特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問。1995年より国際協力医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアなどで、これまで1万人以上の子どもたちに手術を行ってきた。


by japanheart
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ブログ引越しのお知らせ

いつも吉岡秀人のブログをご愛読いただき誠にありがとうございます。

このたび、吉岡秀人のブログをより多くの方へお届けするため、
誠に勝手ながら、excite blogからnoteに引越しすることとなりました。

▼noteの吉岡秀人ページ

さっそく新しい記事を投稿していますので、
今後はぜひnoteの吉岡秀人ページをフォローいただき
ご覧になってください!

excite blogに掲載のブログ記事は、
しばらくの間そのまま残しておきますので、
また是非くりかえしお読みいただけると幸いです。

今後とも、よろしくお願いいたします。

ジャパンハート 広報
ブログ引越しのお知らせ_e0046467_15071332.jpg

# by japanheart | 2020-06-13 15:07 | 事務局からのお知らせ

変化に備えよ!

 かつて地上は、巨大な恐竜たちが栄華を極め闊歩していた。
 ある時、恐竜からすれば本当に偶然に地球に隕石が落ちて来た。
 それにより、あれ程高温多湿だったこの地球が冷え始め、体表面積の大きい恐竜たちはどんどん死滅していった。しかし、体長1m50cm程度の動物達はその寒冷の環境下でも生き残る事ができたという。

 ある環境下で最強ということは、環境が大きく変化すれば最強ではなくなる可能性が高い。むしろ恐竜たちの様にバタバタ斃(たお)れていく可能性もある。もしも環境が大きく変化しても大丈夫であるということは、今までの環境がその組織や生物に最適化されたものではなかったか、その組織や生物にはその環境変化に順応できる形質、すなわち多様性が内在されていて、新しい環境に順応し変化できたということだろう。

 組織も動物も大きいと強いが、環境の変化には順応力が低いかも知れない。
 今の世界で恐竜に当たるものはなんだろうか?
 国家か?
 グローバル企業か?
 それとも今、私達が正しいと信じている民主主義や貨幣経済なのか?
 恐竜でいう体表面積に当たるものはなんだろう?

 今回の新型コロナウイルスのパンデミックで考えてみた。もしもこのウイルスが隕石ほどのインパクトがあるとしたら。

 これから何が変わるのだろうか?
 どんな価値観や形態が滅びていくのだろうか?
 75年前の世界大戦が終わった後のような変化が世界を襲うことになりそうだ。
 あの戦争の前はアジアやアフリカはほぼ全て植民地であり、国家なんて存在しなかった。その後から次々に国家が生まれ今では当たり前のように現在のイメージができている。中国にも東南アジアにも南米にもアフリカにも、全て国家が存在しなかったって信じられる?

 ここからまた、今までの延長線では考えもしないような世界になると思う。75年ぶりの歴史的な非連続性社会構造変化だ。
 私はわくわくがとまらない。
 今までは多分、経験的には無理だろうと思っていたことが、物理的にも精神的にもボトルネックが外れることになる。
 逆に、今まで権威や規模を誇った組織や形態が今まで通りに同じ価値をこの国で持っているようならば、日本はきっと駄目になっているだろう。
 世界で最も保守的で仕組みや価値観を自ら変えられない国は日本だろう。
 だから少し不安に思っている。

 指針としては、
 組織や成果で規模や数量を誇るよりは、質を誇れるようになった方が時代の力を受ける事ができる。さらに、個人が今まで以上に価値を持つ時代になるので、常に質を追求する姿勢を持っておく。

 偏った価値観を絶対視せずに、色んな分野と関わりを持つ、できれば自分の視界外の分野や人と合流してみる姿勢と謙虚さを堅持する。

 日本人やアジア人は経験の重要性を過大評価せず、若い世代、それこそ十代や二十代の人たちの可能性や能力を正当評価して、積極的に利用し社会発展や改革のために役立てる。特に日本はそれやらないと。

 企業や個人もお金を目的とせず常にそれを手段として何を為そうとするのか意識して生きていく。今まで以上に。

 特に経営者や企業は表層的な理屈付けではなく、トコトン何故、その規模を大きくするのか? 何故、それを大量生産し社会に供給する必要があるのか? それが本当に社会利益になるのかをずっと考え続けておく方がいい。結局、長い目で見たら社会利益になっていなければ社会から捨てられる。
 
 一年後、どんな世の中になってるのだろうか?

 楽しみ。
変化に備えよ!_e0046467_16582004.jpg













# by japanheart | 2020-05-13 04:42 | 基本

誇り高く生きたいから

 いつも医療者は、
 「自分たちは安全な場所から医療をしているんだ」
 「患者がどんな重い病気でも結局は自分には関係ない」
 「そりゃ、検査の時に患者に付き添いレントゲンの被曝が多少あるとか、手術や輸血やその他の医療行為の最中に感染のリスクがあるとか。けれどそれでも患者達の場所から比べると随分と安全な場所にいるんだ」
 「手術が失敗しても、検査が上手くいかなくても、医療者は死にはしないから」

 でも、今回ばかりは少し違ってる。
 今回のコロナウイルスはいつも安全な場所にいる医療者達をかなり危険な位置まで近づけている。
 圧倒的に市中の一般市民よりも犠牲になる確率は高いのだ。


 私達医療者にはいま、目の前に4つの生き方が提示されている。
 この時、たとえ日本にいようが、海外で医療をしていようが、私達、医療者の前には天から4つの生き方を提示されているのだ。

1 ウイルスに勇敢に立ち向かい、そして自分も生き残る
2 ウイルスに勇敢に立ち向かい、しかし自分もウイルス感染にたおれる
3 ウイルスに恐怖し逃げ出し、そして自分は生き残る
4 ウイルスに恐怖し逃げ出し、しかし自分もウイルス感染にたおれる

 あなたならばどの生き方を選択するだろうか?

 私はどうせ医者になったのだから、こんな時こそ、ウイルスに立ち向かいたいのだ。
 もしかしたらウイルス感染にたおれるかもしれない。命を落とすかもしれない。
 でも私は死の床で「これでよかった。自分の信念と人の為に戦い死ねてよかった」と思える自信がある。医者でよかったと思える自信がある。
 でも逆にもしも逃げ出してしまったら、たとえその後、生きていても医者を辞めるかもしれない。そんな臆病な自分が許せなくて苦しむと思う。医者を続ける資格がないと思ってしまうかもしれない。

 私は、私達は、”病で苦しむ人達のためになりたい” と医療の世界に飛び込んだ。
 もちろんそれは、自分が世の中から必要とされたい、してほしい、期待されたい。そしてそういう自分を自覚し、自分の人生を肯定したかったからだろう。
 海外で私の元にやってきた医療者達も、多かれ少なかれそう感じていたと思う。

 人はこういう経験を通して本当のプロフェッショナルになる。
 自分の人生と仕事を通して、自分のミッションに誇りを持つようになるのだ。

 私はそういう医療人をつくりたい。

 最高の医療人には、高い精神性の人間でなければなり得ない。
 精神性の高い人間は、困難が目の前に立ちはだかろうと、逃げはしない。
 人々が病で苦しんでいれば、我が身に困難が降りかかろうと、人々の為に喜んで前に進むだろう。
 
 人生100年時代、そういう人間はたとえ医療人としての人生が終わった後でも豊かな人生を送っていけるのだろう。
 
 中国でも、ヨーロッパでも、アメリカでも、医療者達は誇り高く戦っている。

 彼らにできて私達にできない道理があるはずがない。

 何で医療の道に来た?
 
 我がスタッフたちよ、そして日本の医療者たちよ、がんばれ!




 あなた方の前には4つの生き方を用意した。

 好きな道を進むがいいだろう。





 PS: 私も海外への航空便が運航を再開したら、直ぐに現地に戻るよ。


誇り高く生きたいから_e0046467_10063907.jpg


# by japanheart | 2020-04-07 06:13 | 活動記録
 今日は4月1日。エイプリルフールなので珍しく未来予想などしてみたいと思う。どうせエイプリルフールだから、ハズレたら「あれは冗談でしょう!」と、将来言い訳しようと思っている。

 世界には文明のスライドを唱える人々がいる。数百年毎に東洋から西洋へと振り子の様に文明の中心が移るという仮説だ。
 これは過去そのように移ってきたとまあ、半ば強引にそのように理屈を付けしてきた仮説なのだが。

 ”15世紀頃から始まったヨーロッパ文明の世界制圧の歴史は、今回のコロナウイルスで終わると思う”というのが私の仮説になる。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦で本来はそれは終わるはずだったと思う。
 正確には第0次世界大戦、すなわち日露戦争から始まったヨーロッパ文明制圧の終焉は、これでほぼ確定される。
 本来は第一次・第二次世界大戦で終わるはずだったヨーロッパ文明は、アメリカ大陸を発見し、北アメリカ大陸には主にイギリス・フランスが、南アメリカ大陸には主にスペイン・ポルトガルが文明を移植した。第二次世界大戦後は、特にアメリカ大陸に文明や力の中心がシフトし、あれから75年、正確には約100年程度、その制圧の延命がはかられたと理解してる。
 個人的には第三次世界大戦が起こりそれが終焉するかもと思っていたけど、人類は少しは利口になってそれが起こらなかった。しかし、「文明がスライドする」という大きなシフトが起こることには変わりなく、それがウイルス感染によって引き起こされることになったのだ。

 その文明シフトの観点から予測すると、今後、このウイルス感染の予想はヨーロッパ大陸やアメリカ大陸では更に酷くなるが、次の文明拠点のアジアではそれほど酷い状況にはならないのではないかと思っている。
 慌てふためくヨーロッパやアメリカをこれから世界は目撃するだろう。そしてヨーロッパは酷く衰退するのではないかと、ちょっと心配してるのだ。それに比べてある程度上手くこのウイルス感染をコントロールできたアジア諸国は自信を深めこれからその文明をかつての様に高めていく。

エイプリルフールの戯れ言_e0046467_14534869.jpg

 日本はどうだろうか?
 その観点からいうと、日本の役目はほぼ終わっているから。
 日本がアジアで1番初めに発展したことも、日本がたった一国で世界を相手に戦った第二次世界大戦の結果、アジア諸国やアフリカ諸国が独立して今日の国際状況を作ったことも、全て含めてほぼ役割は終えてる感じがするのだ。

 パナソニック創業者の松下幸之助翁は「文明発展は時計回りにしか回らない。なぜだかは分からないが、そうなっているのや!」と言ったらしいが、多分、本格的にアメリカ大陸からアジア大陸へとそれが来たと思っている。

 日本が唯一、ある程度の発展した場所として生き残るためには、少子化を克服することが必要になると思っている。ただ、今の日本政府の場当たり的なやり方ではほとんど効果は出ないと思う。

 では、お前に代案あるのか? と問われれば、一応はある。
 キーワードは、中央集権体制の破壊。
 昭和の初めに戦時体制として作られた東京集中の中央集権化を破壊すれば、自然に少子化は終わると思う。
 衆議院は東京、参議院は大阪に移す。各省庁はそれぞれ各都道府県に移し、道州制を加速させる。そして今回のウイルス感染はリモートワークを加速させ、地方企業にまたとないチャンスを生みだし、首都圏という企業立地の価値を著しく低下させることになる。
 東京圏に3500万人以上住まわせ、かつてないほど劣悪な通勤を若い男女共にさせ、更に経済的にも圧迫して、どうして子どもを何人も産めようか! 
 地方分権・分散を進め、小さな政府に向かっていかないと少子化は止むことはないと思う。そう考えると、少子化のそれは全て政治の責任なのだと思う。
 これを政治が達成できれば日本は残り、できなければヨーロッパの後を追って衰退していくと思う。
 そして衰退が加速すると日本からアジア諸国への移住や人口分散が加速して起こると思う。


 エイプリルフールだからね。

 全部、私の勘違いかもしれない。
 





# by japanheart | 2020-04-01 13:35 | 戦争

幸せを知る

 幸せの本質に迫りたければ”そぎ落とし”しかない。
 幸せと感じているものを一つずつそぎ落としていく。
 どうしてもゆずれない本質的なもの以外はそぎ落としていく。

 本当に食べれることの有り難さを体感智するためには、断食しかない。
 しかも一カ月程度の断食が必要かもしれない。
 あなたが食べれば幸せと感じている、寿司やステーキやお菓子やケーキなどの食から順に断っていく。
 次に当たり前のお米や卵や野菜や諸々を断つ。
 コーヒーやお茶を断ち、やがて水のみの生活にする。
 そしてさらに、水の量の制限に至る。
 これを全て意識的にやってのけてみる。
 既にこの頃には空腹感からは開放されている。渇きのみが肉体に自覚されているだろう。
 ほとんど全てのものをそぎ落としたこの時に、かつては全く認知できていなかった、当たり前にあった水の甘みやうま味を体感智できる。
 これを有り難き幸せの状態という。

 健康も同じだろう。
 筋肉を付けるとか、早く走るとか、マラソンやトライアスロンに出場するとか入賞するとか、山に登れるとか……。
 全て大病をすれば捨て去る事になる。
 きっと死を間近に意識した時、人は当たり前に日々、食べ、歩き、寝て起きて、笑い、泣く。そんな当たり前の日常の尊さを体感智する。

 本質的な幸せの自覚は日常の密度を大きく変えていく。

 我が子の事も同じなのだ。
 ジャパンハートがやっているSmileSmileProject(がんの子どもたちの旅行のサポート)などを経験してると、最後に親が子どもに望む事は、いい子でいることでも、勉強ができる事でも、いい学校や就職先を得ることでも何でもない。ただ、そこで生きて存在してくれていれば、それ以上何も望まないのだ。
 親にとって子どもに望むことは、そぎ落としていくと、ただ生きていてくれることだと分かる。そして、それこそが本質的幸せであり、それ以外は贅沢な幸せなのだと分かるのだ。
 だから昔、一休上人はこう詠んだのだ。
 「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。この上の幸せはなし。」
 
 だから幸せには二つの方向性があることが理解できる。
 一つは付ける幸せ。いつもあなたが求めているものだ。
 もう一つ、そしてより本質的な幸せ。そぎ落としのその先にある幸せ。

 そしてとても個人的な見解なのだが、そぎ落としの方向の豊かさや幸せを得なければ、本当には人生は豊かにはならない。それは空気や水の有り難さを自覚できることに似ている。
 豊かさは積み上げるだけではなく掘り下げる事もできるのだ。

 別の角度からの例えとしては、かつてある武道家は無数の技を身に付け本当に取り込んだ時には、技を捨て去ることになると表現した。
 その時、無敵となると。
     
 そして、海外医療も実は同じなのではないのか。

 敢えて詳しくは語らないが、そぎ落として、そぎ落として、その結果。
 全ては自分自身の為にやっている行為だと悟ることになる。
 他人のためにやっているという人は、その入口にいるに過ぎない。
 そういう人間は常に主体としての自分と客体としての患者を意識する。
 だから心が常に動揺する。

 しかし、全ては自分の為なのだと体感智すれば、医療という相対的な行為から客体が消え去り、主体としての私だけが存在する世界観になる。病人や病気を相手にしながら、常に我が人生との対話を積み重ねていく。
 つまり、病というものを通して我が人生と向き合っているというそれだけの状態がそこにある。
 大した病気や危険を目前に置き、避ける事も逃げる事も自由。
 誰も私を責めることはなく、逃げてしまえば責任など発生しようもない。
 リスクを取らなくても臆病とは言われず、自らに理性的な判断なのだと、言い聞かせる事もできる。
 未来は多層的に広がっているだろうが、その中で選べる未来はたった一つ。
 それ以外の未来はそれこそ未来永劫、この世から消え伏せる。
 その決断がよかったかも悪かったかも分からぬまま時間は進んでいく。

 どんな時もそこにいるのは、満たされた私でもなく、満たされない私でもなく、他人の為に頑張っている私でもない。
 ただひたすらに心の声に従ってやらねばならぬことを為している自分が存在している。
 すでに求道の道のただ中にいる。
 誰かが口にする理屈は既に遠い風の音のようになっているだろう。

 その時、私はボロを纏っているのか、暖かい立派すぎるコートを着ているのか、藁を噛んでいるのか、贅沢な食を噛み締めているのか。
 どちらでも構わないのだ。
 心の目はそんなところを見てはいない。
 表面的な豊かさや貧しさなど、私を何も縛りはしない。 
 水の美味しさを知っている人間には、それ以外は誤差に過ぎない。

 私の人生にとって最も大切なものは何かを知ることは、まさに水の美味さを知る事なのだ。

 あなたも自分自身の人生と対話してほしい。
 他人の意見や目線などの世界から離れて。
 リスクをとって未来を開く方がいい未来が訪れると信じているのか?
 それともそんな信心は採用していないのか?
 あなたはどちらの人生を信じているのだろうか?
 あなたは、あなたが誰かの事を思い祈りを捧げるその行為に、あるいは誰かへの思いはきっと届くと信じている、その在り方を採用するだろうか?

 もしあなたが、私と同じくそれを信じているのならば、きっと今日助けられなかった同じ病に苦しむ人を、あなたも10年後はきっと救えていることだろう。

 あなたが1番好きなことは目の前のそれか?
 あなたがそんな風に生きたかったのか?
 あなたは誰かの為の犠牲だと言うけれど、ホントにそうすることがその誰かを最も幸せにする保証はどこにある?
 
 いつもいつも自分と対話してみることだ。
 
 
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# by japanheart | 2020-02-28 20:57 | 基本