使うときに多くの人が全く勘違いしていると思うことがある。
 かつてジャパンハートは、頼まれてネパールの標高4,000メートル以上の場所に診療をしに行ったことがある。そんな場所はもちろん、医療が届かない場所だと思う。
 あるいは、現在でもラオスの山岳部、中国との国境地域に手術や診療をし行っている。
 もちろん、私たちが行けないような紛争地域、アフリカのどこかなど、世界中には多分私たちが治療に行っている地域よりも、もっと医療が必要とされている、物理的に医療が届かない場所が無数にあるはずだ。

 しかし、多くのスタッフも多くの参加者も、このモットーを使うときに大きく欠損している概念がある。
多くの場合、このモットーを使うときに意識されているのはその医療が届いていない人々の姿や地域のイメージだろう。
 一般企業であれば、私たちにとっての患者の利益は、まさに顧客の利益であり、もっというと売り上げそのものを意味するのかもしれない。
 だから、それを最高にするために努力するのは、悪いことではない。
 対象がお金ならば気付きやすいのかもしれないが、対象が患者たちの健康ということになると、霞がかかって見えなくなる。
 「患者のために」「患者様のために」という言葉は今や多くの人々には嘘くさく聞こえ、聞き飽きるほどの言葉だか、なぜそれが嘘くさくてもこれほど垂れ流されるかといえば、それが全ての人にとって絶対的な”錦の御旗”になるからだ。命は大切だというのと同じくらい当たり前で否定できない、してはいけない概念なのだ。
 お金儲けだけを追い続ける様な企業活動ならば、何度も足元を見る必要を感じるが、患者のためといわれれば、足元を見るという行為を怠ってしまうし、なんでもなし崩しになる。

 医療の届かないところに医療を届ける

実はこの言葉の中には二人の主人公が存在する。
 もちろんその一人は、医療を受け取る患者たちである。
 もう一人は、医療を届ける側の人たちだ。

 「医療の届かないところに医療を届ける」というモットーが最高の状態というのは、医療を届ける側と届けられる側のバランスが過不足なく最高の状態に達したときだ。
 まさに、おもりが釣合ったときのような均衡の取れた状態のイメージだ。
患者の利益が最大化するポイントが、このモットーが最高の状態であるわけではない。
患者に最高の利益を与えたとしても、医療者が疲弊してしまったり、命を失ったりしてしまってはこのモットーは最高の状態にはならない。
 だからこのモットーの元では”患者のため”という掛け声は完全な錦の御旗ではありえない。
医療を届ける医療者が過度に疲弊することなく、過度の危険にさらされることもなく、医療を行えるというポイントでたたき出す最高の患者利益がこのモットーが目指すところとなる。

 企業活動でいうともっと分かりやすい。
患者の利益は、企業の売り上げ。
医療者の状況が、労働者の状況と置き換えてみる。

 企業利益を最大化したとき、労働者が過度に疲弊していたり、危険に晒されている企業というのは、今の言葉でいうと、ブラック企業と呼ばれている。
 
 「医療の届かないところに医療を届ける」というモットーを実行する者は、患者のこと、そこで働く医療者のことを同じくらいに大切にしなくてはいけない。

e0046467_172251.jpg


 そのバランスを上手く取れないと、 やがて時間が経てば、医療を届けていた場所に医療が届かない状況に陥る。

 私たちの活動は結果、その両者のバランスを取りうる最高の状況を目指した場所で行われているに違いない。

 それが、ミャンマー、ラオス、カンボジア。
 日本の離島や東北。
 そしてがんの子どもや家族への企画ということになるのだろう。
# by japanheart | 2016-08-24 03:24 | 基本 | Trackback | Comments(0)

日本の戦い方

日本の戦い方

一体いつからこのような考え方が蔓延ってしまったのだろう?
どのような過程でこうなってしまったのだろう?
日本では全ての予算が単年度で決済される。
政府の予算などはその傾向が強い。
私たちが関係するODAなどはその傾向が顕著で、その年に決めた予算を何が何でも消化しなければ次年度は予算が減らされるという。
今年は予算をセーブして余ったお金を次年度にもっと投入をなどとやってしまったら、余ったお金は返金させられて、もちろん次年度の予算は全く足らなくなってしまう。
NGOとしてある途上国で病院を作り、現地の医療者を育成しそこにある程度の運営システムを一から構築しようとする。
これを日本政府の予算を使って行おうとすると単年度予算X3年でそれを成せと要求される。
こんなこと不可能に決まっている。
相手は医師も看護師も日本の十分の一程度しか存在しない国で、目を覆いたくなるような医療状況の国であるからこそ、病院をつくる価値があるにもかかわらず。
この話を色んなところで日本の医学部の大学教授たちにしてみると、皆、失笑する。
日本の医者たちが一体どれくらいの時間とエネルギーを使い、技術を磨き医療を遂行しているかを理解しているからだ。
しかも3年でシステムすら構築しなければならないとしたら、普通は不可能に決まっている。
建物はお金さえあれば建つ。
しかし建物ではなく、その中身をつくるのが大切だし、それこそが日本政府がODAで失敗に失敗を重ね学んだ教訓だったにもかかわらずだ。

e0046467_1131121.jpg


しかし、そんな現実はお構いなしに相変わらず日本政府は自分たちの形を押し付けてくる。
「本当の成果を上げたい」のか、それとも「やったという形だけ示したい」のか?
その辺もわからなくなってくる。

それを管理する役人たちは決められたルールをひたすら守る権限しかない。
だから実現可能かどうかではなく、そのルールを守ることに全てのエネルギーを割くし、強要する。
一体このあり方のせいでどれくらいの人間の労力が無駄になり、どれくらいの私たちの税金が無駄になってきただろうか?
と考えると恐ろしいものがある。

何事も早いに越したことはないかもしれないが、時間をかけてみないと判らない事も沢山ある。
3年で正解であったものが、10年後には、不正解のことだってある。
物事は長い期間かけて見なければわからないのだ。
せめて10年スパンで物事を判断できないものか。
それくらいの期間、それに関わる意思がない人間や組織に大きな税金を投入する必要はない。

ところでブラジリアン柔術の400戦無敗の男、ヒクソングレイシーは面白いことを語っていた。
最近、日本人たちが格闘技の国際試合でなぜ勝てないのかという理由についてだ。
彼曰く、「日本人たちの本来の戦い方は長期戦で戦い、相手のミスを誘発し、そこに付け入るカタチで自分のペースに引き込み最後に勝利するという戦い方なのに、今の格闘技は短い時間制で瞬発力のみ必要とされ日本人の戦い方ができないでいる」というものだった。

戦前の柔道の日本選手権などは30分以上戦ったという。
その中で勝敗を決めたらしい。
今のように5分で全て決めなければならないなどという無理な戦い方を要求されない。
このような戦い方は欧米人のように筋肉量を重視する瞬発力を命とする人々には向いている。
肉を沢山食べ、瞬発力を増やす。
既に国際試合は欧米人たちによって都合がいいように知らぬ間にルールが変えられている。
戦前の日本人たちはほとんど肉を食べなかったが強靭な持久力の持ち主たちだった。
戦争中の3日間不休不眠の行軍などということは当たり前に成されていた。
今の日本人たちでは絶対できない所業だ。
既に敗戦によって食生活を変えられてしまい、知らぬ間に持久力を奪われていることに日本人たちは気付いていない。

第二次世界大戦だって日本はアメリカに対して短期決戦前提で臨んでいる。
こんな戦い方は日本の戦い方ではなかったはずだ。
日本が、長い歴史のある国であると豪語するならば、長い歴史を感じさせる、その知恵を用いた戦い方をすべきだったのだ。
100年の戦争という視点で戦うべき国なのに、1年や2年の戦いしか想定できないとは愚かなのだ。
既に戦いを始める前のこの時点で戦争に負けていたのだ。
ない資源の中でどのように戦略・戦術を立てれば100年戦えたのかという発想が必要だった。
その中で相手のミスを誘発しながら、負けない戦いが可能だったかもしれない。
だから、ぶちぎれて真珠湾攻撃などという馬鹿な作戦などありえなかった。

話を戻すと、こういう視点は今なを大いに意味を持つ。
私たちは日本人には単年度予算は合わない。
職人の国で、なんで即席に物事を完結しようとする発想になるのか?
時間をかけた熟成・発酵という発想を当たり前に生み出した国がなぜ1年や3年で全てを成さねばならないという発想に陥ったのか?
この文化と政治や行政の不整合性には何かしら歴史的にも人為的なゆがんだ意思を感じるのだ。

日本の国際支援は欧米ではできないような長期的視点で成されるべきではないのか?
たくさん数をするというのも大切だが、長期視点の支援もたくさん投入すべきだ。
様々な海外支援が日本政府が真に日本の利益のためになされるとしたら、もっと長期的視点に立った支援を投入したほうがいい。
単に政治家のリップサービスのためにあちこちに短い支援を散らすべきではない。

長期的展望に立った、欧米の組織では気付かないような、あるいはできないような支援とはどういうものなのか?という視点に今一度たってみる必要がある。

日本人たちが気付かなかった世界一の格闘家が教えてくれている視点は、単に格闘技のみではなく、もっと視点を広げればこれからの日本の国際貢献のスタンスに十分利用できるものだと思う。
# by japanheart | 2016-07-23 09:18 | 基本 | Trackback | Comments(0)

プロセスに学ぶ賢者、結果にだけ学ぶ愚者

プロセスに学ぶ賢者、結果にだけ学ぶ愚者

 これは絶対的に正しいかどうかは分からない。
 しかし私の人生では真実であった。
 今日はその物語。

 途上国でずっと医者をしてきた私にとって、手術はまさに格闘だった。
 途上国で手術を始めた20年前、私にはほとんど何もなかった。
 アジアの田舎の家屋の一部屋を改造した手術室で、私の手術は行われていた。
 ベッドすら、木で現地の大工が作ったものだった。
 停電は頻発し、平均して1日に2時間しか電気は来なかった。時には1週間以上全く来ない時もあった。
 薄暗い部屋では昼も夜も現地人スタッフ数人が両手に抱えて照らす懐中電灯が全ての明かりであった。
 電気メスもなかった。道具もろくなものはなかった。
 それどころか、麻酔薬も日本のようにガス麻酔はなく、静脈麻酔と局所麻酔しかなかった。
 だからどんなに長い手術でも1時間程度が限界だった。それでも後半は薬が切れてきて患者も私も、暴れる患者たちを押さえつけるスタッフも何度もつらい思いをした。
 さらに医者は私だけで、看護師すらそのほとんどの期間存在しなかった。
 今から思えば仕方なかった思う。
 私にとってはそれでもやるのか、やらないのかという選択肢だった。
 そして現地の貧困層の人々にとってもそんな私の元で手術を受けるのか、それとも諦めるのかという選択肢しかなかったから。
 だから、私の手術は早い。普通の日本人医師の約3倍のスピードで進むと思う。
 上手いかどうかは別だが。
 それはその環境が私の与えた当然の帰結でおそらく誰でもそのような環境で手術を行い結果を出そうとすればそうなったと思う。
 


e0046467_17141292.jpg
 あれから長い時間が経って多くの日本の医者たちの手術をこの目で見てきた。
 そしてある時、あることに気付いた。
 何で私の手術はこんなに早く、彼らの手術はこんなに遅いのか?
 それでもなんで私の手術のほうが大抵、上手くいき、彼らの手術がトラブルのか?
 はさみで切る時間、糸を縫う時間、一つ一つの動作のなかで器具で組織を扱う時間。
 これらは、私と彼らではそうは違わない。
 なのになぜこんなに手術時間が3倍も結果的に違うのか??
 要するに、問題は動作と動作をつなぐその間(ま)に答えはあった。

 そして、その間(ま)にはさらに二つの要素があると思った。
 一つ目は、彼らには無駄な動きや不必要な動きが多いということ。
 多くの日本の外科医は私の使うおおよそ3割から5割増しの視野を必要とするために、多くの組織を切ったり開いたりして傷めることになる。
 だから患者のダメージも大きい。術後の痛みの程度が断然違う。
 さらに手術時間も短いから麻酔時間も短く、私が手術した患者たちは術後の回復が早い。
 しかし、本当に大きな差は次の二点目から生まれてくる。
 それは、日本の外科医たちはいくつかの作業を繰り返した後に、次の判断をしていることが多いということだ。
 詳しく言うと、A点からB点まで組織切るとすると、例えばそれにハサミを入れて半分くらい切ったときに、どうかな?と確認作業をする。
 あるいは腫瘍の側面を露出するとき、何回か器具でそこをほじくって、それから、どうかな?上手くいっているかな?何か見えるかな?という確認を行う。
 そしてその結果で、次のステップを決めて作業が続いていく。
 ところが、私は同じようにA点からB点までハサミを半分いれていても、実はずっとその過程を追っかけてはさみの先を微調整させている。その結果、彼らのように半分の地点で作業が中断し、そこから動き出すというような作業の断絶は普通はせず、すっと最後まで動いて一気にA点からB点まで切ってしまう。しかし、その作業の間中、脳とハサミは微調整をしながら作業を連続的に進めている。
 腫瘍も同じで、数回の作業の繰り返しの後の結果で次のステップを決めてはいない。たった1回の作業中ずっと、五感を使い連続的に判断をしながら微調整を繰り返している。
 いずれも、脳と体の機能は連続して発動され途切れるたり中断したりすることはない。
多くの場合、このプロセスへの連続的集中が結果の差になって現れいるのではないか?と考えている。

 そしてここからが多くの人にとって大切なのだが、このプロセスへの連続的集中という結果に圧倒的に影響する秘訣に、ほとんどの人は気付いていないのではないか?ということだ。
 
 なぜならば多くの人は結果のみに集中しすぎているからだ。

 分析もデータ収集も、テストの評価や反省も、スポーツにおけるビデオの分析もすべて結果しか見ていないことになる。
 結果から修正されるものは実はそう多くはないのではないか?
 地震があったとき、まさに地表の被害を見て次の対策を立てても、なかなか有効な対策になっていないように、やはり地下でどのような過程でそれが発生するのかを知らなければならないように。
 あるいは、結果として起こっている政治家の不正でその政治家をやめさせても、そのような政治家を生み出しているそのプロセスを修正しなければまた同じことが起こるように。
 
 学生のために少し言うと、これはもちろん試験である問題を結果として解けたということに、あるいは解けなかったということにフォーカスしてはいけないということになる。
 実は、大切なのはその試験を解いているときに、どのような思考過程である公式のような思考基準をどのように導入してやっているかを客観視することだ。試験のときは、それができなければ、自分の時間で問題を解いているときにその解いているプロセスをずっとモニターし続け、どの回路を使うのが正しいのか感覚的に理解することだ。
 問題を解き終わってから答え合わせをして、結果的にどこが間違っていたかを正そうとしても、効率が悪くなる。

 自分の正解に近づけたければ、結果を待って修正すると、手術のように時間はかかるし、正解率も悪くなる。
 ある方法である事柄に臨もうと決めたとき、その過程、すなわちそれを行っている最中に、微調整を繰り返し、思考をフル回転させ続ける。そして、その結果が出たときには、それはそれで反省したり分析したりはするのだ。
 しかしおそらく決定的な修正や新しいアイデアへの気付き、ゴールへ辿り着くためのある種の感覚への目覚めは、既にその過程で獲得されていることだろう。
 結果から逆に導き出して得れるのではなく。

私たちは自分の中にある感覚で普通はこれを自然に行っている。
 人と話しているときに、会話のある分量で区切って流れを決めているわけではない。
 そういう人間は、コミュニケーション能力が低いといわれる。
 そうではなく、刻々と変わる表情や声のトーン、雰囲気や様々な要素を途切れることもなく分析し、修正して会話を行っている。
 ところが、事柄が自分の外にあることと認識しているときは、過程ではなく、結果を分析して修正しようとする癖がある。
 だからそのことをいかに自分の内側にあるものと認識できるのかということが大切になると思う。
 これは分かりやすくいえば、自分で自分の体を手術する感覚を身に付けるということだ。
 自分の体を自分で手術するとき私たちは、脳はフル回転し、体からの瞬間瞬間の情報は脳に伝達され、瞬時に微調整が行われていくだろう。そして、おそらくその時の最高の能力を発揮することだろう。
 
 だから、白けて仕事をしていたり、いやいや物事をしていたり、その状態はもう最高の状態を発揮するのには程遠い状態だといえる。
 これは大切な自分の人生と自分の目の前の時間が分離している状態だ。
 
 人は愚かにも、気付かないことがもうひとつある。
 そうやって、いやいや仕事をしている、毎日をだらだら過ごしている、適当に手を抜いている状態というのが、実は本来は連続的修整をなすべき自分の人生のプロセスそのものになっているという事実だ。
 5年勤めたらまあ、辞めようか。とか、面白くなく、やる気もないけどもう少しだけ人間関係で続けるか。
 などとやって、ある時間が経ったときに反省したり修正したりしているその姿が、日本の医者たちがいくつかの動作を繰り返してから修正する姿と、全くかぶってはいないか?
 そして、それははじめに書いたようにトラブル率が高くなるあり方なのだ。
 
 人生で最も大切なものは時間。

e0046467_17131947.jpg

 人生の時間を大きくセーブするためには、そして自分の人生の正解率を上げるためには、
 今、この瞬間、瞬間を最適な正解を求めて微調整し修正しながら進む以外にない

 そのための必要条件は、今、自分の人生の目の前にある事柄にフルコミット。すなわち、自分と時間の一本化である。
 自分の体を自分で手術するときの感覚だ。
 目の前にある事柄に白けているということは、すなわち自分の人生に白けているということ。
 人のことを愚痴っているというのは、自分の人生を愚痴っているということ。
 
 これが人生というのは今この瞬間にあるということの意味だと思う。
 
  
 





 

# by japanheart | 2016-06-10 03:56 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

美しさを求めて

美しさを求めて



 美しいモナリザの絵が目の前にある。

 この美しさきものを何とか自分のものにして所有したいと思う。

 そしてあらゆる力をつかってとうとう、それを手に入れる。

 

 目の前に本当に出会ったことがないような美人がいてこの女性をあなたの伴侶にしたいと思う。

 そしてあなたはとうとうその女性を妻にできた。


 また、あなたは自分のまだ幼い子どもが笑っているのを見て、なんとも美しくそして愛らしくなんともいえないような幸せな気持ちになりこの瞬間をなんとか留め置きたくて写真のシャッターを何度も切って記録する。

e0046467_11503051.jpg


 それから30年後、、、、。


 モナリザは相変わらずあなたの前にあり永遠の微笑をたたえている。

 時々その絵を取り出してみては何度も美しいと呟くのだ。


 若かったこの世のものとも思えないようなあなたの妻も50歳を過ぎて、髪にはかなり白いものが混じり、しわも深く刻まれるようになった。

 あなたは思う。「私の妻はいまだに美しいが、私が出会った頃の妻は本当に美しかった。初めて出会ったあの日、この世のものとは思えないような息を呑むような美しさだったな、、。」と。

 


 まだ笑顔が本当に愛おしく幼かったわが子は既に30歳を過ぎ、今ではすっかりいい男になった。背も高く、ひげも濃いが、なかなかのハンサムな息子だと今でも自慢である。



 それからさらに20年後、、、。


 モナリザは相変わらずあなたの前にあり、相変わらず永遠の微笑をたたえている。

 少し視力が弱くなってきたが、その美しさは本当にすばらしいものだと今でも思う。


 美しかった妻は、すっかりいいおばあちゃんになってしまった。

 しわは深く刻まれ、それが彼女のいろいろな人生の経験を物語っているようだ。

 あの頃に戻れてもう一度だけあの頃の妻に出会えたらどれほど幸せだろうか。


 息子も今では立派になり、彼の息子、すなわちあなたの孫もそろそろ結婚を考えていると聞いている。


 それから10年後、、、、、。


 今では取り出してみる機会はめったになくなったがモナリザは相変わらず永遠の微笑をたたえている。その美しさは本当にすばらしいものだと今でも思う。

 この絵は私は死んだ後、どうなるのだろう?それだけが気がかりだ。

 そのことを思うといたたまれない気持ちになる。


 妻は1年前に死んでしまった。毎日妻の写真を眺めては幸せだった日々を振り返る。

 出会いの頃、彼女は本当に美しかった。彼女と出会えたことは私の人生で一番の幸せだった。


 まだ子どもだと思っていた息子も孫に囲まれここしばらく会っていない。時々、ここに

子どももや孫をつれてやってきてくれる。

 ひ孫を抱いたとき、息子の同じ頃をふと思い出し幸せな気持ちになる。


 そして、、、、、、それから数年後。


 さてそろそろ私も臨終が近づいているようだ。


 モナリザの絵は、あの世にもっていけないが今でもきっと美し微笑んでいるだろう。

 目を閉じればいつでもその微笑を思い出すことができる。

 


 妻よ。そろそろそちらへ私も行くときが来たようだ。

 目を閉じれば、君との思い出がよみがえってくる。

 君は本当に美しかった。今でもその美しさは永遠だ。君のその美しさははっきり思い出すことができる。


 息子よ、私はもうすぐ旅立つがしっかり生きて行ってくれ。

 お前があの幼き日に私に向けてくれたあの愛くるしいほどの姿が、その微笑が何度私を勇気づけてくれただろう。本当に感謝している。

 こうして死の際にあっても、この脳裏にしっかり思い出すよ。

 ありがとう。




   、、、、、、、、、、。



 万物流転。何一つとして留まることはない。刹那刹那に全てが変化して、同じものなどない。

 どんなに美しいものでも時と共に変化し、それは失われていく。

 人の苦しみは所有できないものを所有しようとしたときに生まれてくる。

 たとえどんなに美しい女性でも、本人ですら、それを生涯、持つことはできない。

 否、一瞬たりとも同じ美しさを持つことなどできない。

 どんなに愛くるしい存在でもやがてそれは無くなってしまう。

 本人が自覚もないうちに。

 若さも感動も、人生で本当に価値あるものは全て。


 私たちの存在は時間に制約される。


 やがて全てを手放さねばならないときが来る。

 はじめからもてないものをもとうとしないことだ。

 そこに苦しみが生まれる。


 モナリザの美しさを所有などできないのだ。

 モナリザの美しさなどという決まったものは本来どこにも存在しない。

 その絵から感じる美しさは、あなたのそれと私のそれとは全く違うものだ。



e0046467_11541829.jpg

 どんな美しさもきっと自分の中にある。

 あなたがモナリザに感じた美しさ、若き妻に感じた美しさ、わが子に感じた愛くるしさ、それらはあなただけの特別なもので、あなたの心と頭の中以外、どこにも存在しないものだ。

 それを感じる感性さえあれば、いつでもどこでも、あなたの中に蘇える。

 それが本当に所有しているということだと思う。

 だから、物理的に所有などする必要はないのだ。

 それをすれば苦しみが生まれる。


 モナリザを見たとき、なんと美しい!と思う。

 若き日の妻に出会ったとき、なんと美しい人だ!と思う。

 幼きわが息子があなたに向かって微笑んだとき、なんと美しく愛くるしい!と思う。


 そう感じた瞬間、あなたは既にその全てを、その全ての美しさを手に入れている。

 それが永遠の宝であり、誰にも奪えないものだ。



 もっと言えば、その美しさははじめからあなたの中にあったものだ。

 人は自分にないものには感応しない。

 外部の刺激であなたの中のその美が目覚めたに過ぎない。

 はじめからその美をもっていたのだ。

 だからそれを外部に求めて所有しようとしてはいけない。


 私たちの人生は外へではなく、自分の内へと深く入っていくとき真実が見える。


  

 




 

 


# by japanheart | 2016-05-20 14:06 | 随想 | Trackback | Comments(0)

ものごと上達の秘訣

ものごと上達の秘訣

先日ない時間をぬって小学生の二人の息子たちに質問をした。
「スポーツや習い事での上達の秘訣は何だと思う?」
長男曰く、「心の持ち方が大事」
次男曰く、「たくさん練習すること」
共に正解である。
今や世界の一流のアスリートでも、はじめの頃は小さな集団の中でそこそこ目立っていても、だんだんとレベルの高い集団に属し始めるとすごいレベルの人たちが周りにたくさんいて、その中から突き抜けてしまった現在の世界一流の姿は想像できなかったと思う。
世界一流になる!と心では威勢を吐いても、はじめの頃、現実には半信半疑の状態だったろう。
それでも自分を日夜信じ、人一倍の「たくさんの練習」を行い自ら一流になるのだという「心を持ち続ける」ことは大切だと思う。もちろんそれなくしては今の姿はなかっただろう。それは必要条件だったのだ。

もちろんスポーツなるものは生まれつきの体格や運動神経などが大きく影響する。
勉強や習い事の類にもそれは当てはまるだろう。

おそらく今、世界トップレベルの人と同じ才能に恵まれた人間はおそらく世界に数多くいるだろう。
勉強も鍛えれば東大にいける人間は、それこそ万の単位になるだろう。
では、そのトップレベルとそうでない人との間には一体、どんな違いがあったのだろう?

トップレベル近くにいる母集団の人間たちと、トップの人間と何によって差が出てしまったのだろうか?
東大の合否境界の上と下、天国と地獄を分けたものは一体どういう経過によってなされたのだろう?

私が子どもたちに指示したことは、たった一つ。
「いつも考えること」だった。
これが、私が考える抜き出るための秘訣なのだ。

千回野球の素振りをする。
千本サッカーでシュートの練習をする。

ただ、千回必死にバットを振る。
ただ、千本ゴールにめがけてシュートを放つ。

その人間と、
一振り一振りにテーマを儲け、何かを確認しながら素振りを1000回行う、
あのゴールの角にこの角度でシュートを入れるためにはどうすればいいのか、を考えながら毎回シュートを放つ、
そういう人間の差は同じ才能があったとしても時間の経過と共に大きな成果の違いを生み出す。

近代随一の武道の天才、佐川義幸氏は弟子たちにこう言ったそうだ。
「考えろ、考えろ。私にとっての正解が、あなたにとっての正解とは限らない。」

医療の現場にいても同じことを感じる。
人の指示に従う癖がついている人間は自分で考える習慣がない。
だからいつまでたっても医療のレベルが上がってこない。

e0046467_14471444.jpg


10年やっても20年やってもほとんどそのレベルは変わらないのだ。
ただ経験と習慣だけで動く。それはなれれば早く動けるようにはなる。しかし、場所や条件が変われば途端にフリーズしてしまう。そして何も自分で答えを生み出せない。その姿は最近、医療者になったのか?と思ってしまうほどのレベルなのだ。
しかし、実はそれがその人の真実のレベルだと思うのだ。慣れとごまかしで日々何とかなっていただけなのだ。
自分で考えないということは、ホントは相当、恐ろしいことなのだ。

より深く考えるためにはできるだけ現状の正確な認識が必要だ。
ある事柄についてどれほど知らないのか。どこが分かっていないのか。何がおかしいと考えられるのか。
ここでごまかす人間は成長しない。
間違ったままの状態でいくら練習しても癖が増長されるだけで決して高いレベルには達することはできない。

本番以外の試験は全てその正確な現状把握のための材料であり、自己修正のための情報だ。
他人の競技や試合、そして自分のビデオを見るのも全て、自己修正のための手段だ。
他人の動きから自己の動きを認知、分析し、自分の修正に使う。
これは全ての事柄に当てはまり、医療も全く同じだと思う。

そしていつも考えるのだ。
この動きの修正はどうすればいいのか?ああでもない、こうでもないとやってみる。
この問題が解けないのは、どこが分かっていないのか?ここはどうか、あそこはどうかと考えてみる。
そういうことを四六時中、癖になるまでやる習慣がつくと必ず大きな上達が起こる。
やがて大きな気付きが起こるのだ。

私たちが知っている一流の人間たちは皆、
いつも自分の心で未来と現在を何とかコントロールしようとし、誰よりも多くの練習をこなし、一番、悩んで考え続けている人間だと思う。

今日、次男が妻に「俺、今日考えてサッカーしたよ」と言っていたそうだ。
ここからの継続が大事なんだけどね。

ライフワークにしたいものは、とにかくいつも現状を正確に把握しようとし、修正発展させるためにいつも考える習慣をつけたほうがいい。


e0046467_14464491.jpg







# by japanheart | 2016-04-28 02:21 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

letter to mie727

letter to mie727

私の元にはもはや数え切れないくらいの女性たちが訪れる。
私がモテモテということではなく、国際協力を目指す医師や看護師や学生たちがたくさん勉強に来るということである。
そしてその8割くらいが女性だという、なんとも男性にとっては情けない事態になっている。

mie727はある看護師のコードネームである。

彼女とのはじめての出会いは、ちょうど9年前のTBS夢の扉という番組の撮影時にさかのぼり、ちょうどその時に看護師として短期ボランティアに参加していた。しっかり全国ネットのTV放送にも乗っかっていた。
背が低く几帳面な性格ではあるが、ちょっとびびりなところが愛嬌であり、誰とでも上手くやっていく性格で、それはそれでそれなりの人生経験を感じさせた。

このびびりで几帳面なコードネームmie727にNPO法人ジャパンハートの最も大切なプロジェクト、それは全ての活動の力の源泉である国際的な看護師をシステマッチックに育て上げるという重大任務を任せたのだ。
ジャパンハートの全ての活動は無償で働く看護師たちによって支えられている。私がどんなにがんばったところで看護師たちの力なくして多くの人々は救えなかったであろう。
私のわずかな貯金を元手に活動を始めた当初は全くの金欠で、看護師たちが離島で働く給与が活動資金の一部として投入されていた。(ジャパンハートの看護師たちは海外6ヶ月、国内離島6ヶ月の労働を義務としている)
私は海外医療を志す多くの日本人たちは私と同じように皆、せめてその活動に関わる期間、時間もお金も捧げて一心不乱に医療が受けられない人々のためにやってくれるものだと40歳になっても青臭く信じていた。
ところが実際、離島での給与を勝手に使い込む人やそのままネコババして活動から消えてしまう看護師達が現れたのだ。
これには参った。
自分が海外で働いている間の活動費は、その間、離島で働いている看護師たちの給与でまかなわれていた。
だから、自分が離島へ行った時は次の看護師たちの海外での活動を支えることが当たり前だと私は信じていたのだ。
お金を納めない人がいると海外の活動に支障が起こることになる。
この仕組みに不満を持っている人はきっと多くいたことだろう。
自分の稼いだ金を何で貧困層の人々のためだとはいえ、差し出さないといけないのだと。

私にとっては人生はやるか、やらないかのだ。
力を抜くくらいならやらないほうを選ぶ。
人生を勝負しているときに、何かを出し惜しみしてとても満足いく結果が得られる気がしないのだ。
私の人生手を抜いて上手くいったためしがない。
だから、
やるときは、やる!
お金がほしければ、お金を稼ぐ。
国際協力もお金も同時に取れるほどに多くの人には能力は備わっていない。

ある人には看護師たちへの感謝が足りないのだとたしなめられたことがある。
私は確かに感謝などしていなかった。
当たり前だと思っていた。
なぜならば離島で働く看護師たちは、先に海外で働き、そのとき離島で働いてくれた看護師たちの努力によって自分が希望している海外での活動を思う存分できたからだ。それから次の人を支えるために離島にやってきていたからだ。
私にはそれは前の人たちに対する義務にしか思えなかった。
受けた恩は、次の世代に当たり前に返す。
そういうものだと思っていた。
だから彼女たちの様々な不満は、突き詰めるとお金が惜しいとしか解釈できなかったのだ。

私はこのスタンスだから当時いた人の中でもいろいろ悪く言う人はいるかもしれない。
しかし、それは考え方と生き方の違いだ。
きっと今でも相容れないだろう。

しかしながら、これは組織の危機だった。
不信感が充満し、活動を継続する人々も減っていった。
患者は増え続ける一方、完全なるマンパワーの不足状態になってしまった。
誰もそこまでして国際協力などしたくないのだと言われているようだった。
もしあの時mie727がいなければきっと今でも私は寂しく医療をしていたかもしれない。
あの時mie727にこの看護師の研修事業を任していなければ今頃どうなっていただろう?とふと思うのだ。
今では、その努力によって全てスキームが作り変えられ、離島での給与は現在は一切、看護師達が払うことはなくなった。
それは決して簡単なことではなかったはずだ。

私は知っていた。
mie727がいつも数時間ものあいだ不満を抱いている看護師たちに電話をして彼女たちに少しでも活動を支えてもらおうとがんばっていてくれたことを。
mie727がいつもどうすれば多くの人たちが参加したくなる組織になるか?研修事業にできるかを必死に考えていてくれたことを。
そして私は今でも知っているのだ。
mie727がかつて特別な能力がなければできないと思われていた国際協力・国際看護を誰にでもできる、全ての看護師たちに道を開けるために今も何を自分がすればいいのかを考えていてくれることを。

コードネームmie727が国際看護研修事業を任されてから今では年間300人以上、のべ1000人以上の日本人看護師達が国際協力の現場に実際に行き、多くの貧困層の人々のために働いてくれている。
それは保健や衛生活動ではなく、バリバリの直接患者に触れる・癒す、、、臨床医療活動なのである。

この数は年々歳々増え続けており、近い将来、年間1000人の派遣を目指している。

これで日本の全ての看護師たちに本格的な国際臨床医療の道が開けたのだ。
日本の多くの看護師達がアジアの途上国の貧困層に人々に直接、医療を届け、日本の離島へ少しでも貢献できるようになった。

今後、数え切れないくらいの看護師達が国際協力の道に入るだろう。
この道の半分はコードネームmie727がひいたものだ。

mie727はこの春、ジャパンハートから離れていくが、彼女が日本の看護師のために道を作った国際医療協力の世界に多くの若き看護師達が進むことを願っている。
e0046467_10425311.jpg

# by japanheart | 2016-03-30 03:25 | スタッフと想い | Trackback | Comments(0)

アジアの小児がんの子どもたちを救おうと思う

アジアの小児がんの子どもたちを救おうと思う


 この時期にカンボジアに病院を設立する。

 

e0046467_2232388.jpg
 20年以上の間、アジアの途上国で医療を行ってきて確実に人々を取り巻く疾病状況にも変化を実感する。

 現在はラオスと中国の国境の山岳で医療をしていても、ミャンマーの僻地にいても、カンボジアの田舎町で医療をしていても、その町で暮らす人々の多くはみな市販のミネラルウオーターを飲んでいる。

 多くの人々はインスタントラーメンを当たり前に食べている。

 20年以上前、アジア最貧国といわれた時代のミャンマーは、川の水や池の水を簡単な陶器でろ過して飲んでいる人々が多かった。最近ではあまり見かけなくなってしまったが。


 日本人の多くはいまだに勘違いをしているかもしれないが、下痢で命を落とす子どもたちは今やそう多くはないのだ。

 どこのも町にも抗生物質は多くの種類そろえられており、いつでもそう高くない値段で購入できる。

 もちろん点滴も受けることが大抵はできるのだ。

 これらの変化は、アジア全体の経済状況の底上げが大きく影響している。

 その中でも中国の経済成長は思わぬところで、多くの人々の命をあくまで意図せず、結果的にではあるが救っている原因の最たるものだと思う。


 もし国際機関やNGOをはじめ多くの人々が相変わらず30年前のコンセプトでものを考え同じ行動を繰り返しているとしたらその多くの努力は結果には反映されておらず無駄になっているかもしれない。


 そのような社会的変化の中で、私たちもメインで対応するべき疾患を変えるべき時期が来たのだ。

下痢や急性の呼吸器疾患だけでなく、多くの子どもたちが命を落としている疾患とは何なのだろう?


 ひとつは、先天性の心疾患。生まれつきの心臓奇形がある。これは100人に1人の割合で生まれてきており、形態の異常を手術等で修正しなければ多くの子どもたちが命を落とすことになる。

 おそらく、ミャンマーだけで1年に1万に以上の心疾患の子どもが産まれ、多くは治療できずに死んでいく現状である。出生率からするとカンボジアは3000人以上、ラオスは1000人以上生まれていると思う。

 ミャンマーではなんと子どもの心臓外科医はたった一人も存在しないのだ。

それが何を意味するかは誰でも理解できると思う。


 長年見過ごしてきたこの事態に私はとうとう昨年から手を付け始めたのだ。

いろいろ動いて結果的には、東京女子医大の小児循環器科と国立循環器病センターの小児循環器科の日本を代表する人々が協力をしてくれることになり、産経新聞社の基金を使い、多くの医療者を現地に派遣、現地の医療者を日本に招聘して勉強してもらいつつ時間をたっぷりかけて子どもの心臓病の医療者たちを育成することになったのだ。ジャパンハートの役目はそれら全ての現地での動きをコーディネートすることになり、この4者で時間をかけて子どもたちのいのちを救っていく活動が昨年から始まった。


 実は、もうひとつ私が長年見過ごしてきた病態がある。

 それは小児がんだ。

 その多くは白血病であろうと思われる。

 日本では年間2000~3000人の小児がんが発生するといわれている。

 そして白血病の場合は今では多くの子どもがサバイブできる状態になっている。

 ところが、私たちが活動するミャンマー・ラオス・カンボジアでは昔の日本のようにほぼ全滅している可能性が高い。

 カンボジア、ラオスではおそらく十分な抗がん剤すら揃っていないかもしれない。


 しかし、時代はそういう国々でも、日本のように多くの子どもたちが救えなくても、日本のたとえ半分の割合の子どもたちでも救わなければならない時代になったと感じている。

 日本のような高額な医療をできなくても、昔から使っている今では薬価が下がった薬を使った治療であっても、半分くらいの子供たちが救えるのではないかと私は希望を持っているのだ。


 日本政府は多くのお金を日系企業にサポートを与え現地の富裕層相手の病院建設のために私たちの税金から拠出している。それはもちろん無策で行っているわけではない。日本の製品を世界に販売していくためのサポートをしているということだろう。

 しかし、その税金はおそらく現地の貧困層の人々には届かないだろう。


 昔、ミャンマーの医療機器メーカーの人が私にこう言ったことがある。

「金持ちは私立病院に行き治療を受ける。その次にお金を持っている人々は政府の病院に入院し治療を受ける。その人たちよりお金がない人は政府の病院に入院はするが、何もしてもらえずそのまま亡くなる。本当の貧乏人はどこへもいけずに静かに村で死んでいる。」


 日本の良識ある国民は自分の税金がどちらに使われたいのか、もう一度、自問してもらいたい。

 貧困層の病院なのか?

 富裕層の病院なのか?

 私はせめてその10分の1でもいいから、もう少し貧困層にも届く税金の使い方を自国の政府にはしてほしいと、一国民として純粋に思うのだ。


 しかし、嘆いていても始まらない。

 誰かがこのような貧困層の人々でも医療が受けれる病院をつくらなければならない。

 だから自分がはじめようと思ったのだ。

 誰かに期待していても何も始まらないから。


 スタートが1日遅れれば何人もの子どもたちの命が失われるかもしれない。

 だから、そこに1日でも早くたどり着けるようにお金も十分ないのに建設をスタートさせてしまった。

 

 その病院がいよいよこの6月あたりからスタートする。


e0046467_2233376.jpg

 アセアンは昨年末経済統合され、ユーロのようになっていくだろう。

 既に医療者の免許の統合に向けて進んでいる。

 この病院に各国の若手の医療者たちを集め、日本の医療者が指導・教育できる仕組みをつくる。

 各国からバスや格安の航空機を使いやってきた病気の子どもたちを各国の医師や看護師たちと一緒に治療する。


 まずは第一期の段階は周産期の治療から始める。安全なお産と新生児へ対応になると思う。

 そして第三期を迎えた段階で、小児がんの子どもたちを受け入れ始める。


 それが早くなるか遅れるか?

 私たちのファンドレージングの能力、そして医療者をはじめとする日本人たちの力を私たちがどれくらい集めれるかにかかっている。


 今はボードにのって静かに時代の大きな波を待っている。 


 PS:

    先日、ラオスで5歳の男の子が白血病で静かに死んだ。

    お金がないから、当たり前にタイに治療にも行けなかった。

    父親は虫の息になったわが子を見て「タイに連れて行きたい」と言った。

    私たちは無力だった。

    ただ病院のベッドに寝かせておくことしかできなかった。昔の日本の医者のように。

    

    この光景が私たちが活動する国々で毎日、毎日、何十回も繰り返されている。

    



# by japanheart | 2016-02-29 01:35 | 子どものこと | Trackback | Comments(2)

これから20年の国際貢献のゆくえ~途上国医療のこれから

これから20年の国際貢献のゆくえ~途上国医療のこれから


 時の流れは速いものだ。

 20年なんてあっという間。

 しかし20年あれば十分、時代は大きく動いている。


 1980年代中頃、医師を目指して医学部に入学した。医師を目指した理由はたった一つ。絶対に医療を受けることができない人々に医療を届けたいと思ったからだ。

 そして30歳のとき日本で数年間医師としての勉強を終了し、途上国へ向かう。

 そしてミャンマーを訪れた。

 私が医師を目指したとき外国で働くというのは、北米や欧州で勉強や研究に行くこととほぼ同義だった。医師として途上国で働くなどということはもちろんほとんど有りえない選択肢だった。

 もちろん、日本政府や国際協力事業団(JICA)からの派遣として幾ばくかの期間、技術協力・指導などの目的でその土地に赴くことは選択肢として与えられていた。しかし、それはしっかりとしたステイタスと高額のサラリーが保証された特別な分野であった。


 そんな時代に、日本政府の後押しもなく、途上国医療を目指し、実際に途上国の医療現場に赴く人間は完全に標準の±2S.D.(標準偏差)外、しかもマイナス2S.D.のはるか彼方に存在するまさにoutlierであり、それは否定の対象にすらならず、無視あるいは黙殺する特異な存在であった。


 それから20年。

 私のやっていることは20年前とほとんど変わらない。

 しかし、時代は確かにしっかりと動いていた。

 

 日本の権威ある医学学会、シンポジウムなどから声がかかるようになった。

 かつては厳格な医局制度の中で、途上国などで医療をするという馬鹿げた?行為を徹底的に否定してきた人々が、私の話に耳を傾けるようになったのだ。

 若い世代の医師たちだけでなく、大学教授や大病院の部長などの人々が、途上国医療に興味を示してくれるようになったのだ。

 今年も5月には日本小児外科学会総会で講演する予定になっている。


 そして今や現実に海外の私の元には年間に600名程度の医療者がその活動を支えるためにやってくるようになった。そして今後、その流れはますます加速する。

 これは時代の流れだから、おそらく誰にも止めることはできない流れになると実感している。


 さて、この延長線上で次の時代を私なりに予想している。

 これから15~20年で、時代は再び大きく変わる。

 人工知能の発展が医療そのものの姿を変えてしまうだろう。

 人々の病気は予防医学の劇的な進歩によって治療という医療の重要な役割の比重を大きく下げることになる。

 アジアは大きく経済発展し、都市部での医療レベルは東京でもバンコクでもマニラでも北京でもおそらく変わらなくなるだろう。

 今は日本の医療界も医師や看護師が足らないと必死になっているが、あと2030年もすれば医師や看護師は大きくその役割を変え、今ほど人数は不要になる。今は数こそ力だと一生懸命に人を集めている学会や医局にも人数制限が設けられ、簡単にはそこに入れてもらえなくなると思う。


 医療レベルの差は都市部で変わらない一方、非都市部では各国の経済レベル、政治レベルの差によって発展度や達成度に差が生まれ、政治や経済が上手く機能していない国ではしばらくの間、日本などの先進国の人々ほど時代の恩恵を受けることはできないだろう。しかし、それも時間の問題で解決されていくに違いない。

 それほどに医療は、医療者が知らないところで大きく地殻変動を起こしつつある。


 今後、この時代ギャップによって医療を享受できない途上国の人々に医療を届けるのがジャパンハートの役目になると考えている。


 とりあえず15年、今の延長線上でしっかりと途上国の貧困層に医療を届ける。

 それからさらに15年は、時代の恩恵から取り残されている人々に医療を届ける。


 その後のことは私にも今は全く分からない。


 


 



# by japanheart | 2016-02-18 00:59 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

子どもが飛躍するために、大人ができる大切なこと。

人間には「拘束(或いは、緊張)と開放」という時間のバランスが必要だと思う。
そして必ず順番も、「緊張 ⇒ 開放」の順番だと思っている。
これは誰でも経験的に、直感的に理解できると思う。

e0046467_2382780.jpg


人は弱さゆえ緊張を嫌い、開放を望む。
これが最初から開放の状態を持ち込むと惰性や怠惰という状態になってしまう。

緊張とは、ある場面では抑圧であり、弾圧であり、強制である。

たとえば、
飢餓があれば、食の有り難さを知る。
極度の弾圧、抑圧があれば、本当の自由を知ることができる。

有名な「夜と霧」の著者は第二次世界大戦時ナチスの死と隣り合わせのアウシュビッツ収容所で本当の自由とは何かということに気付いたと回想している。

肉体もそのようにできている。
高く、あるいは遠くへ飛びたければ、屈曲という肉体的緊張をまず必要とし、その後、その緊張を進展という開放状態にもっていかなければならない。

何の話かというと、実は今回は教育の話をしたいのだ。

私は子育てであれ、学校教育であれ、まずはある種の拘束状態を子どもに与えなければならないと思っている。
特に初等教育は、まず社会のルールを少しづつ教えていく時期なのだが、この時期にある種の強制が必要になる。
算数をする。国語をする。音楽をする。子どもたちが嫌がろうと、まずは強制していかなければならない。その強制は、極度であれば折れ曲がりすぎて膝が伸びなければ飛べないように、子どもにとって適度なもの、もっというと飛び上がることができるギリギリのところまでいけると効果は最大になる。ここが教師の能力の問題になってくる。上手く誘導する教師はいい教師ということだ。

例えば子どもに、算数を過度に強制すると、子どもは算数自体を拒否するようになる。だめ教師はこれをしてしまう。

さらに難しいのは、中学校の教育だ。ここまで義務になっているから、必ず強制されることになる。
中学の各教科は、それぞれにいろいろな学問の基礎を学ぶのでどれも一度は強制をしたほうがいい。向いていないことが判明したら、高校にいかないという選択肢も与えられている。
しかし、もし一度も強制しなければおそらく、多くの子どもたちはその課題から逃れ、その学問的素養から生まれる様々な利益を、生涯にわたって失うことになるだろう。
だから強制的にそれを一度は学ばせる必要がある。

現在の日本の問題点は、勉強が嫌になった子どもに、高等学校で教育を受けることを社会が暗黙に強制しているところにある。その目的がいい大学に入るとか、いい就職をするためとかいうのだから情けない。

学問が過度の強制になっていいことは一つもない。

そのような子どもたちには、中学校を終わると高校や大学など行かなくても別の能力開発のための道を作ることも大切なことだと、いつか社会が変わってくれる日を待っている。

一度、枠に押し込めることは本当に大切な要件で、私は海外の医療現場でも必ずこの手順を踏む。
まずは正しいと信じるやり方で、医療者たちに我流や経験を一旦捨ててもらい、私のやり方、方法に強制的に従ってもらう。おそらく心の中ではかなり反発もするし、かなりのストレスを抱える人も多いが、必ず強制する。

なぜならばこれこそが、その後の医療者たちの飛躍を生むからだ。
言い方を変えれば、私のやり方を習得するということは、私の人生を自分の一部にしたということだ。
ある学問を学ぶということは、人類の歴史の一部を自分のものにしたのと同じだ。

そしてやがて私のやり方から開放されたとき、過去の自分の経験と今私から奪い取った経験が融合され、自分自身の能力がさらに進化し、新しい自分を手に入れることができる。

そして人生はそこからが勝負になる。
さらにその先にある全く新しい時間に自分を進め、何かを生み出していくという段階になる。
自分だけのオリジナルなものを生み出すということだ。

e0046467_238575.jpg


それはまた、ある学問をまず強要され、学び終わったら、そこから新しい理論や発見をしていく過程と似ている。
こういう階梯をかつては、「守・破・離」と呼んだわけだ。

 守というのは高く飛ぶために、膝を屈曲すること。
 破というのは極限一歩手前まで曲がった膝を伸ばしはじめ、元の高さまで膝が伸びること。
 離というのは元の高さより高く飛び上がること。

小学・中学時代の強制は、人生に守を与えることだ。ここがない人生は、決して高くは飛べない。

必ず学校教育が必要なわけではないが、なければそれに変わる何かを用意しなければならない。
その理屈でいうと、子どもを叱る教育も大切だということだ。はじめからほめて育てるやり方は、いきなり子どもに飛び上がれといっているようなものだ。しっかり叱り、いいタイミングで褒めまくる。
これが守・破・離に則ったやり方だ。

子どもは賢いので、親の顔色ばかり見ている、或いは親に気を使っている、或いは親に変に洗脳されている子ども以外は、何かに付けて親から与えられた習い事も無理やりやらされている、親がやらせたがっているとちゃんと理解している。
うちの小学生の子どもたちも堂々とそのように文句を言うのだ。
しかしこれは立派なことだ。少なくとも私はそのように感心したのだ。
しかし今、子どもたちには、君たちのいう事、感じていることは全くその通りだが、今はここに書いてきた理由により、少なくとも小学生のうちは強制しますと宣言している。

守の状態は苦しいものだ。体重を支えながら膝を折れ曲げる動作はストレスフルなのだ。
(親の役目はここまで。)

どこでその重さから開放されるのか?
それはまさに折り曲げ始めたゼロ点を通過した瞬間からだ。


そのことも知っておいたほうがいい。
ゼロ点を過ぎればできるだけ脱力したほうが高く飛べる。
そのことも知っておいたほうがいい。

要するに、親は干渉したりしゃしゃり出ない方がいいということだ。

 ゼロ点というのは人生でいうといつになるのか?
 
日本という社会は、大学生になっても、社会人になっても親が出てきたりする。
それはわが子の成長を阻害する行動だと思ったほうがいい。

社会人の子どもが海外に医療ボランティアに行きたいという。
そして、親が反対しています、とか。親が帰って来い、とか。いい始める。
心配するのは分かるが、親は基本的に子どもが死ぬまで生き続け、面倒はみれないのだ。
だから、そんな親の発言は子どもの人生の発展を上から押さえてつけているようなものだと思う。
 

ゼロ点というのはいつなのか?もう一度しっかり考えてみたい。
中学卒業したときなのか?
高校卒業か?大学卒業か?
それとも社会人になった時なのか?

 私は結構、早い時期だと思っている。
# by japanheart | 2016-01-13 23:11 | 子どものこと | Trackback | Comments(0)

上を見るな!下を見ろ!

上を見るな!下を見ろ!


世の中にはすごい人間は五万といる。
私も若い世代には特にチャレンジしなけりゃ将来やばいよ的な話もよくする。
マジで日本社会ほどぬるい社会は最近私はあまり見ていないような気がする。
良くぞここまでこういう社会を作り上げることができたなとむしろ感心する。

私がいるミャンマーでは雨季になると数年に一度は川が氾濫し家も土地も全てが川のそこに消えてしまう。
そうすると農民たちは何かが川から這い出してきたように水かさの上昇に合わせて上に上にと
高いところに家畜と共に簡易の住処を移動させながら高い土手の斜面に小屋を構え、飯を炊き、
挙句には、商売を始めそれはもうたくましく生きている。
e0046467_1917585.jpg


政府からの助けなど端から期待していない。だからそういう環境であっても笑いが絶えず、嘆いている人はほとんどいない。
一方、ある時、ある日本の地方が洪水になり地方の体育館で過ごす、第二次世界大戦を経験した大変な時期を過ごしたはずの日本のお年寄りがインタビューに答えて曰く「もう丸1日もテレビも移らないので不安で仕方ないです。」
日本はこの70年、何て安全ないい国をつくってきたんだろうと感心してしまう。
そして今や、こんなにもぬるい世の中を実現してしまった。
まあ、日本以外のアジアの国々との比較だけれども。もちろんアメリカももっと厳しいでしょ。

そんなぬるい社会で若者に向かってがんばれ!上を目指せ!といってもなんとなく暖簾に腕押しになってしまう。
ホントはがんばらないと日本の失速と共に自分の相対的な位置も落ち始めて果てはどんどん色んな意味で貧しくなっていくのだが。
日本人はある東アジアや東南アジアの国の人間を指して素行が悪い、行儀が悪いと馬鹿にするが、
その人たちのほうが将来、収入も地位も上になってしまう。そうするとどちらが社会から重宝されるのか考えてみるとなんとなく情けなくならないのかな?

そんな若者に私からアドバイスをしてみたい。
そんな若者にあえてこう言おう!
「上を見るな!下を見ろ!!」

そう、すごいやつなんて目標にしたらいつまでたっても動けない。だろ?
すごいやつはいつの日か射程に捕らえるとして、今は敢えて、「下のやつを見ろ!」と言いたい。

人間誰でもこいつにできるんだったら自分にもできるんじゃないかと思う他人がいるはずだ。
こんなしょぼい人間にこんなことができて自分にできないはずはない、と思える人間を探してみてはどう?
本当はそいつは、かつてのそいつではなくて今やすごい人間かもしれないが、あなたが見るべきはかつてのしょぼかったそいつのイメージだ。
こいつにできて自分にできないわけがないと、自分に言い聞かせとにかくその人間と同じレベルくらいのことにチャレンジしてしまう。
現実は厳しく、そんなに人生甘くはないが、そのチャレンジのうち1つ、上手くいくだけで人生が動き始める。
とにかくきっかけだ。
人生はきっかけが全てなのだ。

とにかく人生にフックを掛けろ!

私はよく子どもの頃を思い出せばいいという。
例えば、今、医者でも世間でもてはやされている人間たちの子どもの頃を、一度みんなでのぞきに行きたいものだ。
きっと今は結構、威張っているが子どもの頃は、運動ができなかったり、気が弱かったり、影が薄かった人間が結構いると思う。
その人間たちがなぜ今や、こんなに自信に満ち、威張っているのかを考えてみたらどうだろう。
彼らにもきっとしょぼかった自分から今の自分へのターニングポイントがあるはずだ。
そのポイントはほとんどの場合、ちょっとしたきっかけなのだ。
少しほめられたとか、たまたま上手くいったとか、その程度のものだ。
生まれてからずっとすごい人間なんて一体、何パーセントいると思う。
たいていの人間は、何かのきっかけでのし上がってきているだけでしょ。

だとすると今の自分を変えるのはきっかけをどうゲットできるかにかかっている。

高い山を登るには方法は二つある。
1つは、低い山を乗り越えて体力を徐々に付けて高い山に挑んでいくやり方。
2つ目は、いきなり高い山に登り、挫折して、己を知って、そしてそこを目標に日日努力して行くやり方。

私は2つ目のやり方を好むが、それをできない人は、1つ目のやり方で行くしかない。

まずは低い山を選べ。
とにかく低い山を失敗しても、次から次へと登っていくやり方がいい。

e0046467_19175345.jpg

やがて人生にフックがかかる瞬間が訪れる。
その瞬間に、2つ目のやり方に切り替えてみるのもいい。

ところで、もうひとつアドバイスがある。
それは人生は目標を目指してそれを手に入れるよりも、失敗しようが成功しようが、もしかしたらその過程で手に入れるものの方がもしかしたら価値がある、
ということだ。
これを私は、副作用の法則と呼んでいる。

プロ野球の選手を目指して努力する(目標=主作用)。結果、プロ野球の選手になれなかったとする。即ち失敗だ。
しかし、その過程で得たもの(=副作用)はなんだろう?
努力する価値。人並み以上の体力と忍耐力。挫折を味わった人生観。すばらしい仲間たち。
野球のすばらしさの理解。得たものは、その他数え切れないほどあるに違いない。
実はこちらのほうが長い人生にとって価値があるかもしれないのだ。

そう、チャレンジするということは副作用の宝庫へのアクセスなのだ。






# by japanheart | 2015-12-27 00:49 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

努力を発露させる

努力を発露させる


努力というものについて私見を述べてみたい。

前回の私のブログの才能の話は、「継続的努力は先天的才能を凌駕する」だった。

特に先天的な才能にはピークがあり、必ず時間の経過と共に衰弱していく性質がある。

後天的な努力によって目覚める才能はピークアウトせずに生涯成長する可能性がある。

だから継続的な努力によって時間をかけていけば、多くは生まれつきの才能の弱さなど克服できるのだ。

という話を書いた。


こういう書き方をすると、必ず、努力するのも才能がいるでしょ!という意見がある。

世の中には”ああ言えば、こう言う”タイプの人が多いが、結論からいうとこうだ。

努力に才能が必要と考えている人は、生涯、浮かばれない。


人間は呼吸が苦しくなれば、自然に呼吸数を増やす。

空腹になれば、これまた本気で食料を捜し求める。

人を好きになれば、その人の気を引くために必死になり、いつも意識を向けている。


自分さえその気になれば、いつでも努力は発露される。

そのための才能はほとんど全てに人に与えられている。

だから才能はほとんど関係ない。

努力をするために人間に必要なのは、体力、知力、そして感情のコントロール。

これらの才能は多かれ少なかれ全ての人に与えられている。

知力・体力が自分は少ないというならば、幼児は努力はできないことになる。

しかし、立派に努力する幼児たちを私たちはすぐに目撃できる。


その目的にあった体力や知力を少しづつ付けていけばいいのだ。

私は手術を24時間でもやることがある。

一方、いくら体力があるプロのアスリート、たとえば野球の選手が手術を24時間やれば疲れてぐったりする。

それ専門の体力を持っていないからだ。その逆も真なり。

知力・体力は積み重ねの延長線上に増強されてくる。


外科医として出来上がった私を見て、多くの人は私には才能があった。

医者という職業に私がいつも魅了され、外科医の手術にいつも情熱をもって向き合っていた。

だから続けることができたと考えるだろう。

その結果、今があるのだと。

しかし、それは誤解である。

私ははじめの頃、外科の手術に興味はなかったし、毎日深夜まで付き合わされる手術現場にウンザリしていた。

早く手術が終わらないだろうかといつも思っていた。

内科の研修をしているときも、その終了の日を指折り数えて待っていた。


そんな人間でも、いつも何とか自分の感情に折り合いをつけ、現状に妥協しながら来る日も来る日も医療現場に立ち続けた。

そして、今がある。


日日を振り返ると一生懸命にやった時期もある。

そんな時は、努力しているなどとは少しも思わなかった。子どもの様に、医療していることがただ楽しかった。そしておそらくそんな時期が一番医療者としても能力が伸びた時期だった。

大きくスランプに陥り、あるいは、やる気が全く失せ、とても人様に見せることができないような時期もあった。

こんな時期は、努力というに相応しい努力などできるはずもなく。惨めなものだった。


私の医者としての能力を認め、私は外科医としての才能に恵まれたのだと評価してくれる人々がたくさんいる。

絶え間ない努力を積み重ね、今の次元に立てたのだと思ってくれている。

しかし、正直な答えは”ノー”なのだ。


私はいつも、怠け者で手を抜きたがり、すぐに休みたがる。

自分に甘く、すぐに現状に妥協する。

そんな自分に何とか折り合いをつけながら、励ましながら、前に進み、継続してきたに過ぎない。


これを努力というのか?

こんなに妥協だらけの私に天は努力という才能を人より与えてくれいているか?


私はそんな怠け者の自分を能動的に動かせないから、他人に動かしてもらおうと、いつもそういう環境に自分を移してやってきた。




やる気がおきない。

すぐに飽きる。

長く続かない。

挙句に、才能がないからできない、続かない。


「では、そこで一生、停滞していて下さい。」としか私には言えない。


 

 

自分が理屈をつけて今いる場所から一向に動かないから知らぬ間に目に見えない糸が自分を取り巻く空間にも、時間軸にも張り付いて人生が時空に固定されていく。

 そしてその動けなくなった自分が評論家のうような顔をしてこう呟くのだ。

 「努力するのにも才能が必要だ。」


 飢餓になれば、人は必死に食べ物を求める。朝から晩まで探し続ける。

 クタクタになり一日を終わることだろう。

 そして次の日も、その次の日も、食べ物を探す。飽きもせず生きている限りはずっと探すことだろう。

 それを努力しているというか?

 才能がないから、探せないといって動かずにそこで死ねるのか?

本気の努力とは本来そんなものだ。理屈でするものではないのだ。

 だから、理屈で、才能だの、やる気だのと自分の安全圏から言っている間は永遠に発露しない。

 

 こんなぬるい社会にいて、安全な場所に存在しているからそういう思考になる。


 今後この社会がもっと殺伐とし、やがて自分が安全な場所にはいないと悟ったときに、その人たちの努力は自然に始まるだろう。

 自分の存在が、何らかの形で脅かされたときに、”努力を!”などと意識せずともアタリマエにそう行動しているだろう。

 それまで、今いる場所で糸に絡まれながらじっとしていればいい。


 でも、もし、あなたが少しでもその糸を緩めたいと思うならば、あなたは取るべき行動は明確だ。

 外敵がいる場所に移動すればいい。

 あなたにとって居心地が少しは悪い場所に移ればいい。

 経験したこともない場所に移動すればいい。

 

 少なくとも私はそうして、いやでも他人に私の中の生きる気力を刺激してもらってやってきた。

 やる気がなれば、文句を言われる。

 長続きしなければ、怒られる。

 それでもなかなか逃げられない場所に自分を自らの手で持ていくしかない。


 あとは私のようにのらりくらりと何とか自分と折り合いを付けながら、時間をかけて継続した先にきっとあなたの陽のあたる場所がある。



e0046467_15115873.jpg

 


 











# by japanheart | 2015-12-05 05:26 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

才能について

才能について

天・地・人。
天運・地運・人の運。
未来・過去・現在。

私が大学の頃、海外で遺伝子の研究をしている学者の授業を受けたことがある。
その中で今でも忘れない講師の言葉は、「人の運命はおおよそ遺伝子で決まっている。」
現在でも、遺伝子検査がこれからのトレンドになると予想されている。
どのがんに何歳くらいでなるのか?
どんな病気を何歳くらいで発症するのかをおおかた予想でき、その時までに前もって
例えば乳房を取ったり治療を始めたりできる時代がもうそこまで来ている。
その人にはどのような才能があり、何をしたら向いているのか向いていないのか?
そんなことまで予想できてしまうようになるのか?

本当に人の運命はそこまで遺伝子によって確定してしまうのか?
それゆえ、精子バンクで高額で優秀な遺伝子が取引されているのか?

私は才能には実は、二種類の才能があると考えている。
天・地・人の地と人の部分があるということだ(天の部分についてはまた機会があれば考えを述べる)。
地の部分(地運)というのは私の中では、先祖の運だ。
そこにはもちろん遺伝子の継承も当てはまるし、自分の先祖や現在の親の財産も含まれる。
生まれつき足が速いとか、記憶力がいいとかそういうものも含まれる。
いくら努力したところで、普通の日本人がイチローの運動センスやジャマイカのボルトに100メートル走で勝てることはない。
政治家の子弟は、300倍も政治家になりやすいというが、それは親の地盤という地運を継承するからだ。


ということは、やはり遺伝子や先祖からの継承という地運があの学者が言ったように人生の全てなのか?

私の中では地運という生まれ持っての運には一つの弱点が存在すると思っている。
そのことを理解し自らにそして他者に対するのとそうでないのとは本当に運命が変わってしまう可能性がある。

その弱点とはなにか?
この地運という才能に根ざした能力は生涯にわたって伸び続けることはないということだ。
どこかで必ずピークアウトする。
死ぬまでボルトがいくら努力しても記録を伸ばし続けることはできないということ。
先祖から受け継いだお金も地盤もそのままでは減少していくということ。

そこから得られる結論は、このような強い地運をもつ人間や組織、国家と相対するときは静かに長い時をかけ勝負を挑まないといけないこともあるということだ。
それが国単位や企業体になればもしかすると、数百年の時間を掛けて成されなければならないこともあるかもしれない。
江戸時代、大阪を日本一の商都にした淀屋はあまりの繁栄振りに幕府によって財産を没収されお取り潰しにされた。
そのことを予想した淀屋はその前に山陰に今でいう分家を行う。
この山陰で生きながらえた淀屋の末裔が幕末の維新に全ての財産を投げ打って倒幕を支えたのだ。



さて、もうひとつの才能、人の運。
ここの才能を切り開いたとき、私たちに生きる意味を大いに与えてくれることになる。

私がいるこの海外の医療地には毎年数百人の医者たちがやってきて手術を行う。
その中には今日本の医療を支えているトップクラスの医者たちも含まれている。
ある時、誰もが知る超有名病院のトップのの医者がやってきた。
その手術を私は横で見ていたが、その医者の手つきは決して器用な感じではなかった。
むしろ元は不器用な人だなと感じたほどだ。
しかし、手術は淡々と、滞りなく進んでいく。
そして、しっかりと終わっていくのだ。


e0046467_1723661.jpg



一方、結構手先は子どもの頃から器用にできていている人間は、むしろいつも器用貧乏で、
人が10回かかるところを5回でできてしまうと何でもすぐ飽きて長続きしなくなる。
不器用な人間は逆にいつも上手くできないという意識が働き、常に努力するモチベーションを維持できることが多い。

器用であるという地運、才能。
不器用であるという地運、才能。
例えば、外科の世界ならば、1000件手術を経験すると、この地運がものをいう。
器用な人間とそうでない人間の差は歴然で、圧倒的に生まれつき器用な人間のほうが手術は上手くなる。
ところが、両者が10000件の手術を経験したらどうなるのか?
このとき、どちらもすごいレベルになっており、甲乙を付けがたいレベルになっている。
この時点で、生まれつきの起用・不器用の差は単なる誤差になってしまうのだ。
むしろ、不器用な地運を背負っている人のほうが努力を怠らず大成することが多いのだ。

あるアメリカの研究では既にこのことが指摘されている。
すなわち、成功することに才能はほとんど関係ない、ということが。

多くの人が上手くいかないことを、自分の才能がないという。
頭が悪いだの、不器用だの。
しかし、それは単に努力しないことの言い訳でしかない。
地頭がいいだの悪いだのは、圧倒的努力の前には誤差に変わるのだ。

まさにそれが人の運であり、私たちの生きる価値を生み出してくれるものなのだ。
そしてもうひとつ大切な事実は、この才能にはピークアウトがないということだ。
生涯にわたって伸び続ける可能性があるのだ。
自分の努力によって。

先祖の運がたとえ貧弱でも、親の財産がなくても、運動神経が生まれつき悪くても、努力しだいで
生涯、伸び続ける才能とそれにかけるチャンスが私たちには与えられている。

二つの才能を混同し道に迷ってはいけない。
私たちには現在と未来を創造する力が与えられている。
地運に囚われず、自らの人生と才能を信じ、努力を続けていくほうがいい。



# by japanheart | 2015-11-24 05:47 | 基本 | Trackback | Comments(1)

人の”いのち”のつながるところ

人の”いのち”のつながるところ



先日、大阪で久しぶりに財団を通じてジャパンハートの活動を支援していただいているミュージシャンの浜田省吾さんのコンサートによばれていって来た。内容はもちろんすごかった。

 コンサート後も、励ましの言葉を頂き、いつもながらありがたく優しい人柄を実感できた。


 コンサートの中で何度か、この時期だからか、自分自身の運命からなのか、それは私の知る由もないが、戦争や紛争などのシーンが幾度となく映像で流されていた。

 戦争については、ミャンマーでは第二次世界大戦で20万人近い日本人たちがなくなった土地で、そして今もなをその残骸が多く残る国でもあり、私もずっと戦争をいのちという視点で感じ続けてきたことがある。


e0046467_15154785.jpg

 ある視点から見れば、こういう質問もしばしば受けるのだけれども、私が途上国で長い間やっている手術や診療などの活動は果たして、どれほど正しい活動であるのだろうか?


 ある人は、そんな活動をちまちまやっていても救える人数たかだか知れているだろうといい、

 ある人は、外国人が現地で医療をすることは、現地の医療界や社会の秩序のバランスを崩す行為だといい、

 またある人は、患者が死ぬというリスクばかりを強調し思い描き、予期せぬことが起こったときの責任はどうするのだという。


 結論からいうと、私はいつも一生懸命に現実と格闘するだけで、それらの視点からの意見は私にも患者にもどうでもいいことであるということだ。

 また、私は人のいのちを救っているのだと自覚している。

 ミャンマー人やカンボジア人や日本人のいのちを救っているのだとは考えていない。


 私が悩んでいたのはこのように抽象度の低い課題ではなく、もっと大きな視点からの悩みなのだ。


 それは私たちが、通常のミャンマーやカンボジアで人をどんどんさらに効率よく治療していき、多くの人々が助かっていくときに、社会全体の中でのバランスをどう考えるのかという課題であった。

 多くの人々が助かるということは、多くの人々の食料や職業が必要になるということでもあり、私たちがターゲットとしている貧困層の子どもたちが多く助かるということは、貧困層の姉弟は犯罪の予備軍になりやすいために、将来、犯罪発生率をどうコントロールいていけばいいのかというような悩みなのだ。

 たくさんの人を助けるということはさらにそういう課題を社会に生み出すことになる。


e0046467_15163549.jpg


 戦争はいけないことだ。

 人を殺すのは正しくない行為だ。

 は限りなく正解に近いが、

 人を救うは正しい行為だは、それほどには正解には近くはない。

 なぜならば、人を救う行為はさっきの例のごとく、また別の問題を生み出してしまうからだ。

 日本では新生児医療が進み世界で最も低い死亡率を誇っているというが、別の角度から見ると、生涯、人工呼吸器から離脱できない子どもや重度の脳性麻痺の子どもたちもたくさん生み出している。


  それで途上国で医療規模を拡大し、成果をたくさん出し始めていくなかで、その人を救うは正しい行為だという思考をどう位置づけるのかというのが私自身の悩みでもあった。


 そして、数日前、浜田省吾さんのコンサートで、その歌声を聴きながら映像を追い続けていたときに私の意識は別の次元に飛んでいく。

 浜田さんの声は既に遠くに木霊したようになり、ある思考が私の頭を占拠し別の映像が次々に映し出される。


 昭和のはじめ日本の平均寿命は45歳程度であった。

 多産多死。まさに1歳を待たずに死んでいた多くの子どもたち。

 現在、カンボジアでもミャンマーでも、ラオスでも日本よりも明らかに平均寿命は短い。

 ポルポトの時代、虐殺にあっていのちを失った数百万人のカンボジア人たち。

 先日、ラオスで白血病で亡くなった7歳の男の子。


 今のアジアの途上国でも、戦前の日本でも人の死は、現在の日本なんかよりも明らかに身近にある。それは特別で非日常的なことではないのだ。

 

 死が近い。


 私の思考も直感も浜田さんの歌を背景にしながら同じ結論に達したのだ。

 

 死が身近な国や時代は、生(=いのち)は軽くなる、ということだった。


 どんどん戦争が起こるから人がたくさん死に、生が軽いのではない。

 人の生が軽く扱われるから、戦争が起こるのだ。


 だから私はこのときに確信したのだ。

 死をあまりに身近にしないこと。

 人間たちを死から遠ざける作業、すなわち生(=いのち)を救うという行為、生(=いのち)を重んじる行為というのは、最も正解に近いといえる戦争や人を殺すということを、遠ざけ遮断する行いなのだということを。


 死を忘れた生はその密度を失い、死を寄せすぎた生はその存在を失う。


 いのちを救うという行為は様々な重荷を背負っては生み出す行いではある。

 しかしながら、私たちが胸を張っていえる戦争はいけない、人を殺ろしてはいけないという正解と確実につながっている。


 これが、私が浜田省吾さんからもらったメッセージだった。


 

 


# by japanheart | 2015-11-06 02:44 | いのちの重み | Trackback | Comments(1)

日本女性に告ぐ!

日本女性に告ぐ!


 「っていうか、あなたたちは!」と心の中で何度つぶやいたことだろう?

 そう!日本人女性たちに私はひとこと言いたいのだ。


 海外で医療をやっていても本当にたくさんの人達が私を訪ねてきたり、医療活動にボランティアに訪れてくる。

 1年に医師と看護師だけでその数は600名を超える。

 それ以外に一般人や学生、その他の人たちを合わせるとどのくらいになるのだろう?

 そしてそのうちおそらく7割以上は女性である。

 10代の学生から50代くらいの女性までいる。

 

 現地では私はさまざまなことを彼らと話すのだが、女性はどうも、恋話が大好きなようなので、私も何かにつけて、たとえコジツケでも、恋愛にたとえて話をすることにしている。

 その例え、いまいち分かりませんといわれるが、女性は恋愛の話がすきなのだと私は思い込んでいるので、あまり気にせずに続けている。


 ところで、たくさんの女性たちと話をしていてると彼らから飛び出す最も多い台詞の上位3つは、

 

 1、いい出会いがない

 2、いい男性が私の周りにいない

 3、私は結婚できないかもしれない


 という感じになる。




e0046467_1631580.jpg


 私に言わせれば全て間違っている。

 いい男性など元々、日本にはそんなにいなかったと思う。

 戦前の日本人女性は性格はともかく、はっきり言ってすごかった。

 朝の早くから、夜遅くまで、あらゆる仕事をこなし、子育てもして、そして十代のうちから結婚して休むことなく生きていたのだ。

 その女性と日本人男性が結婚して、まあ何とか上手くやっていたということは、いかに日本人男性がいい加減でもやっていけたのかという、今の私たちから見るとそれはうらやましい限りの時代だったのだ。

 だから当然、戦前の日本人男性は甘やかされている。

 だからきっと今の女性が戦前の日本人男性をみても、きっと惹かれはしないと思う。

 きっと「少しくらい家事しろよ!」と怒鳴るに決まっている。

 

 私が思うに日本人女性にいい出会いがない最大の理由は、女性のメンタリティーにあるのではないかと疑っている。

 それは、現在の日本人女性たちの結婚や恋愛に対するメンタリティーが時代にマッチしていないということだ。


 戦前までは、日本人女性たちは職業も持てず収入もなかったために、男性に経済的に頼らざるを得なかった。だから、どうしようもない男であっても、どんなに不釣合いに劣っている男性であっても、何とか自分に言い聞かせて納得してやってきたのだ。

 時に男があまりに酷いときは、その男ではなく、私はその家と結婚したのだと慰めながら、子どもに未来を託し、生きてこなければならなかったのだ。

 ところが、現在は女性はたちは、自分で収入を持つことができ自分ひとりくらい何とかやっていける、生きていける収入は既に獲得できる時代になっているのだ。

 しかも、日本人は既に飢えの恐怖から開放されており、男にいまさら頼らなくても女性一人でも生きていける時代なのだ。

 

 だから何が言いたいのかというと、そんな時代になっているのに、肝心の女性のほうが前代的なメンタリティーのまま現在も男性との関係性を位置付けているということだ。

 だから、現在は既に女性が男性を選ぶ時代になっているにもかかわらず、まだ女性が男性に選んでもらうというメンタリティーから抜け出せていない。

 男性からのアプローチを待っていたり、なかなかいい人が現れないと嘆いている。


 違うのだと言いたい。

 男性から選んでもらおうとするな!女性が選ぶのだ。そう!あなたが選ぶ側なのだ。女性こそアプローチをできる立場であり、あなたがなかなかいい人が現れない男性の前に現れてやるのだ。


 特に日本は女性の親権も強いのだから、たとえ離婚しても余程のことがない限り、子どもは女性の元に引き取られる。

 いい国ではないか。


 これから時代は人の労働形態は、ひとつの職場、ひとつの職業という過去の形ではなくなる。

 おそらく結婚の形も多様化する。

 バツイチ同士の結婚なんて当たり前すぎる時代になる。

 同性同士の結婚。

 未婚のシングルマザーとして子育てする。

 数度の離婚暦。

 それを違和感があると感じている人は既に、時代から遅れ始めている。

 これからは個人の時代。

 社会に合わせる自分ではなく、自分らしく生きるを追求する時代なのだ。

 多様性の時代なのだ。


 過去の決まりきった形にとらわれず、自由に柔軟に時代を生きていける。

 そういう流れの中で、徐々に日本人女性たちは様々な状況から解放されていくだろう。

 その向こうに無理やりでない自然な女性の登用もある。



e0046467_16341573.jpg



 実はこの男性社会、すなわち旧型の仕組みを維持する最大の勢力は、私はマスコミだと思う。

だってこんな時代に何で女性たちが、昔の思考回路を維持しているかというと、誰かが子どもの頃から織り込んでいるからだ。テレビも何もかもそういう女の人イメージばりりで埋め尽くされ、そんな女がとても健気でかわいらしい、すばらしいのだと、知らぬ間にあなたたちは理想のひな形を押し付けられている。
 バカバカしい!
世の女性は男性の所有物ではない。
男性の願望のひな形に押し込まれている時代を卒業するべきだ。
 自分がどうありたいか、どんな女性でありたいかは自分で決めるべきだ。

 女性に関する啓蒙は、3割の力でアクセルを踏み、7割の力でブレーキを踏んでいるようだ。


 全ての日本人女性にいいたいのは、結婚だって、恋愛だって、あなたたちが主人公で、あなたたちこそ選択できる立場なのだと、早く気付くこと。

 

 そして、古い社会の仕組みに振り回されずに、どうぞ自分らしく生きてくださいということだ。

  

 この時代、多様性の時代は、一生懸命生きていればどんな形の人生だって恥ずかしいものなんてない。

 離婚したって、少々歳をとっても、後ろめたさなど持たずに、堂々と次の恋に向かって進んでもらいたい。


 そういう時代だと分かっている私から見れば、女性がうらやましいよ。


# by japanheart | 2015-10-20 03:12 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

アタリマエを疑う

”アタリマエ”を疑うということを日常化する


 ここ10年で一番私自身が変わったことは、”アタリマエ”を疑えるようになったことだ。

 この”アタリマエ”という常識の罠はどこにでも転がっている。

 しかし、こういう常識は時代や社会環境の変化でいくらでも変わることは誰だって理解できるだろう。

 70年前の日本は国家のために死ねることが常識的な正義だったし、今でもそうかもしれないが老後に備えて貯金をすることはアタリマエなことなのだ。しかし、これは本当なのだろうか?誰かがそう思わせているだけではないのか?


 よくよく考えてみれば、常識というのは誰かの基準であって、それを社会に浸透させていったものが多い。時の権力者や国内の大資本、今ではグローバル企業によってきっと私たちはある種の洗脳状態にある。マスコミだって、偏らない公平な視点といいながら、誰が見ても思いっきりバイアスをかけている(そして国民はそんなことを十分にアタリマエに嘘くさいと理解している)。


 「本当にそうか??」 と幾度となく自身に問いかけれるようになった。


 公務員は公僕である。

 病院が何より患者さんのために私たちはがんばっていますとか、

 アメリカは自由と正義の国だとか、

 イランやミャンマーは危険な国だとか、

 

 何でもいい。社会にあふれているありふれたアタリマエに全て??を一度付けてみて、その後、自分で調べながら、自分の頭で考え、結論を出すという経過を意識してやり始める。


 そうすると、面白いことに世界観が変わる。

 

 そこから導かれる結論は、やはり最後に信じれるのは自分の頭と体験だけなのだということになる。



 最近、わが子を全て東大の医学部に入れたある親の話が話題になっている。

 すごい母親だということかもしれない。

 受験は時間との勝負だから、恋愛は逃げだと確か言っていた。

 

 これはすごいということで紹介されたのかもしれないが、私の頭と体験は、それをすごいという結論には結び付けなかった。

 東大の医学部へ入るのがすごいことなのだというアタリマエを疑ってみたのだ。

 大体、東大の医学部出身=いい医者、優秀な医者、社会的安定という方程式には医局制度が解体し始めた今はそういう時代ではないと思う。

 また、私の経験では、10台の恋愛体験はすばらしいと思う。

 10台の恋愛体験は、20台や30台のそれとは全く違うし、すばらしい経験だと思う。

 それは決して逃避でない。

 それともうひとつこの年になって思うのは、10台や20台はまさに自己拡大の時期であったのだということで、我ながら後悔している。

 自己拡大は、すなわちさまざまなことを経験し、さまざまな人々と出会い、自分の視野を広め自己相対力を高める時期で、これが出来ていると30台や40台を越えたあたりからかなり威力を発揮できるようになる。ところが、医学部と医者の世界は、全く逆に人生が振れる。

 10台から学問は医学だけ、受験は忙しく、大学に入っても勉強に忙殺され、医師になってからも研修、レジデント時代と毎晩病院に泊り込み、医療をすることに明け暮れる。

 世界はこんなにも広く、世界にはこんなにもすごい人たちもいて、世界にはこんなにも価値あるものがたくさんあるのに、外へ外へと動かずに、内へ内へと人生が収縮していくようだ。

 そういう意味では医師になるというのは、人生の大変貴重な何かを犠牲にしてなっている可能性がある。その犠牲の前には将来の多少の収入の増額などほとんど価値があるとは思えないのだ。

 そういう世界に自分の息子3人も一度に引っ張り込んでしまっていいのだろうかと?と私は感じてしまう。それだけ優秀な子どもたちならば、きっともっとすばらしい世界が見れたのにとも思ってしまうのだ。




 私たち国際協力の世界では、現地の自立という概念が重宝される。

 学生たちと話していても、自立させるという言葉がよく出てくる。

 現地の医師や看護師たちに技術移転し、最終的には現地人だけで運営するのが自立であり、すばらしいことなのだというスタンスである。

 しかし、これも本当か?と疑っている。

 現地人だけで医療をすることが本当に自立ですばらしいことなのか?

 医療というのは患者のためにあるとしたら、患者が最も幸せになる仕組みこそが最も優れた医療の体系ではないのか?それを阻害する構造は改定されるべきものではないのか?と思っている。

 例えば、ビジネスの世界では、アタリマエに多国籍の人々が行きかい働いている。それを日本人だけで働いていないと自立していないのだとは誰も考えないだろう。

 なぜビジネスの世界では外国人が多く働いていても自立していないとはいわないのに、国際医療の世界では外国人が混ざっていると、あるいはたくさん働いていると自立していないと考えるのだろう?それって誰かの洗脳なんじゃない?と思っている。

 現に、ユーロ圏は医師たちは比較的自由に医療を出来る仕組みが整いつつあるし、アセアンでも医師の免許は統一の方向に動いている。ということは、そういう思考回路自体が、古い、人や経済の流動性が弱かった時代の発想であると思うのだが。既に世界は、大きく動き出し人々が国家という仕組みを超えて混ざり合う時代に突入し、現地人だけで運営される医療がすばらしい自立したあり方なのだという概念を吹き飛ばす段階まで来ている。


 今まで常識と思っていた事柄がどんどん音を立てて崩れていく感覚がある。

 それは同時に、全くすごい可能性の時代の中に自分がいることと、その古い常識や既得権益にしがみつく人々の近未来がかなり厳しいものになっていくだろうことを感じさせる。


 世の中には二通りの人間しかいない。

 自ら変わる者と、無理やり世の中の力によって変えられる者。

 自ら変わる者は、新しい時代に上手く合わせるチャンスと時間をもてる。

 常識を、アタリマエを疑えず、最後までそれにしがみ付く人間は、突然、時代の高波に襲われることになる。


 世の中のアタリマエを疑えば、時代が見える。

 実は時代のトレンドは、世の中のアタリマエのカウンターポジションとしてひっそり進行しているのかもしれない。

 

 

 


# by japanheart | 2015-10-04 01:09 | 基本 | Trackback | Comments(1)

ラオスの小さな女の子のために本気出しますから。

1995年秋。医者になって数年目の私は、たったひとり、軍事政権下のミャンマーへお金を握り締めて旅立った。

その頃のミャンマーは、それまでの経済の失策とアメリカを中心とする経済封鎖にあい、惨憺たる有り様だった。
インフラの整備もほとんどなされておらず、医療や福祉は完全に忘れ去られた国家事業だった。

医療をこの国の貧しい人々届けようと粘り強くミャンマー政府と交渉した私はおそらく、
外国人で唯一、継続的に医療行為を許された人間になった。
押し寄せる患者たちと毎日格闘し、治療は、朝の5時から深夜12時まで毎日休むこともなく続けられた。
そして、医師として十分な経験も技術もなかった私にとって、その毎日は現実との格闘になった。


その現実のひとつに口唇裂という先天異常(アノマリー)があった。

このアノマリーは、日本では一部の形成外科医たち(口腔外科医の場合もある)が主にほとんどの手術を行っており、私にはもちろんその経験もなかった。
この口唇裂の人たちも、日本と途上国では患者の満足度は違うのだ。
医療で最も優先されるのは、もちろん医師の満足度ではなく、患者の満足度だと思う。
その点でからすると、もちろんミャンマーと日本の医療のゴールはおのずと違うことになる。

  
e0046467_1642192.jpg


少しでも長く生かすのが日本のゴールだとすると、ミャンマーのゴールは時間の長さよりも家族や生まれた村との物理的な距離なのだ。

日本では、患者たちは医療を受けれることだけでは、今や満足しない。おそらく、結果を伴って満足に至る。
ミャンマーやラオスでは、医療を受けれる時点で患者たちは満足を得る。


そのことが日本の医師の間でも誤解されていると思う。もちろん途上国であれ、上のレベルであることに過ぎたるはなしであるが、患者さえ満足できれば医療としては既に成立している。

当時、軍事政権のミャンマーという壁を突破して医療をすることが許された、ほとんどたった一人の医師として、私はこのアノマリーの手術にも挑んでいくことになる。
このときの私の技術や行動を批判する医師たちもいたが、私への批判では患者の人生は変わらない。
そういう立派な主張をする医師たちが、私の代わりに全ての難題を突破し、私のように医療活動を現地で許されたなら、喜んでその仕事を譲ったことだろう。なにしろ、私にはいくらでもやることがあったのだ。


しかし、最近のSNSというのは有り難いツールだと思う。

ロシア在住のラオス人から、私たちのFacebookに「この子どもを何とかしてほしい」と連絡が入る時代なのだ。こんなことがラオスだけではなく、ミャンマーでもカンボジアでも当たり前になっている。

ラオス人から連絡があった子どもは、口唇裂がさらひどい型の「顔裂」という状態の一歳の子ども。
簡単に言うと、顔が半分、裂けているということ。


e0046467_1648350.jpg


実は、今までこの症例の患者にはアジアで数度で会い、3度手術した経験がある。
日本では、おそらくどんな専門家でも人生のうち1度か2度しか出会わないかもしれない。

今回4度の目の手術をこの手でやろう、と思った。
しかし、この20年以上をアジアの途上国で医療をしてきた私は、もう時代は変わったのではないかと、ふと、思ったのだ。
もっと専門性の高い人たちがこの子どもを治療すべき時にきたのではないかと。

この子どもは一歳のラオスの女の子。お父さん、お兄ちゃんと暮らしている。

母親はこの子を生んだ後に行方不明になったらしい。
父親は、がんばって働いているが毎日仕事はなく、家族は貧しい。
当然、子どもの治療費もなく、張りぼてのような家でひっそりと暮らしていた。

e0046467_16491064.jpg


このままでは成長しても、学校へは行けない。そうして教育の機会からも遠ざかっていく。

この家族のために、この子どものために、ちょっと本気でかんばってみたいと思った。

興味ある方は、是非、ホームページをみてほしい。     
http://www.japanheart.org/laos/report/cat278/

私が主催するNPOジャパンハートは、長崎県の僻地離島医療を管理監督している長崎県病院企業団(米倉正大理事長)と提携し、長崎県の五島列島と対馬に毎年、年間30名ほどの看護師たちを送り、僻地に人的貢献をしながら地域医療を学んでもらっている。
この企業団の仲介によって、国立病院機構 長崎医療センター(江崎宏典 院長)の形成外科で、この子の手術を行う運びとなった。

手術は7時間ほどかかるといわれている。

アジアの途上国にいて、ここは昔の日本の現実がある場所だなと、いつも思う。

戦前、日本はこの病気が治せなくて、多くの子どもたちが世間から隠れひっそりと生き、ひっそりと死んでいった。本人も親も兄弟も、みなつらい時間を過ごしたとこだろう。
だから、こういう現実を癒すことは、過去の日本を、過去の日本人たちの苦しみや悲しみを癒す作業でもあるのだといつも感じる。


それからもう一つ。

これからは、日本は激しくアジアと混ざっていくことになる。もうアジア人は遠い海の向こうの人たちではない。私たちのすぐ隣の住人なのだ。
日本の医療者が自分の技術をこの国に閉じ込めておく時代も、終わりだ。
世の中に有益なものは、日本だけでなく世界の人々と分かち合う時代になったのだ。


日本国内のことは大事だ。
しかし日本のことだけが大事なのではない。

人間は理想が大きければ大きいほど、現実は重い責任を背負う。
人のいのちは平等だと言ってしまえば、そこに日本人も外国人も無くなってしまう。
同じように扱い、同じように救っていかねばならない。

日本人はどこまでの理想を背負えるのか?

これから私たち日本人は結果で問われることになる。
# by japanheart | 2015-09-16 17:34 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

日本の医療のゆくえ

日本の医療のゆくえ

途上国にいて当たり前に感じるのは日本の医療はサービス業になってしまったのだということだ。

私たちの行っている途上国の医療現場は完全に福祉事業である。

やればやるほどに赤字になっていく。



e0046467_14255284.jpg



日本では、いつから患者のことを、患者様というようになったのだろう?

私が医者になった頃は、患者さんといい、患者たちのことを、吉岡さんと、さん付けで呼んでいた。

今では、きっと吉岡様なんだろう。


その頃は、患者たちは強制的に病院を移し代えられる事は多くはなかった。

今では、救急期が過ぎれば何だかんだと理由をつけ、慢性期の病院に簡単に転院させられてしまう。


いつからこんなにも経営をうるさく言うようになったのだろう?

確かに、日本の病院経営は杜撰だった。

医者が院長でなくてはならないというきまりで、昨日まで患者を長年見ていた医師が60歳くらいになって初めて年功序列で今日から経営をしてる有り様は、通常のビジネスの世界ではありえないことかもしれない。

物品は自然に沸いてくるという感覚で、今からすると異常と思えるほどにいくらでも無駄使いが許されていた。

だって物品は使えば使うほど保険請求できたのだ。


やがて日本経済がゆっくり停滞し始めたとき、少しづつ、保険行政が変化し始める。

徐々に締め付けられた仕組みは、現在に至り、患者さんを患者様に変えてしまった。


あの頃の医師たちは、自分たちが従事しているのが、サービス業だと理解していなかっただろう。

自分たちは福祉や社会保障の分野の一員だと理解していた。

だからサービス残業は当たり前だった。

24時間働き続けてもがんばることが出来た。

患者のためという、御旗があればどんな激務でもこなさなければならないのだと理解していた。

大都市の私立大学病院の研修医たちは、時間無制限の激務をこなしていても給料はなかったとこも多い。わずかに「何とか費」という名目でひと月に23万円程度のお金をもらっていたのだ。

この国は社会主義の完成形かと思われるほどだ。

ちなみに今でもこれをやっている大学病院があるらしい。それは法律に触れることをそろそろ政府も指導したほうがよろしいと思う。

一般人が聞けば、驚くかもしれないが、おそらくいまだに医師の給与は卒業年で分野に関係なく同じ給与が払われている。皮膚科であろうが内科であろうが、外科であろうが、平成4年卒業した医師の基本給は同じなのだ。(やっぱり社会主義国家だ!需要と供給の経済的関係など全く無視している)


でも、しかし、である。

それは医師たちが、社会福祉、社会保障の戦士だと信じ、自らを慰めていたからこそ成立したのだと思う。病院は経営下手で慢性赤字、誰も労働に対して十分な給与などもらえていないからこそなんとなく成立していた異常なシステムだったのだと思う。


しかし、患者さんが患者様になった現在、医療は福祉事業からサービス業になってしまった。

ところが、患者たちは相変わらず医療者に、福祉事業の戦士であることが当たり前だと思い、そういう視線で見ている。

医療者もなんとなくおかしいんじゃないかと思いながら、サービス業者になりきれず、給与も増えることもなく相変わらず福祉の戦士の発想で医療を行っている。

家族の時間を大切にしたいから、今日は早引きしますなどと口が裂けてもいえない。

福祉の戦士にワークライフバランスなど、あってはならないのだ。

患者の命のためならば、お金は無尽蔵に使っても仕方ないと思っている。

感染率を1%落とすために、たとえ数千万お金がかかってもそれは当たり前で、別に議論すべき話題だとも考えていない。

患者に入れる点滴が上手く入らず何度も失敗をしても気にしているのは無駄にしてしまった何本もの針のコストよりも患者の目線や自分の勤務スケジュールの狂いだったりする。

たとえ針や物品に値段が書いてあっても、誰も本気で気にしている人間などいない。


政治家や官僚の無駄使いを否定し、大企業の救済への税金投入にこれほど否定的な人々は、30兆以上の税金を使い成立している医療現場では、その意識もなく、税金の垂れ流し状態である。相変わらず福祉の戦士の医療者は経営感覚は乏しいのだ。患者様のためという御旗があれば、すべては仕方ない必要経費なのだ。


医療をどのように位置づけてやっていくかは、私たち国民の運命に直接影響する問題だろう。

医療者に福祉の戦士であり続けてもらうには、税金の更なる投入が必要になるだろう。

なにせ、近年の医療物品は特許だらけで信じられないくらい高い。福祉の戦士たちは、それらを患者さんのために惜しげもなく死のその瞬間まで大量消費してくれることだろう。

一方、サービス業と割り切って接してもらうと、もっと給料を払わなくていけないだろう。もっといいサービスしてほしければ、もっとお金を出さないと。


いずれにしてもお金を払わされる運命のようだ。



e0046467_14301698.jpg


もう医療は今の国民が払う税金程度のお金ではまわらなくなっているのだ。


私の予想では、きっと日本は二重保険制度が主流になる。

皆保険の適応範囲は限定され、それ以外は任意保険にてカバーする仕組みに変わっていくだろう。

車でいう、自賠責が皆保険に相当する感じになるだろう。

それゆえ新薬や最新治療は皆保険ではカバーされず全て自費負担になるだろう。

それを目当てに海外の保険会社が乗り込んで来る日も近い。


だれもが、最新の治療を感謝もせず、当たり前に受けれる時代は終わろうとしているのかもしれない。


これから私たちは医療分野で、福祉の戦士が討ち死にしていく光景を目の当たりにすることだろう。






# by japanheart | 2015-09-03 06:41 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

私の子育て論

私の子育て論


 今年の夏はひと月以上の期間、10歳の長男と行動を共にした。

 夏休みになったその日に日本を飛び出し、夏休みの終了するその日に日本に帰国する。

 この間、医療活動にもずっと同行させていた。



e0046467_14564714.jpg


 日本から北京経由で、タイのバンコクに入りラオスには陸路で国境を越える。

 それから中国とラオスの国境地帯の医療活動に同行させた。

 ラオスから始まった医療活動は、その後、カンボジア-ミャンマー-カンボジア-ミャンマーと巡り、その間に、タイやマレーシア、シンガポールと移動を重ね日本帰国までに21回のフライトを私と行ったことになる。


 実は私と長男は40歳も年齢が離れており、おそらく長男が私の歳になったときには私はこの世にいないだろう。

 こんな生き方なのでどうせ物質的な財産は残せないと確信しているのでせめて、無形の財産をわが子には残して逝きたいと思っている。


 なぜ、この機会にわが子を連れ立ったかというと、実は私なりの理屈がある。




 人間には第一次反抗期という大体、3歳くらいまでの子どもが通る反抗期がある。

 この時期までに、子どもにはしっかりと母性を伝えなくてはいけない時期だと思っている。

 母性とは絶対的安心であり、無条件の受容であり、子どもの脳幹深くに沈み、人生を決定的に左右する大切なチカラである。

 母性を受け取ることが上手くいかなかった子どもは脳の奥深くに欠乏感を宿し、成人しても愛情を求めて彷徨うことになる。

 お金や物質でその脳幹の欠乏感を埋めようとするが、決して埋まらない。

 愛情は物質ではないからだ。精神的欠乏は物質的満足では一時的にしか埋めることができないということも分からないままに、それを無意識に求め続けてしまう。

 だからこそ母親の役割は大きい。

 

 そして第二次反抗期がやってくる。これは中学生頃に遭遇することが多い。

 この時期からは、親の言葉が子どもに入っていかなくなってしまう。

 昔はこの時期は、元服の歳で、それから後は一人前の大人として扱われていたのは偶然ではない。この時期を通過すれば、もう一人前の大人になるのだ。

 すなわち、第二次反抗期は人間が親離れ、子離れのするための生理的通過点なのだ。


 この第一次反抗期と第二次反抗期の間の時期は、また大切な時期で、この時期は子どもに父性を伝える時期でもある。

 父性を伝え損ねると、あるいは父性が弱くなってしまうと、子どもは生きる力を失う。

 父性の弱い家庭で育った子どもは、ひきこもりを起こすようになることも多い。



  核家族化が進み、父性を与えるのは主に父親の役目かもしれないが、昨今の父親の弱体化は子どもの生きる力に影響をしていると思っておいたほうがいい。

 


 私の2冊目の著書の「死にゆく子どもを救え!」を出した冨山房インターナショナル社からは、聖路加国際大学の日野原先生が「10歳の君へ」という本を出している。この本を出している動機は、日野原先生自身が人間にとって10歳という年齢が最も意味のある、しかもキーになる年齢であると考えているようだ。

 そういえば、私たちの記憶も10歳を境に大きく増えているような気がする。


 そして私自身もその10歳の時間を大切に考えている。

 なぜならば、この後、子どもは反抗期に入り私たちの言葉を受け取らなくなってしまう可能性が高いからだ。

 この10歳をスタートに12歳頃までの間に、わが子に私の持っている知恵や経験を伝えておこうと思ったのだ。


 だからこの夏の同行期間は毎晩、子どもと色々なことを話した。

 時間について、お金について、努力について、才能について、世界はどうなるか?人とはどう付き合っていくか?などなど幾夜も話込んだ。

 それから、私の生き方もそばで見せた。

 一切、飾らず、良いことも悪いことも、ごく自然に振舞ったつもりだ。


 途上国に暮らす多くの人々の暮らしや病気の人たちの大変さも知ったに違いない。

 多くの人たちの情けも知り、日本との違いも経験したことだろう。

 



e0046467_1457961.jpg


 目的はたった一つ。

 どんな時代になっても、たとえ何が起こっても、生き残る能力を与えること。

 サバイブさせる能力を与えることこそ、親の最大の役目なのかもしれない。


 この後はどうなるか?

 この種が何をわが子に与えるかは時間を待つより仕方ない。


 今回、10歳のときに本当に私のすべてを伝えたかったが、やはり理解力には限界があったので、まだ2年ほどかけてかなり補強しなくてはならないと思った。


 近い将来、私なりの生きる知恵を世の中の子どもたちに伝えるために1冊の本にしてみるつもりでいる。

 

 とにかくこれから日本は大変な時代に入るし、海外の子どもたちも私の持つ東洋的な思想に触れておくことは悪いことでもないと思うから。


 どの親も子どもに願うことは、生きていてもらうことだから、とにかく母性と父性を上手く子どもに示し、的確な時期に大切なことを伝えていかねばならないと思う。

 

 ただそれは、生まれてすぐからはじまり、思ったより早く訪れ、そして早く終了してしまうのだ。


 


 


 

 


# by japanheart | 2015-08-22 05:14 | 基本 | Trackback | Comments(0)

HELP! ミャンマー大洪水

e0046467_027171.jpg
今、ミャンマーが大変なことになっている。
ミャンマーの国土は日本の約1.8倍。おそらく日本でいうといくつかの県が水没した状態になっている。
あまり報道もなされていないために伝わっていないが、大変な状態である。

2008年のサイクロンによる大津波で、14万人くらいが亡くなったといわれているが、その時のミャンマー政府発表でもかなり少なく死者は発表されていた。
今回の大洪水でも、把握できていないと思われるが、かなり少ない死者の発表になっていると思う。

私たちが医療活動をしている管区でも甚大な被害があり、すでに医療チームを派遣している。
医療のみならず、水や食料や衣類などが必要なのだろう。

e0046467_169052.jpg


第一陣が救援活動から引き上げてきたが、この雨季の状態では雨が続くので一旦、水が引いても再び町の水没が始まる可能性がある。
このため、水害の状況によって活動場所を適時変化させていかなければならない。
雨がひどく降る場所が移動するし、そのため水害がひどい地域が変化するからだ。
私たちの第二陣は場所を北から西の地域に変える。

e0046467_1695738.jpg


車で6時間、ぬかるんだ道を走る。
そこから小舟で人や物資を積み替えて、水没被災地域にアクセスすることになる。

ミャンマーの人たちは普段から水害には慣れていて、川が氾濫するのは毎年ことであり、氾濫すると徐々に自分たちの居住地域が水没してくる。
そうすると人や家畜は川べりに上がってきて、即席小屋を建てて生活し、水が引くとまたもとのところへ帰っていく。
そんな彼らが今年は、あっという間の水位の上昇で一気にやられてしまった。

e0046467_16111847.jpg


家畜も人も流されてしまったのだ。
川の上流から一気に流れ込み氾濫した水が、平気で5メートルや6メートルの高さに達し、村や町ごと短時間に飲み込んでしまった。

これから数日が勝負だと思っている。
日本人とミャンマー人の混成医療チームが今朝もこの病院を物資を満載して出発した。

多くの人々にも、その現実を知ってもらいたい。

e0046467_16122557.jpg
e0046467_0271572.jpg
e0046467_0273210.jpg
e0046467_0282355.jpg

# by japanheart | 2015-08-06 16:13 | Trackback | Comments(0)

途上国で医療を発展させる

途上国で医療を発展させる

いつも活動をしていて思うのは私たちがやっている活動というのは何かしら型がきまっているような気がしてならない。
それは誰かから織り込まれたものではなかろうか?という不安感である。
国際医療活動というのはこういうものだという織り込み。
国際的な医療協力をすると必ずぶつかる壁がある。
それは、医療活動、すなわち患者を治療すること自体がこの世に存在していない、あるいはそれに近い状況にあるという現実だ。
大災害などの緊急救援を除いてはということであるが。
アメリカの医者が勝手に日本で医療を出来ないように、日本の医者が勝手に他国では医者が出来ないようになっている。
だからそこに如何に困っている他国の患者たちがいても、勝手に乗り込んで行って医療を施すことなどできない。
だから私たちもNGOとして活動国ではちゃんと登録し現地政府とこういうルールに則って医療活動をこういう形で行いますと
契約をしてから医療活動を行っている。
話を戻すと、一般的に日本にある医療系団体を名乗るところが他国で行っているのは患者を治療する医療活動ではない。
一般の人たちは医療活動というと、患者を治すということを思い浮かべるが、現実はそうではないのだ。
多くの団体が行っているのは、公衆衛生といわれる分野の、予防活動や啓蒙活動になる。
多くの医療者が、学生の頃、夢見ているのは海外の貧しい人たちに医療を行う自分自身の姿であるし、
そういう活動を志し、医療の道に入ったものも少なからずいる。
ところが、すでに学生のうちにそういう世界がほとんどないという現実のを知り、ここで彼らは医療活動を諦め、あるいは方向転換して公衆衛生を語り始め、目指すことになる。
その行き着く先が、WHOなどの国際機関なのかもしれない。
医療活動を出来ないことを悟った人間が自分の進むべき道がはじめからこのすばらしく価値のある分野しかなかったかのような、あるいはそこに進むのが必然だったような自己肯定を始めるのだ。
私からすれば、何事も経験なくして本当の良さも悪さも実感できないと自分の人生が教えてくれているのだが。

学生たちに、如何に公衆衛生が途上国では必要で、意義があるのかを何度も聞かされてきたが、私に言わせれば、医療のほうがもっと必要だろう!と現実を知っているだけに思ってしまう。
10年や20年かけてやらないといけないことがあるのは当たり前で、今すぐにやらないといけないことのほうが当たり前に多いのが途上国の現実だと思う。
どっちが必要だという話ではないが、私が20年以上の途上国医療から得た知見では、公衆衛生だけ発展させようとしても成果はあまり期待できないということだ。
医療や衛生というのは本質的には何によって発展するかという思考を飛び越えてしまうと、方法論やアプローチが変わってくる。
私は医療を発展させる最も大きな絶対的因子は何かといわれれば、自信を持ってこう答えるだろう。
「医療や衛生を発展させたければ、経済を発展させるのが最も効果的・効率的である!」
要するに、経済が発展しなければ医療は発展しにくく、衛生観念も発展しにくいということだ。

だから、その国の医療を発展させるのは医療界の仕事というより経済界の仕事であり、政治はそれを妨害しないようにしなければならない。
ミャンマー・カンボジア・ラオスの田舎の人が医療にかかるには、まず、雨季にはぬかるんで進めない泥の道を5時間も進んでこなけれなならない。
自分で歩けない患者だと、牛車や車の荷台に乗せられて数時間かけてようやく田舎の幹線道路に出る。そこでまたいつくるか分からない車やバスに乗り換えて数時間ガタガタ道を走る。
医療を届けたければ、そういうインフラの整備が必要になる。これは、国の仕事、経済が悪い国ではその整備が遅れるのだ。
折角、病院にたどり着いても医者もいなければ薬もろくにない。病院を作るにも医者を育てるにもお金がかかるのだ。
流通が成り立っていないのだ。
今日なくなった薬は、次はいつ補充されるかは分からない。

経済的に満たされ始めると、人は健康に意識が向かい始める。
健康になるために自発的に栄養に気を配り、衛生的な水を飲み、手を洗うようになる。
私的にはこの当りが衛生活動の最もいいタイミングだと思ってはいるのだが。

何でこんなに公衆衛生分野が大切なのだと、大声で騒がれるのかというとやっぱりそれに関与している人間が多いからかもしれない。
学生たちもその影響をまともに受けてオウム返しのように同じように理屈を述べる。
実はこの分野は大量のお金が流れ込む分野なのだという側面を見逃してはいけない。
数千万、数億の規模の政府や国連機関のプロジェクトがウヨウヨあるのだ。
ここに多くの団体が群がっているのが現状だ。
ほとんどこの補助金のみで運営している団体もあるほどだ。
国際機関や政府の関連機関で働く人間の待遇や給与を一般人が聞いたら、びっくりすると思う。

一方、私たちが行っているような患者を直接治療するという行為には通常、このようなお金は用意されることがない。
そのためほとんどは、独自に寄付を集めそれを財源とするしかないのだ。

よく大きな機関と医療活動の支援の話になったときに言われることがある。
「だって、医療活動は患者が死ぬでしょ?責任問題がね、、、。」

医療は患者が死ぬ分野ですよね?と聞き返すわけでもないが、公衆衛生をやっている人たちがもしその辺の意識が欠落していればかなり危険だというしかない。
自分たちが多くの人のいのちを一気に扱っている自覚なく行われた活動でもしやり方がまずく1000人が余計に亡くなっても、気付きもせず、その自覚もないということが当たり前に起こるのだ。

責任問題を恐れる人は、医療には向いていない。
人のいのちを預かっている自覚に欠ける人は、公衆衛生にも進むべきでない。

医療というのはいずれにしろ、人のいのちを預かっているという当たり前の自覚を要求される仕事なのだ。


e0046467_10473550.jpg














# by japanheart | 2015-07-24 01:37 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

私たちが出来る医療とは

  
 最近思うところがあって、現場で数十人の日本人や現地人の医療スタッフたちを前に、こう言った。

「私たちよりお金を持っている人間なんて腐るほどいる。その人間たちが優秀な医療者たちを雇い医療を展開したとき、果たして自分たちの今やっている医療は本当に意義を保っていられるだろうか?」
「どうすれば、お金では買えない医療が出来るのだろう?」
「いい技術やいい器具、いい資材はお金で買える。優しい言葉や清潔さもお金をかければ買えるだろう。」
「私はお金で買えない価値を持った医療をやりたい。その医療はあなた方のこころの中にある。」
「こころからの同情ややさしさ、患者の人生に寄り添う医療、家族の苦しみを理解しようとするマインド」

  などなど。
  それがチームで成し遂げられたときに、私たちの行う医療はその存在価値を持つのだと思う。

 世の中には、お金の力で私たちよりも多くの人を救える人は確かにいるだろう。

 私は今までやってきてある真実に気づいたのだ。それは医療というのは、患者の人生とそれを行う医療者自身の人生を救う行為だということだ。
 医療者たちは自己のたった一度しかない人生の大切な40年という時間を、医療という仕事に捧げる。この間に、たくさんの患者たちが彼らの元を訪れ、患者も医療者も自らの人生を救うために必死に生きる。
自らのためにだ。
 医療者たちは、その患者たちのために人生の一部を使い、必死に働く。この時間が濃ければ濃いほどに自分の人生の密度、すなわち価値も上がっている。
 その時間を中途半端に、それこそお金のためだけに、たとえそれはどれほど技術的な事柄が充実していても、密度はそんなに上がらない。
 通常、医療というのは人を相手にする行為であり、肉体の接触だけでは、半分しか密度ある時間を刻めない。
 そう、こころとこころが摩擦していく中で、密度も上がりそれが可能になる。
 そして人生の後半は、このこころとこころの摩擦こそが人生の密度を刻む大半を占めるようになっていく。

 たくさんのお金を持っていれば確かに患者たちのいのちは救えるだろう。
 しかし果たして医療者の人生はどれほど救えるのだろうか?
 人のいのちを単に数量だけでみて、多いほうがすばらしいと割り切ってしまうのは一面的な考え方のような気がする。
 患者のいのちや人生しかみない医療は、片手落ちである。
 自らの人生を消耗してしまうような医療では、こころある医療者たちは疲れてしまい、それは患者自身の治療にも影響するだろう。
 すべての患者が治療で救われるわけではない。
 多くの人が治療の甲斐なく死んでいくのだ。
 そんな人たちに疲れきった医療者が果たして何を与えることが出来るだろう?

 私はいつもスタッフに言っていることがある。
 「まず、あなた方が最も救わなければならない人生とは患者たちの人生ではない。
 
それは、あなた自身の人生なのだ。
 あなたにとって最も大切なのは数万人、数百万人の患者たちの人生ではない。
 たった一つの”究極の一”
 あなた自身の人生なのだ。

 自らの人生を救うために優しい言葉を患者にかけよう。
 それは、あなた自身にかけている言葉でもある。
 患者のつらい人生に最大限の同情を示そう。
 それはつらいあなた自身の人生に示している同情なのだ。
 家族の悲しみに、患者たちの家族を思う気持ちを理解しよう。
 それは、あなた自身の家族を理解する行為でもあるのだ。

 自らの人生を大切にしたければ他人の人生を大切にしよう。
 自らの人生を他人に理解してほしければ、まずあなたが他人に理解を示すのが大切なのだ。
 
 私はこのことを深く理解し実行する医療者の集団をつくりたい。
 なぜ医者になったのか?
 なぜ看護師になったのか?
 それは自らの人生をかけてでも手に入れたかったものを手にするためではなかったのか?
 医者や看護師など、そのための単なる手段でしかなかったはずだ。

 あなたが手に入れたかったものは何だったのか?
 あなたの人生で最も大切にしているものは何なのか?
 
 それがお金ならばお金で動かされればいい。
 それで”究極の一”が救われるのならば、たった一度の人生そうすればいい。」

 私はとうの昔、そのリターンのほとんどない賭けから降りたのだ。
 
e0046467_13303939.jpg

# by japanheart | 2015-07-13 13:37 | 医者の本音 | Trackback | Comments(0)

いのちの価値と本音

今もラオスにいて手術をしている。
 先日、「あごの下に塊がある」と来た男の子の検査の結果は、悪性リンパ腫だった。
 この国でも、まともな子どものがん治療は出来ない状況にある。
 少しでも早く、がん治療を出来る病院を作らねばならないが、現実は日本政府のように右から左にお金を自由に動かせるようなふところ事情ではない。 

実際、私たち人間は、本心では他人のいのちはどうなってもいいと思っているのではないか、と思う事がある。
 人間とは戦場の兵士や特殊な異常性を持つ人をさしているのではない。

 昔、日本人が乗った航空機がハイジャックされ、それを救ったときの首相は、「人間の命は地球より重い」と言ったそうだ。しかしそれは、彼の頭で考えたリップサービスや人気取りを大いに加味した正解であっても、本心ではないだろう。

 本当に人のいのちは、地球よりも重いのだろうか?
 いやいや、教育現場でも「子どもたちに命よりも大切なものはない!」と教えているのではないか。
 しかし、政治家たちが命がけでやると宣言している戦争反対のシュプレヒコールは、本当にいのちが大切だからやっている行動なのか?

 今、本当に他人の命が失われることに心を痛め、行動している人間がどれほどいるだろうか?今もきっと、世界のどこかでバッタバッタと多くの子どもたちがマラリアなどで死んでいる。
 時に、わが子の命を救おうと募金を募り、アメリカあたりまで心臓移植を受けに行く子どもの親に協力する人間は、その募金箱の前を通り過ぎる人間の、何パーセントになるのだろうか?
 
教育現場では「いのちが何よりも大切だ」と戦後からずっと、今も教え続けているのに、どうして企業は、いのちを救うプロジェクトに賛同をせず、建物を建てたり、木を植えたり、職業訓練やレクリエーションに支援をするのだろう?

 それはそれでもいいのかもしれない。

 それならば、教育現場で「人命よりも大切なものはない」などとうそぶくのはやめてほしい。
 「世の中には人命と同じくらい大切なものがいくつもあります」といえばいいだけだ。
 そういう心の底では信じていないのにする教えは、さまざまな弊害をもたらす。
 
 「人間とは自己の延長線上で他者を認識する」は、大切な定理になる。

 この自己の延長線をどこまで拡大できるかが、人間も企業も本当に大切になる。
 自分の子が愛おしいと思い、自分の命に代えても助けたいと願う状態は、わが子が自分の一部になった状態ということになる。
 仏教の悟りの境地は、自己の意識の拡大にあるとすると、自分が他者や自然とつながる状態。
 他者も自然も自己の一部と感じるくらいにつながった自己拡大を起こした状態とすると、
 そしてそれが私たち人間が目指すあり方だとすると、
その人間が集まって出来ている企業が目指すところも究極はその辺りにあるのかもしれない、、、。

 企業理念はきっとどこも無意識にもその辺りから生まれてきている可能性もある。
 企業理念がたとえ立派でも、中身がついていかない、あるいはそこで働く人々やお客たちが、うそ臭く感じたり、違和感を持ってしまうのは、
 結局のところ、企業活動の内容やあり方が、個人でいうところの意識の拡大、すなわち企業の利益と社会の利益の共有、企業の存在が社会の一部として100%有効に働いていない状態だと思う。
 すばらしい企業理念、すなわち多くの企業が掲げているあれは、ある意味、悟りを得ている人間に近い状態のあり方である。しかし、現実は悟りを得ていない人間が、悟ったことを吹いているようなもので、
 多くの人々が企業に感じる違和感やうそ臭さはどうもそのあたりを感じ取っていると思う。

 ではどうすれば、人の命を大切に扱えるのだろうか?
 どうすれば、社会を大切にした企業になれるのだろうか?
 どうすれば、うそ臭い人間だ、企業だといわれないのだろうか?

 まずは行動してみることだと思う。
 小さな行動をしてみることに尽きる。
 そのためには現実を如何に自分事に引き寄せれるかにかかっている。
 心臓移植の子どものために10円を募金箱に入れる。それでいい。大きな金額は必要ない。
 企業のCSRの責任者たちは、自分の子どもががんになったらどのような行動をとるのだろう?
 国民皆保険で支えられ、医療を受ける事の出来る日本という国で生きていない人間たちの、その不安と不幸に少しだけ寄り添う、そんな人たちがCSRの担当者であれば何人の人間が救われるだろう?
 本当に人の命が大切というならば、そう行動することだ。
 自らそう信じ行動できない嘘を、子どもたちに堂々と教えてはいけない。
 この国には相変わらず嘘が多すぎる。

 個人も企業も、どこまで自己拡大できるか。ズウタイだけの拡大は不健康な状態だ。
 人間も企業も、その意識を拡大できたとき、進化したという、健康状態に至る。
e0046467_19231158.jpg

# by japanheart | 2015-06-25 19:11 | いのちの重み | Trackback | Comments(0)

ハフィントンポストにインタビュー記事

ハフィントンポストにインタビュー記事

 あと数時間以内でしょうが、ハフィントンポスト(The Huffington Post)トップページにインタビュー記事が出ています。
 よろしければ、どうぞご覧ください。

  苦境で耳を傾けた「感性の声」

 
e0046467_1927157.jpg

# by japanheart | 2015-06-07 18:57 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

自分を相対化すること

自分を相対化すること

 これも世の流れかと感じるが、この2年で円安が40%以上も進み、海外で円をドルに替え持ち出し支援を続ける団体にとってはとたんの苦しみを味わっている。
現地政府と交わす契約はすべてドルベースで500万ドルという契約でサインをした3年前は4億円という計算だった。
ところが日本政府が一気に円安を進めたせいで、それが今では6億円になる。なんと、1.5倍の円を払わなければ契約を履行できなくなっている。
かといって日本政府が支援のお金をわれわれのために回してくれるわけもなくさまざまな自助努力でこれを解消しなければならなくなっている。
私たちにとってははっきりいってこの円安誘導の金融介入は迷惑なだけだった。
アジアの経済勃興を肌身で感じているこの身にとっては、日本のこれからの失速はもうどうしょうもないのではないかと思ってしまう。
人口は毎年1%減り、少子高齢化も進み、中国をはじめとしてアジア各国はさまざまな分野で追い上げ、日本のフィールドを脅かしている。
さらにはアメリカやヨーロッパの国々の企業だってどんどん経済発展するアジアに食い込んできている。
医療分野だって20年前はアジア各国、どこの病院に行っても日本製品をたくさん見たが、今ではドイツだのフランスだの中国だのという製品ばかりで日本製品すっかり見なくなった。
気がつけば、日本の頼みの綱、車だってそうなっているかもしれない。
日本人は、この島国にの中で閉じこもり、長い間デフレを貪っていたのでいまだに気づかないかもしれない。
かつてオーストラリアなど物価が安くて、日本人たちはバンバン、旅行や留学に行っていた。
今、オーストラリアではラーメン1杯が2000円するということが日本人には理解できているだろうか?
一杯380円の牛丼が本当は、日本レベルのサービスも含めると1000円の値打ちがあると理解できているだろうか?
石油価格の暴落に修飾されてまだピンと来ていないのかもしれないが、今のままではやがて物価はどんどん上がり始めると思う。
世界レベルの視点で考えたときに、すでに円の価値は40%以上もこの2年で吹っ飛んだのだ。
銀行で1%にも満たない利子を受け取り喜んでいる間に、100万円は実質60万円になったのだ。
これから世界経済がさらに激しく混ざり合い、人々が流動していく。
本当に日本人たちはその準備が出来ているのか?

大阪都構想が否定されたようだが、それは決してシルバー世代の無料地下鉄代などをアピールして票集めるようなことをするものではなかったはずだ。
首都機能の分散と地盤沈下しもう何も有効な手立てを打てていない関西経済をいったいどうするつもりなのか?
昭和のはじめか、大正の頃は大阪は日本で最大の人口を抱え、最大の都市だった。
それは今ではこの様で、若い世代は生活にアップアップしている。
本当は大阪都構想は大阪市民だけの問題ではない。
大阪府民全体の問題であり、私の実家がある大阪市のすぐ上の吹田市にとっても将来、死活問題になるかもしれないのだ。
都構想の何が良い、何が悪い。言い分は全くそれぞれにあるが、今のままでは大阪は緩やかな自殺状態にあり、現状を変えなければいけないことだけは確かなのだ。

日本の国内だけを見ていては正解は得られなくなっていると思う。
アジアを見て、世界を見て、それで今どういう決断をすべきかを考えなければ、きっと将来大きな代償を払うことになる。

日本が韓国のように経済が悪化し、大学を卒業しても就職が厳しい状態になることは、決して悪いことでもないのかもしれない。
韓国人のように、生きるために韓国を飛び出し、世界に散ってゆく。
日本人も世界に散って、多くのビジネスを成功させれば、それは将来すごいネットワークとしてファンクションするに違いない。

日本は70年前、戦争に負けて、そして世界は日本語ではなく英語になってしまったのだから。
その時代に、外国人が日本で働くためには日本語試験なるものをパスしなくては働けないような縛りがある分野も多い。
今の時代にこれってどうなの?と思う。
日本も英語を小学生から導入し、もっともっと英語化をと国策としていっているくせに、これってどうなの?
もう世界で、アジアでそんなことをやっている国はあるのかな?
優秀な人が英語ではなく、日本語を優先して覚えて、日本を選択して来てくれると考えているのだろうか?
私がアジア人の親ならば子どもに将来のために、英語か中国語を習えと言うに決まっている。

若い人には一度は必ず海外に出ることを勧める。
日本という国と、自分という人間を世界の中で相対化しないと、きっと時代に振り回され自分の理想とか夢とかなんて実現できなくなってしまうから。

だから、、、

とにかく出ろ!
若いうちに出ろ!
何度も出ろ!
そして、アジアを感じ、中国を感じ、世界をその身、その若い感性で感じてつかみ取れ!

日本国内の、状況に右往左往せず、世界から日本を見て生きていけ!


e0046467_1063725.jpg

# by japanheart | 2015-06-04 04:16 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

現在の価値を知る

現在の価値を知る

医者になって二十数年が経ち、もうすぐ50歳になる。
思えば、研修医の頃が懐かしくなる。
早く一人前になりたくて、いつも焦っていた。
中身はともかく、長い時間働いていた気がする。いつもチャンスがあれば寝る機会を伺っていた。
働き出してふと見上げた空に星がたくさん輝いていた。空はもう肌寒い秋の空だった。働き出して6ヶ月も空を見ていないことにそのときはじめて気づいた。
30歳になれば少しはましな医者になると思っていた。なってみたら全くもって大した医者にはなっているとは思えなかった。
そして100万円を握り締めて軍事政権下のミャンマーに単身乗り込んだ。本当は軍事政権だとは知らなかった。
30歳の頃の私は十分な医療をミャンマーの人々に施すことは出来なかった。いつもすまない気持ちでいっぱいだった。
30台で小児外科を学び、NGOも創設した。40台で少しはましな医者になっているかと思えば、満足できるレベルには達していない。
今から思えば、上を目指して毎日、毎日、とにかく体力にものを言わせることが出来ていた研修医の頃が一番幸せだった気がする。
能力も技術もなかったが、希望だけはあった気がする。

うちの父親は74歳で亡くなり、祖父は73歳だった。
もう一度、医師になってからの時間をすごしたときに、私はもうこの世に存在していないかもしれない。
ついこの前、医者になった、研修医をしていたと感じるのに。

時間とは無常なものだ。

どんなに努力し、優れた技量や強さを身に着けても、その存在と共にこの世から消えてなくなってしまう。

毎日、毎日、惰性を貪っていた過去が悔しくて仕方ない。
今も、毎日、失敗しても良いから若かったあの頃のように、体力のその限界まで自分と向かい合ってみたい。
夢などなくてもいい。
人にはもしかしたら理解してもらえないかもしれない。それでもいいのだ。


きっと今やらなくては、未来の70歳の私が後悔する。

時間は私の人生そのものだ。
今もこの瞬間も磨り減って消えてゆく。

今、この瞬間は過去の自分が夢見て希望していた通りの私であるだろうか?
今、この瞬間を私はしっかり味わい、そして恍惚の中で生きているのだろうか?
さくらの散る美しさを私は十分感じたこの春だったろうか?
五月雨をこの身に受け、毛穴を開き、その地球のしぶきをわが身わが心で歓喜と共に受け止めることができたろうか?
夏の熱い太陽の日差しを受け、この身に吹き出す玉の汗を喜びをもって、送り出すことが出来ていただろうか?

未来の目標や希望は私たちに力を与え、生きてゆくエネルギーになるかもしれない。
でも、そんなことより、今、この瞬間を心から味わい感じ、辛ければ心から苦しみももがき、うれしければ心から喜び笑う。
それ以上の幸せなどない。

1000年後、この世に今の誰もなく、今みんなが不満を抱いていることもこの世になく、すべては宇宙の闇に帰る。

うちの父親が死んだとき、病室で10時間その亡骸と二人きりだった。
私から見ても決していい人生でなかった親父から、「俺は後悔ないよ」という言霊がびんびん伝わってきた。
「お前もそういう人生を生きろよ」というのが親父の最期の教えだった。

e0046467_16394627.png

# by japanheart | 2015-05-26 06:25 | 随想 | Trackback | Comments(0)

伝えるべきもの

伝えるべきもの

 私の子どもの頃の同級生に有名なミュージシャンがいるのだが、先日彼の所属会社にお邪魔した。
 
 そのとき社長も一緒に同席されて、しばらく話をした。

 そのとき、社長が私に言っていたのは、それそろいい年になりつつあるからもっと体を労わっていかないといけないということと、人の持つメッセージ性というものだった。

 このメッセージ性は多くの人のあり方のヒントになるかもしれないので今日はそれをshareしたい。

大体かいつまんで言うと以下のようになる。

 1) 歌が上手いだけでは売れない。
 2) ルックスだけで売れることもないので、今はそういう人を求めてはいない。
 3) 売れる人には必ずメッセージ性というものが備わっている。
 4) 伝えたいメッセージが音楽を通じて、お互いの魂で感応して、伝わっていく。

 これは多分、音楽だけでない。
 きっと、人は何をするにしてもメッセージ性を持っていなければ、広がらないのだと思う。
 自分に備わるメッセージ性とは何か?
 自分は何を伝えたくて今、この仕事に就いているのだろうか?
 
 そういうものを今一度点検してみてはどうだろう。
 表面的な理由ではなく、ずっとずっと自分の心の本音の部分に切り込んでいきながら、確認してみては。

 ちなみに、その同級生は、今ある自分のあり方を、私と同じだと言っていた。

 自分は自分のために、音楽をやっている。
 自分がやりたいから音楽をやっているのだと。
 何のために音楽をやっているのかわからなくなった時期を経て苦しみながら、その結論に達したようだ。
 自分のために生きるのだと悟った人間は強い。
 なぜならば、迷いがなくなるからだ。

 これからの彼にもっと期待をしたい。
e0046467_17361352.jpg


 
# by japanheart | 2015-05-20 00:33 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

命のつながり

命のつながり

普通、海外で医療活動をやっていると生死にかかわる患者ばかりがやってくるわけではない。
多くは日本でもいるような患者たちであり、子どもになる。
私は外科を主にやっている関係上、手術が必要な子どもが多くなるが、近々、生死にかかわらない。
私はこのような患者たちの流れを、実は大切にしている。

このような患者たちをしっかりしかもたくさん治療していることが、生死にかかわるような重症の子どもを引き寄せる基礎的な土台だと思っている。

日本でも重症の患者だけを診たい欲求に刈られている医療者は多い。
効率よく自分の人生の時間を使いたい、あるいは医者としての能力を上げたいと思っているのだろうが、そんなに上手くいく人生などない。
医師人生もない。

これは小口の取引を拒否して、大口取引だけし、大きく儲けたいと思っているようなビジネスモデルと同じだ。
これを普通の人間がやることは難しい。出来る人もいるが。
ミャンマーでは過去何度も、政府が流通通貨を一夜にして無効にした歴史がある。
いきなり今日から、今まで苦労してためたお金が紙切れになったのだ。
だからミャンマー人は基本、自国の通貨に対する信用は低く、外貨で持ちたがるし、不動産やその他の現物に変えることが多い。
なぜそんな風にする必要があったのか?
ひとつの理由に、中国人やインド人に大部分ビジネスを握られ、ビルマ族の人たちがお金をもてなくなっていたからだ。
ビルマ人と中国人のビジネスに対する大きな印象違いは、中国人は小さなビジネスを大切にし、流れを作り、やがて大きなお金を持っていく。
一方、ビルマ人は、一発、大きなお金を稼いでやろうと、小さなビジネスチャンスを大切にしない。だから大きなビジネスチャンスもやってくることはない。
そして気が付けば、すべて中国人とインド人にビジネスを持っていかれる。
そして政府がお金を無効にする。

この話から得れる教訓は、小さな流れを大切にすることだ。流れも出来ていないのに大きな収穫を狙ってはいけない。
コツコツした小さな努力の積み重ねが、大きなチャンスを呼び込む。
何気ない小さな成果がいくつも寄せ集まってやがてしっかりとした土台となり、その上にすべては載せられていく。

かつてある看護師に、このような比較的軽症な患者たちをこんなにいっぱい手術してどれほどの意味があるのかといわれたことがある。
そのときも、さっきの理屈を話したが、本当に助けたい人を見つけたければ、この流れを生み出すしかない。
そのときは、分かっていたかいなかったが、わからないけど。

先日、最近、ラオスでは腎臓がんの1歳の子ども、悪性リンパ腫の子ども、胆道拡張症の1歳の子ども、カンボジアで6歳の腎臓がんの男の子などなど。
全部、やってきてくれそれを治療できたのだ。

それはすべて特には命にかかわらない疾患で治療を受けた人たちが支えていた命ということになる。
そういう縁で結ばれた患者たちなのだと思う。

自分の命は知らないところで人の命とつながっている。

e0046467_09303601.jpg

# by japanheart | 2015-05-08 14:26 | いのちの重み | Trackback | Comments(0)

自滅という考え方

自滅という考え方


 長くやっているやっている仕事や活動などが時々行き詰まるとき、いつも原点帰りというか、そもそも、何でこれを始めたのか、今まにこれを行っている理由は何なのか、という問いかけを自分に投げかけてみるのは大切だと思う。

 そのほとんどの勝負事は、それは人生に時折、訪れる勝負も同じであるが、負けるときというのはそのほとんどは自滅に違いない。
 個人的な課題、たとえば若い人の大学受験や資格試験にいたるまで、これは自滅によって失敗する。普段からの自己管理や理解や課題の先延ばしなど、すべてしっかりと普段から取り組んでいればきっと上手くいったはずなのに、結局は相手があってのことでも、私から見れば自滅というに等しい負け方である。
 それがたとえ国家的課題、たとえば戦争であっても、同じく自滅によって失敗、敗戦へと導かれる。戦後アメリカの情報操作によって、アメリカとはじめから日本は負ける戦いをしたという話になっているが、真実は日本の低レベルの戦略による自滅行為の連続の結果であると思う。
 この手の失敗は戦後の日中外交や日韓外交おいてもみられるわけで、日本国内調整の失敗による自滅行為の結果なのだ。

 人生は、国家的課題と同じで負けなければ良い。要するに、引き分けに持ち込めばいいわけ。
受験も自分が何とか納得できる範囲のところへ滑り込めば良いし、資格もしかり。戦争もアメリカに勝つ必要はない。上手く講和に持ち込んだり休戦に持ち込めば良かったということだ。

 小さな失敗を繰り返しながら、それを糧に大きな失敗を回避していくというやり方は非常に理にかなっているように思える。
 人間は失敗は不可避なので、相手がある場合は、どちらが決定的な失敗をおこさないで終わりを迎えることが出来るのかが肝要だと思う。
 その失敗が結果に影響を大きく及ぼすような場合を、自滅行為というのかもしれない。
わかりやすい例を挙げると、模擬試験である問題を解けず、ただ点数だけを見て、一喜一憂し、自分が間違った問題の復習も理解もせず、あるいはそこが解っていなかった所だとすら自覚せず、そのままやり過ごす。
 結局、本番の入試で同じポイントを衝かれる問題を出され解けずに、不合格になってしまう。
 このようなことだ。このようなことを自滅という。
 小さな失敗は模擬試験で間違うことだ。
 大きな失敗は、そのまま理解していない状況を放置することだ。
 入試の不合格は、単なる結果だ。
 なぜならば、入試を受ける前にすでによほどの幸運がない限り不合格は決まっているからだ。

 ここでの教訓は、小さな失敗はとても大切でそれをどう利用できるかだ。
 それを利用できない場合、それを自滅という。

 これは人生すべてに詰まった教訓であり、日日の小さな失敗を嫌う人間は結局自己の欠点に気づかず、あるいは発見できず、大きな失敗を犯してしまう。
 ということは、日日の小さな失敗を恐れる人間は、大きな失敗を犯す予備軍ということだ。
 日日、失敗を恐れて行動をおこせない人間は多いが、この人たちは失敗をせずに大きなことを成そうとしているということで、なかなか難しい課題に取り組んでいることになる。
 
 自滅していく個人や会社や国家の特徴は、

 1、小さな失敗をおこせない個人や社会
 2、小さな失敗から学べない個人や社会

 こういう個人や会社や国家は自滅していく。
 
e0046467_21541041.jpg

# by japanheart | 2015-04-27 20:21 | 活動記録 | Trackback | Comments(0)

ラオスの子ども助かった、、、と思う

ラオスの子ども助かった、、、と思う

 先般からお伝えしていたラオスの胆道拡張症の1歳の女の子は無事に手術を終え、回復に向かっていることを伝えたい。

 岡山や広島から行っていただいた小児外科の先生方や、ミャンマーから帰国前にわざわざ行っていただいた遠藤先生にも感謝をしたい。

 ラオススタッフも皆さん平山を中心にがんばって関わってくれた。
 資金的サポートをしていただいたJSファウンデーションやこの子のために寄付を頂いた方々にも感謝します。

 一人の子どもためにいったいどれほどのエネルギーを裂くことが出来るのかというのは大した課題だが、一人の人間を助けるのはそれほど大変なことだとも教えてくれる。
 この世の中はどうも総論と各論のバランスが取れないことが多い。
 なるべく少ないお金でなるべく効率よく人を助けたいと思ってはいても、今回のように大したお金をかけないと助けられないこともある。
 かつて、アメリカにいって心臓移植のための治療は1億は必要だった。
 そのお金をマラリヤの薬に代え、アフリカやアジアにばら撒けば数万人の命を救える可能性だってある。
 よく学生たちに質問されることに、そんなタイプの質問が多い。

 もっと効率よく多くの人を救いたい、救うべきではないかと語ってくれる学生も多いが、昨今の世界情勢の中で、いろいろな人たちがそう考えてさまざまな試みをしているが、果たして結果はどうだろう。
 結局、私の人生という各論では、一人ひとりちまちま確実に救ってきたこの長い年月のほうが、結果ははるかに良かっただろう。若い頃に理想に燃えて大風呂敷を広げ、多くの人々を一度に救おうと張り切ってやってこなくて良かったと思う。きっと上手くいっていなかったから。
 
 世界中でさまざまな難問に大きな希望を抱いて取り組んでいる人も多いが、果たして上手くいっているのかな?
 地球温暖化の問題は解決しそうなのかな?
 感染症のブレイクアウトや、核廃絶の問題はどうなっているのだろう?

 先般読んでいた書物の中に、1980年代アメリカの異常な殺人や薬物中毒、レイプやその他のをはじめとするさまざまな犯罪発生は、行政や専門家たちのさまざまな希望に燃えた試みによっても、一向に鎮火しなかった。多くの専門家は1990年代はさらに悲惨な状況になると予想していた。ところが、すべての人の予想に反して1990年代からアメリカの犯罪は減少の一途をたどる。
 それはさまざまな勇敢な試みの成果ではなく、実は、全米の多くの州で中絶を認めたからだったそうだ。
 貧困層の子どもたちは大きな犯罪予備軍だった。
 その予備軍になるべき子どもたちがこの世に生まれず中絶によって、命を奪われていったということがその犯罪の減少の一番の理由だったそうだ。

 まあ、人間の知恵などというものはその程度なのかもしれないが、それならば確実に助けたほうが時間さえかけれればきっと成果も上がる。小さな成果なのかもしれないが。

 今回もその試みをしてみたわけだ。
 何とか上手くいきそうだと思う。
 
 今はこんなに元気になっている。

e0046467_0434565.jpg






 
e0046467_0555413.png

# by japanheart | 2015-04-21 00:45 | 子どものこと | Trackback | Comments(0)

お知らせ

ジャパンハートでは学生・社会人のインターンも受け入れを行なっている。

先月までミャンマーで半年間のインターンを行なっていた学生が医療と教育を組み合わせた新しいプロジェクトを企画しているので紹介する。この企画はジャパンハート学生インターンの山口君と教育が届かないところに教育を届けるNPO法人e-Educationの東大院生、林さんが実行しようとしているものだ。

ワッチェ慈善病院には貧しくても日本人医師からの治療を受けられるという口コミが広がり、現在ではミャンマー全土から年間、外来12,000人、手術入院患者が2,000人いる。上記の学生2人はこの2,000人の入院患者に笑顔を届けようとしているのだ。

長期入院患者の精神的・金銭的負担を軽減するために彼らは3つの方法を考えた。
1.入院中にベッドの上でアクセサリーを作って販売できる仕組みの構築
2.入院中の時間を活用した、ベッドの上で学べるIT教育DVDの作成
3.退院後の健康も考え、HIVなど感染症の正しい知識を伝える保健教育DVDの作成

詳しくは以下のサイトに紹介されている。
https://moon-shot.org/projects/75

このような学生が発起人のプロジェクトがどこまで上手くいくかは分からないが、それを応援するのが自分たちの役割でもある。クラウドファンディング終了まであと3日間。興味がある方はプロジェクトサイトをのぞいてみてください。
e0046467_17335084.jpg

# by japanheart | 2015-04-17 17:37 | 事務局からのお知らせ | Trackback | Comments(0)